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日本サッカー通史の試み(22) 極東選手権での敗退続くも代表チームには変化が 

22. 極東選手権での敗退続くも代表チームには変化が

 1923年第6回極東選手権大阪大会は、第4回大会に参加をを拒否した体協が同大会に参加した大阪の日本青年運動倶楽部から参加権を回復した代償として、大阪で開催された。この大会の代表チームも勝ちぬき方式で、第2回全国優勝競技会が予選会を兼ねた。1922年11月に4地域予選の勝者が準決勝、決勝を戦った。結果は、

準決勝 名古屋蹴球団 2-1 大阪サッカー倶楽部 広島高師 3-1 アストラ倶楽部
決勝 名古屋蹴球団 1-0 広島高師

で名古屋蹴球団が優勝したが、代表チームとなるにはさらに代表決定戦で「挑戦チーム」を退けなければならなかった。挑戦チームには東京蹴球団と全国優勝競技会で名古屋蹴球団に敗れた大阪サッカー倶楽部選手を主体とする関西サッカー倶楽部が名乗りを上げた。名古屋でまず挑戦者決定戦が行われ、関西サッカー倶楽部が東京蹴球団を3-1で破った。決勝戦は3回戦方式で行われ、2勝1敗で関西サッカー倶楽部が代表となった。不可解極まりない代表決定法だが、「どうしても地元大阪から代表選手を」という思いが働いたのかもしれない。

 代表チームは明星商、関学のOBクラブである大阪サッカー倶楽部9名、広島一中のOBクラブである鯉城クラブ4名、東京蹴球団1名(清水隆三)で構成された。関西、広島、東京のチームから代表選手が構成されているのは、全国優勝競技会の開催によりサッカーの全国交流が始まった成果であろう。

 地元開催にもかかわらず、結果はまたしても対フィリピン1-2対中華民国1-5と全敗であった。対フィリピン戦で1点差まで縮め、対中華民国戦では初得点を記録した。対中華民国戦の得点者は清水直右衛門(鯉城蹴球団 広島一中→神戸高商)で、広島出身者の代表初ゴールであった。試合経過の詳細については、安達太郎(山田午郎)「覇権を目指して」 『蹴球』第6号 1933.10 p.5-8 を参照されたい。

 全体の結果は以下の通りである(左から1、2、3位)。

陸上:日 比 中
水上:日 比 中
野球:比 日 中
テニス:日 比 中
サッカー:中 比 日
バスケットボール:比 中 日
バレーボール:比 中 日

地元開催にもかかわらず、サッカー、バスケットボール、バレーボールはまたしても最下位であったが、他競技の成績により日本が総合優勝した。 

 1925年第7回極東選手権マニラ大会の代表も予選会方式で選ばれた。

準決勝 大阪サッカー倶楽部(関西代表) 2-1 早稲田大学(関東代表) 広島黒猫(中国代表) 5-0 岐阜蹴球団(東海代表)
決勝 大阪サッカー倶楽部 1-0 広島黒猫

 代表チームは前回同様大阪サッカー倶楽部(8名)を中心に、関学(5名)、関大(1名 三宅二郎)、京大1名(香川幸 広島黒猫に参加)、東大1名(竹腰重丸 広島黒猫に参加)で構成された。この時点で関東、関西で大学リーグ戦が始まっており、日常的にリーグ戦を戦っている現役大学生が代表でも活躍し始めていることが注目される。大阪サッカー倶楽部には大山義松(市岡中→関学)のような大学OBが含まれているので、この代表から大学生・大学OBが過半をしめるようになる。

 過去、東京、上海、大阪と温帯地域で開催された大会のみにしか参加しておらず、マニラの気候になじめないでフィジカル・コンディションの調整に失敗し、対フィリピン0-4対中華民国0-2で2試合とも零敗した。試合経過の詳細については、山田午郎「覇権を目指して(三) 極東大会回顧」 『蹴球』 第7号 1933年12月 p.2-5 を参照されたい。なお、この大会の代表監督は山田午郎であったのだが、山田はこの記事で代表編成の経緯詳細に言及していない。

 全体の結果は以下の通りである(左から1、2、3位)。

陸上:比 日 中
水上:日 比 中
野球:比 日 中
テニス:日 比 中
サッカー:中 比 日
バスケットボール:比 中 日
バレーボール:比 中 日

サッカー、バスケットボール、バレーボールは初参加以来の最下位を続けた。水上とテニスは「アウェー戦」で優勝しているが、極東選手権参加以来初の快挙であった。

 1923年、1925年の両大会は全敗ではあったものの、日本代表チームの構成をみると、全国大会や大学リーグ戦の開始のような日本サッカーの発展を反映して、

1) 代表選手所属チームの全国化
2) 代表選手の高学歴化

が進展していた。成果こそ伴わなかったものの、日本代表は着実に進化していたのである。
 

  

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