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日本サッカー通史の試み(26) 協会理事選とFIFA加盟

 日本サッカー通史の試み⑩ 東京蹴球団の創立と活動でも述べたように、1921年の大日本蹴球協会設立時点ではサッカーはそれほど大学に普及しておらず、協会の中心となったのは東京高師、青山師範、豊島師範のOBチームであった東京蹴球団系の人々だった。初代理事7名中過半数の4名が東京蹴球団関係者だった。

 代表チームで主導権を握り、1927年極東選手権で初勝利する実績をあげた大学関係者は師範系関係者による協会運営に不満をもち、1929年の理事改選で「選挙工作」を行い、協会運営でも主導権を握る。その経緯は「日本のサッカー古代史(下)」(『サッカー』no.15 1962所収)という座談会で以下のように述べられている。

“新田(純興):「このあと協会の改造がありますね。日本サッカーは高等師範や青山、豊島の師範系の人がリードして来たんだが、大学の関係者が理事に多数送りこまれるようになっている。」
鈴木(重義):「昭和四年の改選だね。今や日本のサッカーが国際蹴球連盟(FIFA)に加盟して世界的に伸びるためには、ぜひとも大学の連中が出なければいかん。大学系の人たちが基幹となって全国的にまとめていこうといううんでやったんですよ。」
野村(正二郎):「僕らはそのころのことしか知らないんだ。今までの古代史はどうもネ(笑い)」
鈴木:「それで各大学の主だった人々が私の家に集まって、どうも協会はこのままではいかん。大改造をするか、つぶしてしまうかという動きが出ましてネ。私が遅く家に帰ると私の家は各大学の主だった人がもういっぱいに集まっていて今度の(昭和四年)改選期にはぜひ何とかしたいと協議中だった。そのころ大学出で協会の役員をしていたのは野津さん、岸本武夫さん、慶応の千野正人さんと僕。それが並び大名的存在だった地方代表の理事にも呼びかけて、従来のような白紙委任や、前回通りという投票ではなく、新らたに堂々と投票してもらいたいという運動をやったんだ。理事会の席上での野津さんとのチームワークも成功して、われわれの提案が採用された。その結果われわれの申し合わせた人達は最下点ではあったが、とにかく理事に就任した。その顔振れは、中島道雄、井染道夫、峯岸春雄、竹腰重丸の四人だった。その時の最高点は山田の午郎さん。」
新田:「しかも一年ばかりすると、その午郎さんを、運動部担当の新聞記者を理事にしておくのは具合が悪いといって辞めてもらったりしている。他の理事が辞めた時に例をみない記念品贈呈なんかをやってるところをみると、よっぽど苦心したんだネ。(笑い)」”

 1927年代表チーム主将だった鈴木重義(早大)が中心となり、当時まだ代表の現役選手だった竹腰重丸(東大)も参加している。改選後の理事の顔ぶれは常務理事:鈴木重義(早大)、理事:吉川準治郎(豊島師範)、野津謙(東大)、山田午郎(青山師範)、千野正人(慶大)、井染道夫(明大)、中島道雄(東大)、峯岸春雄(東京農大)、竹腰重丸(東大)となった。筆頭理事の鈴木で27歳、最年少理事の竹腰は23歳という若さだった。

 師範系と大学系が何をめぐって対立したかは不明である。1928年オリンピック・アムステルダム大会では陸上と水泳で金メダルを獲得し、両競技は世界を制していた。三段跳びの金メダリスト織田幹雄は早稲田大生で、鈴木の後輩にあたる。代表チームを構成し、大学体育会や体協で両競技と横並びになる大学系が「世界」を意識し、代表チームの水準向上により重きを置く協会運営を図ったようである。この後、鈴木と竹腰は代表チームも主導することになる。

 日本サッカー通史の試み⑯ 大日本蹴球協会の創立(3)で述べたように、1928年オリンピック・アムステルダム大会には野津謙が体協役員として参加し、当時アムステルダムにあったFIFAの役員と会合して、日本のFIFA加盟の内諾を得ていた。1929年5月にバルセロナで開催された第18回FIFA総会で日本の加盟は正式に承認された。なお、このFIFA総会は翌年の第1回ワールドカップ開催を決議した歴史的な総会でもあった。

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