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ご近所探訪

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松陰神社にある吉田松陰の墓所

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安政の大獄で松陰を処刑した井伊直弼の墓所はすぐ近くの豪徳寺に

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再び松陰神社。日露戦争時の首相、桂太郎の墓所も。松下村塾に入塾してないが、遺言でここに埋葬されたとのこと。死んでからも群れたがる長州閥。

山県有朋直系の桂は、伊藤博文直系の西園寺公望と明治末政権交代を繰り返し、「桂園時代」といわれた。その政権交代のなれあいぶりを、中野正剛が常陸山と梅ヶ谷の両横綱が八百長で優勝を分け合ったことに模して皮肉っている

伊藤博文-西園寺公望-原敬の立憲政友会に対抗して、桂は晩年自らの政党立憲同志会を設立し、山県からの自立を図るが、徹底した政党嫌いの山県に妨害されて失敗に終わる。その「桂新党」に結党から参加して野党から裏切り者扱いされたのが島田三郎。その息子が初代早稲田大学ア式蹴球部長島田孝一。島田考一は野村正二郎とともに1938年第3回ワールドカップ・フランス大会時のFIFA総会に大日本蹴球協会から派遣され、決勝・準決勝を含む6試合を観戦している。優勝したイタリアのジュゼッペ・メアッツァをナマで観ている希少な日本人のひとりである。

桂が政党政治家への転身に失敗した後、長州閥に対抗して、薩摩閥と政友会が結託して第一次山本権兵衛内閣ができたが、首相の出身母体海軍の汚職事件シーメンス事件が起こる。衆議院で事件追求の先頭に立ったのが、野党となった立憲同志会の島田三郎、そして薩摩閥との妥協に反発して政友会を脱党した連中を中心に結成された中正会の花井卓蔵(花井自身は政友会系ではない)。花井の息子がベルリン・オリンピック日本代表、立原元夫。

長州閥・陸軍のエリート・コースを歩んだ桂のライバルが、薩摩閥・海軍の山本権兵衛(桂の4歳下)。山本は海軍兵学寮2期生で、アーチボルト・ダグラスが指導した最初の生徒の1人。フットボールをした最初の日本人の可能性がある。

というわけで、無理やりサッカーにこじつけてみました。


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