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日本サッカー通史の試み② 東京高等師範学校とYokohama Cricket & Athletic Club

2. 東京高等師範学校とYokohama Cricket & Athletic Club

2.1 東京高等師範学校におけるサッカーの始まり

 英国のFAの設立は1863年であり、日本サッカー史の始まりを古い時代に引っ張れば引っ張るほど、「フットボール」ではあっても「サッカー」である可能性は小さくなる。確実に日本人最初の「サッカー」チームといえるのは東京高等師範学校フットボール部であろう。他にもチームがあったかもしれないが、東京高師は、

1) 正式のサッカーを日本に普及させるという自意識をもち、日本最初のサッカー専門書を刊行した。
2) 当時日本人サッカーチームは他になかったので、1904年からYokohama Cricket & Athletic Club(YCAC)と毎年のように試合を行い、サッカーのやり方だけでなく、サッカーの勝ち方を習得し、その成果を日本で2番目のサッカー専門書として刊行した。
3) 中等教員の養成機関であった東京高師のOBは、卒業後赴任先の師範学校、中学校にサッカーを普及させた。
4) 東京高等師範学校フットボール部(後に蹴球部)は断続することなくサッカーを続け、百年以上の歴史を持つ筑波大学蹴球部に続いている。

という点で、日本サッカー史に極めて重大な影響を及ぼした。東京教育大学サッカー部編『東京教育大学サッカー部史』(恒文社, 1974)には『茗渓』誌882号(1967年)に掲載された堀桑吉氏の回想「サッカー(ア式蹴球)草創のころ」が掲載されている。

“私が明治35年4月、高師1年に入学した時、4年の中村覚之助君が、米国の『アッソシエーション・フットボール』を翻訳してア式蹴球部を作り、新入生に入会を勧誘した。私が真先に入会し、次いで同級の桜井賢三・瀬口真喜郎・渡辺英太郎・石川文平・栗野信一・嶺豊雄・江坂広雄、2年の塩津環の諸君が入会し合計9名が部員となった。”(p.18) 

上記引用文にはいくつか事実誤認が認められるが、東京高師のサッカーは1902(明治35)年に始まったようである。その翌年に刊行された日本最初のサッカー専門書、東京高等師範学校フットボ−ル部編『アッソシエーションフットボール』(鍾美堂 1903)の「凡例」には、

“各地の中学校師範学校より「フットボールゲーム」の仕方の説明を需むること甚だ少なからざリしを以て本書は其の望みの一部分を充たさんがために書きたるものなり”

とあり、中学校、師範学校に「正式」のサッカーを教えることが、東京高師フットボール部がサッカーを始めた主要な動機であったことがわかる。東京高等師範学校々友会蹴球部編『フットボール』(大日本図書, 1908)の「第一編 第二節 フットボールの歴史 (三)我が国のフットボール」はおそらく最初の日本サッカー史記述であろうが、当時の状況を以下のように記している。

“さて明治十一二年頃に体操伝習所でやってゐたフットボールは、我が国各地方に弘まったやうであるけれども、その法式は種々様々である。思ふに伝へ伝へて行く内に、誤って伝へ、或は自分勝手に法式をたてたものもあらう。これまで各地で行はれて居るのを見ると、実に千態万状であるが、多くは只徒にボールばかりあって、使ひ途を知らず、一つのボール追うて、数百人が押し合ふやうな乱暴な事をしてゐる。

 数年前東京高等師範学校で、更に正式にフットボールを始め、・・・”(p.13-14)

フットボールは各地に普及したが、正式なものでなく“千態万状”で、“一つのボール追うて、数百人が押し合ふやうな乱暴な事をしてゐる”のが実情であった。そこで東京高師が“正式にフットボールを始め”、その成果を普及させていくのである。

2.2 東京高等師範学校の対YCAC戦

 Yokohama Cricket & Athletic Club(YCAC)は、サッカーの東京高師だけでなく、野球では第一高等学校、ラグビーでは慶應義塾と対戦しており、それぞれの競技史においてエポック・メーキングな役割を果たしている。野球、サッカー、ラグビーにおける最初の日本人チームとの対戦は以下のとおりである。

野球 1896(明治29)年5月23日  一高 横浜 一高 29-4 YCAC
サッカー 1904(明治37)年2月6日 東京高師 横浜 東京高師 1-9 YCAC
ラグビー 1901(明治34)年12月7日 慶應義塾 横浜 慶應義塾 5-41 YCAC

