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日本が戦後オリンピック招致に動き始めたのは1951年7月5日

古河電工が全日本選手権や都市対抗に実業団チームとして参加し始めるのは1959年だが、1959年は東京オリンピック開催が決定した年でもある。東京オリンピック開催決定を受けて、実業団チームが強化を図り始めたのであろう。

日本が戦後オリンピック招致に向けて動き始めたのはいつごろからなのだろうか。新聞記事を調べてみると、日本がオリンピック復帰した1952年ヘルシンキ大会の前年、1951年には招致に動き出している。

『朝日新聞』1951年7月6日付

日本で第十七回五輪大会
   体協IOC総会に提案

 体協国際委員会が五日お茶の水岸体育館で開かれ、一九六〇年(昭和三十五年、ヘルシンキ、メルボルンの次ぎ)の第十七回オリンピック大会を日本に招致する意向を決めた。オリンピックの開催地立候補は都市が行うことになっているので東京都を予想し、浅野国際委員会総務主事が近く東京都知事と話しあうことになった。この話合いが決まれば明年のオリンピックの時に開かれるIOC総会に東京都から正式に提案されることになろう。なお第十七回オリンピックにはローマ、ローザンヌ、デトロイトその他一、二の都市がすでに立候補している。

(注)わが国のオリンピック開催は一九三三年ごろに話がはじまり、ベルリン・オリンピックに次いで一九四〇年(昭和十五年)に東京で開かれることに決まったのであったが、日華事変が深刻化し遂に返上したものであった。

国際委員会総務主事浅野均一氏談 水泳連盟やその他の競技団体にオリンピック招致の希望が強くなってきたし、一般国民にも喜ばれることなので招致運動を起すことになった。大分さきのことだがほかに立候補都市もあることだし、話がきまれば出来るだけの手を打ちたい。

安井都知事談 大いに歓迎したい。招致についてはいろいろ形式もあることだろうから、各団体とも相談の上実現を期したい。”

日本のオリンピック復帰がIOC総会で決定したのが1951年5月7日。その僅か2カ月後に体協がオリンピックの日本招致を計画している。サンフランシスコ講和会議は2カ月後の11月、講和条約が発効するのは1952年4月28日。日本が主権回復する前に、占領下で早くもオリンピック招致に動き出していたのである。

出足の早さにビックリ。

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