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日本サッカー通史の試み(36) オリンピック代表決定

36. オリンピック代表決定

 1936年3月26日~4月15日に代表候補合宿が早大東伏見グラウンドで行われ、4月22日以下の代表16名が発表された。

FW
加茂正五(浜松一中→早大) 21歳 172cm 62.5kg
川本泰三(市岡中→早大) 23歳 172cm 68kg 
加茂健(浜松一中→早大) 22歳 168cm 59.5kg
高橋豊二(成城中→成城高→東大) 22歳 170cm 65kg
西邑昌一(甲陽中→関学高商部→早大) 25歳 168cm 57.8kg
松永行(志太中→東京文理大) 23歳 170cm 64kg

HB
右近徳太郎(神戸一中→慶大) 24歳 171cm 60kg 
種田孝一(東京府立五中→水戸高→東大) 23歳 175cm 67kg
金容植(普成専門学校) 26歳 165cm 64.5kg
笹野積次(志太中→早大) 23歳 165cm 61.5kg
立原元夫(東京高師附中→早大) 24歳 164cm 64kg
 
FB
鈴木保男(東京府立八中→早大) 24歳 169cm 64kg 
竹内悌三(東京府立五中→浦和高→東大 OB) 29歳 170cm 62kg
堀江忠男(浜松一中→早大) 24歳 167cm 64kg
 
GK
佐野理平(静岡中→早大) 25歳 172cm 68kg
不破整(東京府立五中→早大) 21歳 175cm 64kg

平均年齢:23.7歳 平均身長:169.6cm 平均体重:63.5kg

早大10名、東大3名、東京文理大1名、慶大1名、普成専門学校1名という内訳になった。主将の竹内と朝鮮から選出された金を除けば、全員前年秋時点で関東学生リーグの現役選手だった。スタッフは監督:鈴木重義(早大)、コーチ:竹腰重丸(東大OB)、工藤孝一(早大OB)、マネジャー:小野卓爾(中大OB)となった。

 2年前の第10回極東選手権マニラ大会代表が関東・関西ほぼ同数のピックアップ・チームで、しかもOB選手が多くてチームがまとまらず、1勝2敗の不成績だった反動で、単独チーム(早大)を土台とし、年齢的にも現役大学生(平均年齢23.7歳)を中心とした。また、監督・コーチの出身校の後輩選手が大部分で、チームのまとまりを重視した構成となった。単独チームを主体とし、主として関東学生リーグから選抜することは、前年9月15日の「銓衡綱要」で決定し、協会機関誌 『蹴球』1935年10月号 p.4 に「大日本蹴球協会公告 オリムピック選手銓衡綱要」として公表されていた。関西、朝鮮から批判されたが、関東側からすれば「既定の方針」どおりに選考したというところだろう。

 出身中学別にみると、静岡県6名、東京府6名、兵庫県2名、大阪府1名、朝鮮1名であり、他の府県からは選ばれていない。1936年時点でも静岡県は「サッカー王国」だった。個別中学では浜松一中(現・浜松北高)3名、東京府立五中(現・小石川高)3名、志太中(現・藤枝東高)2名で、この3校で半分をしめた。

 『蹴球』4巻2号 1936.6 に選手のプロフィールが掲載されている。加茂正五、加茂健、西邑昌一、金容植、竹内悌三は小学生時代にサッカーを始めている。それ以外の選手全員も中学生時代にはサッカーを始めている。川本泰三、西邑昌一、右近徳太郎、立原元夫、鈴木保男、堀江忠男の6名は1934年第10回極東選手権マニラ大会の代表で、竹内悌三も1930年第9回極東選手権東京大会の代表だった。川本泰三や右近徳太郎などのように、大学予科1年からレギュラーとして関東学生リーグ1部に出場していた選手も多く、平均年齢は若いチームだったがサッカー選手としてのキャリアは豊富なメンバーだった。

 4月23日から碑文谷の勧業銀行グラウンドで3次にわたる合宿を行い、以下のように多くの練習試合を重ねた。

4月26日 代表 9-0 早大
5月2日 代表 4-1 関東学生選抜
5月7日 代表 9-5 慶大
5月9日 代表 6-0 明大
5月10日 代表 3-1 東大
5月18日 代表 2-0 早大
5月20日 代表 2-1 東大
5月21日 代表 13-0 明大
5月24日 代表 8-0 東京蹴球団
5月26日 代表 2-4 慶大
5月29日 代表 6-1 東京商大
6月12日 代表 9-2 東大

 6月13日にはレインボーグリルで歓送会が行われ、6月20日選手団本隊として明治神宮参拝、皇居遥拝の後、平沼亮三団長ら150名と東京駅を出発した。なお、この時サッカーの主将、竹内悌三が選手団全体の先頭に立つ旗手を務めた。 
 


 

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