第1回全国都市対抗蹴球選手権大会の予想記事
読売新聞1955年7月1日付
“呼声高い東京ク
きょうから全国都市対抗サッカー
読売新聞社後援第一回全国都市対抗サッカー選手権大会はきょう一日から五日まで後楽園競輪場および野球場で各地区予選(関西のみ推選)を経た十七チームによって優勝が争われる。
出場チームのうち実業団の会社代表は湯浅乾電池、大協石油、新日窒の三チームで鋼管川崎は六月の第一回全国府県対抗実業団サッカー選手権大会に優勝した日本鋼管を主体に若干選抜選手を加えている。清水サッカーも全日本選手権大会にしばしば出場した日本軽金属に東亜燃料の選手を加えた混成軍。
京都紫光は昨年の第九回国民体育大会で一般の部に優勝したチーム、京大、師範、学芸大出身者の京都中学、高校教諭の集まりであるが、高知農高OBで固めた農村青年の高知農業クラブという異色あるチームの参加もあり、ただ一人外人選手イングランド出身のマクドナルドをゴールキーパーに加えた東京クラブなど、広範囲にわたる各選手層を集めた大会である。
優勝候補の随一は東京の各大学OBで固めた東京クラブの呼声が高く、GK岡田(早出)村岡(教出)マクドナルドFB青木(早出)丸山(中出)石坪(立出)HB大埜(東出)三村(中出)李(中出)海老原(東出)浜田(立出)FW鈴木(慶出)竹島(同)岩淵(同)松永(教出)加納兄(早出)吉原(中出)長沼(同)小田島(早出)能勢(明出)などで関東代表のメンバーをほとんど集合している。”
東京クラブは“関東代表のメンバーをほとんど集合している”とあるが、1955年4月3日に行なわれた東西対抗サッカーの関東代表は、
GK 村岡(教大出) FB 青木(早大出) 景山(立教) HB 李(中大出) 三村(中大出) 大埜(東大出) FW 鈴木(慶大出) 小林(慶大出) 田中(中大) 岩淵(慶大出) 加納(早大出)
となっていて記事のとおりである。
東京クラブは正力松太郎の肝いりでできたひそかにプロ化をめざしていたクラブ。松永碵氏がその顛末を記している。
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