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新三菱重工サッカー部の東京移転

1945年の敗戦とともに三菱重工業は「財閥解体」の対象となり、東日本重工業、中日本重工業、西日本重工業に3分割された。中日本重工業は、名古屋以西、三原以東の事業所を三菱重工から継承し、本社を神戸造船所のある神戸市に置いた。占領終了後の1952年に3社はそれぞれ、三菱日本重工業(旧東日本重工業)、新三菱重工業(旧中日本重工業)、三菱造船(旧西日本重工業)に社名変更する。1964年に3社は合併し、三菱重工業が復活する。→三菱重工公式HPの「沿革」

浦和レッズの遠祖にあたる新三菱重工サッカー部は中日本重工時代の1950年に、後に三菱自工会長となる岡野良定(広島一中→広島高校→京大)を中心に結成され、主力選手は地元有力大学の関西学院OBだった。全国大会には1956年の第2回全国都市対抗サッカー選手権大会に神戸市代表として初出場し、決勝まで進出して当時この大会で無敵を誇った東京クラブに0-1で惜敗している。次に都市対抗に出場するのは、1962年第8回大会で、東京代表の「全三菱」として出場し、3位になっている。1962年の都市対抗には新三菱重工水島も倉敷市代表として出場している。

全日本実業団サッカー選手権はJFAと朝日新聞社の共催だったが、朝日新聞記事に全試合の記録がないので、新三菱重工の初出場がいつだったかは確認できない。1957年第10回大会に関西代表として出場し、1回戦で日立本社に1-4で敗れている。

『新三菱重工業株式会社史』(三菱重工 1967)の「付録・年表」によれば、1958年4月1日に本社を東京(丸の内)に移転する(p.712)。大住良之「プレヒストリー 1950-1991」『浦和レッズ10年史』(ベースボール・マガジン社 2002) p.89-91 には以下の記述がある。

“1958年、新三菱重工が本社を東京に移転したため、サッカー部選手の大半も東京に転勤して、三菱は東京のチームとなる。翌59年には、慶応大学から二宮寛(3代目監督、後に日本代表監督)が入社、右の二宮、左の北口晃と、強力な両ウイングがそろって全日本実業団選手権で決勝に進出した。ここでも再び古河に敗れたものの、東京の古河、北九州の八幡製鉄、広島の東洋工業、そして東京の日立製作所と並ぶ実業団のトップクラスと自他ともに認めるチームとなった。”(p.89)

上記大住氏の記述によれば、1958年にサッカー部も東京移転したように思えるが、1959年第12回大会にも「関西代表」として出場し、決勝まで進出して古河電工に0-2で敗退している。当時の新三菱重工は実業団サッカーの新興勢力で、本大会の朝日新聞総評記事で大谷四郎氏に“新三菱の活躍はA級グループに新手を加えた感じだった。”と評されている。翌1960年第13回大会にも関西代表として出場し、準々決勝で八幡製鉄に0-4で敗退している。1961年第14回大会になって「関東代表」となり、準々決勝で東洋工業を1-0で下したものの、準決勝で日立本社に1-2で敗退、3位決定戦では八幡製鉄に2-0で勝利して3位になっている。

読売新聞DBのヨミダス歴史館を「新三菱重工 AND サッカー」で検索すると、1960年8月29日付に「全日本実業団サッカー選手権関西予選最終日(28日・西宮)」があり、新三菱重工が大阪ガスを4-2で下して関西代表になっている。1960年10月10日付の「関東実業団サッカー・リーグ第一週第二日(9日・小石川)」では新三菱重工が5-2で日本鋼管に勝利している。関西代表として出場した1960年9月24日の全日本実業団選手権準々決勝で八幡製鉄に敗れている。

新三菱重工サッカー部は1960年9月までは関西に所属し、1960年10月から関東に所属したことになる。1960年10月をもってサッカー部は東京移転したのだろうか。

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新三菱重工が関西代表になっている 『朝日新聞』1960年9月17日付

丸の内御三家の中では、日立が戦前の関東実業団選手権にも優勝している一番の「老舗」だった。他2社は、古河電工は1955年の「社技」指定後に強化され、三菱重工も戦後1950年の創部で発祥の地は神戸、実業団選手権で「関東代表」になったのは1960年代に入ってから、という新興チームだった。

1959年の東京オリンピック開催決定後、クラマー・コーチの招へいや海外遠征などの日本代表強化プロジェクトにこれら3チームのコーチ、選手が多数参加したことによって、サッカー界の主導権をこれら3チーム出身者が握る基盤が整っていくことになる。

新三菱重工サッカー部の東京移転は、オリンピックに合わせたような、絶妙のタイミングだったといえよう。

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