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日本サッカー通史の試み(24) 極東選手権(代表戦)初勝利

24. 極東選手権(代表戦)初勝利

 1927年第8回極東選手権上海大会代表も予選会方式で決定された。山田午郎「覇権を目指して(四) 極東大会回顧」 『蹴球』第2巻第1号 1934年2月 p.10-13 によれば、第1次予選が北海道、仙台、東京、名古屋、京阪、兵庫、広島、九州、朝鮮の9地域で行われ、第2次予選が1927年7月29~31日に明治神宮外苑競技場で行われた。5地域の代表が出場し、結果は以下の通りだった。

1回戦 広島蹴球団(広島) 8-2 関大蹴球団(京阪)
2回戦 WMW(東京) 2-1 神戸一中倶楽部(兵庫) 広島蹴球団 6-3 八高(名古屋)
決勝 WMW 2-1 広島蹴球団

 早稲田の現役・OB混成チームであるWMWが優勝し、早稲田の選手が主力となった。代表チームは早稲田大(予科・OB含む)14名、水戸高2名、東京帝大1名(竹腰重丸)、法政大1名(西川潤之)で構成された。日本代表史上初めて大学チームがベースとなり、全員が大学生(高校・予科含む)、大学OBとなった。チョー・ディンの直伝を受けた東京高師附中OBが鈴木重義、本田長康(以上早稲田)、近藤台五郎、春山泰雄(以上水戸高)、西川潤之(法政大)と5名いる。さらに山口高校時代にディンのコーチを受けた竹腰重丸もいた。早大勢は4年前早稲田高等学院時代にチョー・ディンの指導の下、全国高等学校蹴球大会に優勝している。この代表チームは主将鈴木重義以下「チョー・ディンの弟子たち」のチームといえた。チョー・ディンについては「日本サッカー通史の試み⑳ チョー・ディンの登場と日本サッカーの高度化」参照。

 結果は、対中華民国戦1-5対フィリピン戦2-1で、対フィリピン戦で日本代表は国際戦初勝利した。7月31日に予選会決勝が行われ、1カ月足らずの8月27日には極東選手権本戦を迎えるというあわただしさだった。どれだけ準備ができたのかと思われるが、対フィリピン戦の先発イレブンは早稲田7名で、残り4名も東京高師附中OB3名と竹腰重丸であり、単独チームをベースに主将鈴木重義の中学校の後輩を補強した、息の合ったチームだったようである。従来の全国的補強が成果をあげなかったことを反省したのかもしれない。

 日本代表の初勝利はチョー・ディンの優れたコーチングを受けてショート・パス戦術をマスターし、大学に進学した選手たちによるものだった。日本の3得点はチョー・ディンの直弟子、竹腰重丸2点、鈴木重義1点(PK)。この2人は現役引退後もJFA、日本代表の指導者として日本サッカーを牽引する存在となる。

 全体の結果は以下の通りである(左から1、2、3位)。

陸上(個人):日 比 中
陸上(団体):日 比 中
水上:比 日 中
野球:日 中 比
テニス:中 日 比
サッカー:中 日 比
バスケットボール:比 中 日
バレーボール:中 比 日

 上海開催という「アウェー戦」であったが日本が総合優勝し、日本スポーツ界全体の躍進を示した。これまで最下位の常連だった3種目のうち、サッカーは最下位を脱したが、バスケットボール、バレーボールはまたも最下位だった。陸上競技と水上競技は翌年の1928年オリンピック・アムステルダム大会で初の金メダルを獲得することになる。


       

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