ダイヤモンドサッカーが放映され始められたころ、兵庫県に住んでいたので、サンテレビで視聴した。番組名は「ダイヤモンドサッカー」だったと記憶していたが、東京以外では「ダイヤモンド」は三菱の「菱」を連想させたので、スポンサーに配慮して「ワールドサッカー」他の番組名だったとのこと。1972(昭和47)年1月24日(月)の朝日新聞大阪本社版テレビ欄ではPM10:00は
“ワールド・サッカー「世界選手権メキシコ大会」~準決勝~ 西ドイツ=イタリア(後)”

になっている。人間(私)の記憶なんてあてにならないものだ。なお、左がサンテレビで右が近畿テレビ(京都)、兵庫と京都は同時間帯で番組内容も同時放送だったことがわかる。放映試合は、ベッケンバウアーが包帯して強行出場したあの試合。サンテレビが独自につけた番組名が「ワールド・サッカー」で、新聞のテレビ欄にもそう表記されたのであろうが、おそらく番組中で金子・岡野氏は自番組を「三菱ダイヤモンド・サッカー」と呼んでいたに違いなく、それ故番組名を「ダイヤモンドサッカー」と記憶していたのではないだろうか。
サンテレビのスポンサーも三菱グループだったように記憶しているが、こちらは確認しようがない。神戸は三菱財閥と川崎財閥の企業城下町なので、三菱がスポンサーについても不思議はない。浦和レッズのルーツも三菱重工神戸造船所サッカー部。神戸で「菱」といえばオモテは三菱重工、ウラはY組、どちらも日本一のブランドだw
ところで、東京12チャンネルもこの当時月曜PM10:00に放映していたが、こちらは1970年ワールドカップ・シリーズはもう終了していてイングランド・シリーズに復帰している。同日の1972(昭和47)年1月24日(月)朝日新聞東京本社版テレビ欄は、
“サッカー「ノッティンガム対ダービー」前半戦 解説岡野俊一郎”

「三菱」も「ダイヤモンド」もテレビ欄には反映されてない! 放映は東京が先行して、「地方」はタイムラグがあったようだ。ペレを筆頭にベッケンバウアー、チャールトンなどスーパースター揃いだった1970年ワールドカップの直後にノッティンガム対ダービーでは地味すぎるw ワールドカップでブラジル、ウルグアイの華麗なプレー、西ドイツ対イタリア、イングランドの死闘を見た後のイングランド・リーグ戦はいささか単調で退屈に感じた人は私だけではあるまい。
記念すべき第1回放映、1968(昭和43)年4月13日(土)PM3:00の朝日新聞東京本社版テレビ欄は、
“英プロサッカー「T・ホットスパー対M・ユナイテッド」”

「ええモン見せたろ」という意気込みが伝わってくるカードですね。