野球は初戦で一高が勝利しているが、これは対YCAC戦以前に野球が国内の複数チームに普及し、一高は対YCAC戦に先だって明治学院、駒場の農学校などと数年にわたって試合を行っており、野球殿堂入りの名投手青井鉞男を擁して日本人チーム相手に不敗の状態でYCACと対戦できたからであった。一方、サッカーとラグビーは各競技において日本人が最初に行った正式の試合が上記2試合であり、いずれもYCAC相手に大敗している。野球の場合、条約改正前の不平等条約時代にYCACに大勝したので、センセーショナルな反響を呼び、野球興隆の要因のひとつとなった。

 サッカーとラグビーの対YCAC戦初勝利はともに1908(明治41)年で結果は以下のとおりであった。

サッカー 1908(明治41)年2月9日 東京高師 東京(高師G) 東京高師 2-1 YCAC
ラグビー 1908(明治41)年11月14日 慶應義塾 東京(慶應綱町G) 慶應義塾 12-0 YCAC

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1908年2月10日付『東京朝日新聞』

サッカーもラグビーも毎年のように対戦しているのであるが、初勝利まで時間を要しているのは、野球と異なって競技が日本人に普及しておらず、外国人チームとしか対戦できなかったからである。それでもサッカーは、初勝利の前年、1907(明治40)年11月に東京高師対青山師範、慈恵医院戦が日本人最初の対校戦として行われているが、ラグビーでは1908年時点でルーツ校慶應義塾以外に日本人チームは存在しなかった。

 各競技史における対YCAC戦勝利の重要性は、初勝利の直後に対YCAC戦勝利のノウハウを記した専門書が刊行されていることに示されている。

野球:中馬庚著『野球』(前川善兵衛 1897)
サッカー:東京高等師範学校々友会蹴球部編『フットボール』(大日本図書 1908)
ラグビー:慶応義塾蹴球部編『ラグビー式フットボール』(博文館 1909)

サッカーの『フットボール』は2番目の専門書だが、『野球』と『ラグビー式フットボール』はそれぞれの競技史における実質的な最初の専門書といってよい存在である。上記3著作すべてにおいて、対YCAC戦勝利に言及されており、各競技史上における対YCAC戦勝利の意義を自覚していたことがわかる。→野球サッカーラグビー

2.3 草創期東京高等師範学校OBによるサッカーの普及

 東京高師の対YCAC戦初勝利以後、蹴球部OBによるサッカー普及が活発化する。年表化すると以下のようになる。

1902(明治35)年 サッカーを開始
1903(明治36)年 『アッソシエーションフットボール』刊行
1904(明治37)年 最初の対YCAC戦 中村覚之助卒業
1905(明治38)年 伊藤長七東京府立五中(現・小石川高)初代校長卒業
1906(明治39)年 堀桑吉卒業(愛知第一師範就職 愛知・岐阜両県の中等サッカー普及に貢献)
1908(明治41)年 対YCAC戦初勝利 『フットボール』刊行 細木志朗卒業(埼玉師範就職 埼玉県サッカーの祖) 新帯国太郎本科卒業(研究科在籍を経て滋賀師範就職)
1909(明治42)年 内野台嶺卒業(豊島師範就職 同校にサッカーを伝える) 玉井幸助卒業(御影師範就職 同校にサッカーを伝える) 落合秀保卒業(滋賀師範就職 滋賀県サッカーの祖) 錦織兵三郎志太中(現・藤枝東高)初代校長卒業
1911(明治44)年 松本寛次卒業(広島一中(現・国泰寺高)就職 同校にサッカーを伝える)

 上記のうち、伊藤と錦織は部員ではなかったが、大正時代にそれぞれ東京府立五中と志太中の初代校長として、野球部を作らせず、サッカーを校技に採用した。伊藤は最初の対YCAC戦時、錦織は対YCAC戦初勝利時に在籍しており、おそらく在籍中にサッカーを中学生にふさわしいスポーツとして理解したものと考えられる。校長となって采配を振るった中学校の校技としたことで、日本サッカー史に大きな影響を残している。

 「サッカー王国」といわれた埼玉、静岡、広島、兵庫の各県におけるサッカー普及のキーパーソンが、この僅かな期間に東京高師から輩出しているのは瞠目すべきであろう。また、新帯、落合が就職した滋賀師範からは、 1917年第3回極東選手権東京大会出場メンバー、すなわち最初の日本代表のうち実に4人が出ている。対フィリピン戦で2ゴール、すなわち日本代表初ゴールを決めた藤井(北村)春吉も滋賀師範OBであり、新帯、落合の指導を受けたはずである。

Further readings:
1) 「野球、サッカー、ラグビーの対YC&AC戦
2) 「草創期の東京高等師範学校のサッカー 対YCAC戦と2冊の専門書
3) 「内野台嶺著『蹴球思ひ出話』全文紹介

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