日本語論文による初期アメリカ女子サッカー史
西山敏子「女子のキッキンク・ゲーム--その歴史とアメリカの女子サッカー規則--付随DGWS」『神戸女学院大学論集』19(3) 1973 p.33-54
“アメリカの女子サッカーは男子の規則の一部を変更したものである。女子には激しすぎると考えられる部分が削除され、規則の数ヵ所が女子の体力にあわせて規正された。1919年ペンシルバニアのブリアン・マウア大学に於て行われた試合が女子サッカー試合の皮切りであったと記録されている。アメリカ健康体育レクリェーション協会(American Association of Health, Physical Education and Recreation-以後AAHPERと略す)の婦女子スポーツ部(National Section on Women's Athletics-現在は改名してDivision for Girl's and Women's Sports、略してDGWS)が女子のために最初のサッカー公式規則を編成、出版したのは1927年のことであった。
米国に於ける女子サッカーの普及状態
こうして1927年に公式規則が初めて設定され女子体育プログラムにとりあげられたサッカーは徐々に各地の小・中・高等学校・大学に浸透していった。その原因となるものは第1に経済的理由である。設備としては競技場とゴール、用具はボール、服装は運動服と運動靴があれば事足りた。2つのチームを識別するためには赤のピニィ(2枚の布を胸と背中に位置するよう両肩で紐でつなぎ下部にもひもをつけて腰の両脇で締める。ゼッケン)があれば充分である。第2には多数の競技者が同時に参加出来る。第3には年齢や技術の程度にあわせて適用できる。第4には巧緻性・敏捷性・バランスを発達させるものであり、特に脚・足が主体となるこのスポーツには他にみられない魅力があった。
こうして1930年代になると多くの小学校と中学校がサッカー・リードアップ・ゲームを単純なものから複雑なものに学年にあわせて発展させてゆき、中学の最高学年・高等学校・大学に於ては女子規則によるサッカーを行なうようになった。現在過半数の小・中学校が生徒の身体発達に応じて修正されたサッカータイプのゲームを採用し、約半数の大学がサッカーをカリキュラムにとりあげている。就中サッカーは高等学校女生徒に最も人気があり、大学レベルになるとバトミントン・テニス・水泳・カヌー・ボーリング・ゴルフ・トランポリンなどの個人スポーツが中心となり、サッカーのみならずスピードボール・ホッケー・バスケットボールなどのチーム・スポーツは高等学校に比べて普及率が低い。”(p.36-37)
掲載誌は神戸女学院大学の紀要だが、神戸女学院中等部は1967年3月19日に福住女子サッカー少年団と日本最初の女子サッカー試合を行なっている。
American Association of Health, Physical Education and RecreationはAmerican Physical Education Associationの改称後名。
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