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戦前の小学生(学童)サッカーに関するメモ

はじめに

サッカーはコート、ゴールやボールの大きさを調整すれば、子供も大人とまったく同じルールでできるスポーツである。従って日本における垂直方向への普及は早く、1917~1936年における日本サッカーの急速な水準向上の要因であったことを「ボトム・アップでレベル・アップした戦前の日本サッカー」において指摘した。ベルリン・オリンピック代表堀江忠男、加茂健、加茂正吾は浜松師範附属小学校、右近徳太郎は御影師範附属小学校からサッカーを始めている。ベルリン・オリンピックの選手・役員を紹介した『われらの選手 オリンピツク代表点描』(朝日新聞社編 朝日新聞社 1936)によれば、左記4人以外にも竹内悌三、西邑昌一も小学校からサッカーを始めたことが明記されている。(p.114-122)

「ベルリンの奇跡」は戦前における小学校サッカーからの育成の勝利でもあったのである。

いつごろから小学校にサッカーが普及したのか

『日本サッカー史 : 日本代表の90年 : 1917-2006. 資料編』(後藤健生著 双葉社 2007)にベルリン・オリンピック日本代表監督だった鈴木重義のプロフィールがあり、以下のように記載されている。

“1902年生まれ。豊島師範付属小学校でサッカーを始め、東京高等師範付属中学を経て、早稲田高等学院・同大卒。早稲田ではア式蹴球部を創設。(以下、略)”

鈴木は1902年生まれなので、小学校卒業は1914年ころになり、それ以前に豊島師範附属小学校にサッカーが普及していたことになる。豊島師範にサッカーを伝えたのは東京高師1909年卒の内野台嶺なので、豊島師範附属小学校では1910年代前半にはサッカーが始まっていたようである。

鈴木重義は日本が国際試合に初勝利した1927年第8回上海極東選手権大会の主将であるが、このチームの同僚で早稲田の後輩でもある高師康(埼玉師範附属小学校→浦和中→早稲田)も小学校からサッカーを始めている。埼玉師範附属小学校におけるサッカーの開始時期は豊島師範附属小学校よりも遅いかもしれないが、1910年代後半には始まっていたのではないだろうか。

日本代表は1917(大正6)年に始めて国際線を経験し、10年後に初勝利をあげるわけだが、1927(昭和2)年の時点で小学校サッカーからの育成が成果を収めていたことは注目に値する。

小学生サッカー指導書

1925(大正14)年には小学生サッカー指導専門書が刊行される。山田午郎著『ア式フットボール』(杉田日進堂 1925 巻頭の書名:少年用アツソシエ−シヨン蹴球規定)がそれである。「緒言」において、極東選手権で中国が強いのは幼時からサッカーになじんでいるからであるとして、少年サッカーの重要性を指摘し、関東では東京蹴球団、豊島サッカークラブ、埼玉蹴球団主催の小学校蹴球大会が既に存在し、普及しつつあることを記している。

戦前の小学生サッカー大会

関東少年蹴球大会(東京蹴球団主催、東京朝日新聞社後援)
第1回1922(大正11)年10月15-16日から
第19回 1940(昭和15)年11月23日まで
詳細

全国少年蹴球大会(豊島サッカー倶楽部主催、時事新報後援)
第1回1924(大正13)年5月31-6月1日から
第8回1931(昭和6)年6月6-7日まで
詳細

これ以外には、『朝日スポ−ツ叢書 第1 ホツケ−・ラグビ−・蹴球・籠球・排球』(東京朝日新聞社運動部編 朝日新聞社 1930)に小学生サッカーに関する以下の記述がある。

“斯うした機会は度重って自然全国的にチームがチームが著しく増加し、諸所に中等学校大会が挙行され、一方、東西呼応してカレヂ・リーグが成立するといふ有様で蹴球界は興隆の一途を邁進する事になりました。この中に見逃せないのは少年蹴球の発達であります。就中、大正十一年に東京蹴球団が主催で東京朝日新聞社後援の下に関東小学校蹴球大会を開いたのが全国的にセンセイションを捲き起して今日では北に函館、南は広島と十数ケ所にこの種の大会が催されて、未来の大選手の卵である少年選手は頻りに活躍して、青年選手も及ばぬ妙技を示して観衆をアッと言はせて居ります。”(p.125)

1930(昭和5)年当時、“北に函館、南は広島と十数ケ所”小学生サッカー大会が開催されていたようである。

また、藤枝東高のサッカー部史『サッカー六十年のあゆみ  創立60周年記念』(静岡県立藤枝東高等学校編 静岡県立藤枝東高等学校 1982)には、1934(昭和9)年2月に志太中蹴球部主催第1回郡下小学校蹴球大会が開催されたことが記されている(p.12)。

むすび

日本において戦前からサッカーが盛んで多くの日本代表選手を生んできた地域、例えば浦和や藤枝は戦前から小学校サッカーが地域に根付いたところでもあった。1980年代以降の日本サッカーのレベル・アップも小学生サッカーからのボトム・アップであることを考えれば、日本少年サッカー史を真剣に研究する人物がいてもよさそうである。

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