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全国都市対抗サッカー選手権大会記録

『読売新聞』より。

第1回1955年

1955年7月1日 1回戦 東京ク(東京) 5-0 浦和ク(浦和市)

1955年7月2日 2回戦 甲府ク(甲府市) 4-4(抽選で甲府勝ち) 盛岡ク(盛岡市) 京都紫光ク(京都市) 8-0 高知農ク(高知長岡村) 島原ク(島原市) 3-2 大協石油(四日市市) 鋼管川崎ク(川崎市) 7-0 山口ク(山口市) 東京ク(東京) 11-0 富山ク(富山市) 芦屋ク 3-2 新日本窒素(水俣市) 湯浅電池(高槻市) 4-0 函館ク(函館市) 清水ク(清水市) 3-0 広島キッカーズ(広島市)

1955年7月3日 3回戦 東京ク 9-0 芦屋ク 清水ク 5-1 湯浅電池 甲府ク 0-0(抽選で甲府勝ち) 日本鋼管 3-1 島原ク

1955年7月4日 準決勝 鋼管川崎 2-0 甲府ク 東京ク 5-0 清水ク

1955年7月5日 決勝 東京ク 5-2 鋼管川崎 3位決定戦 清水ク 2-0 甲府ク

出場チームのうち、甲府クラブはヴァンフォーレ甲府の、京都紫光クラブは京都サンガの前身である。

日本代表クラスの大学OBを集め、ひそかにプロ化をめざしていた東京クラブが5試合で総得点35、失点2、という圧勝劇を演じている。各試合の出場選手は、

1回戦 GK マクドナルド FB 青木 土井田 HB 李 海老原 大埜 FW 松永 長沼 鈴木 岩淵 加納
2回戦 未掲載
3回戦 GK 村岡 FB 石坪 丸山 HB 大埜 海老原 浜田 FW 竹島 小田島 鈴木 能勢 松永
準決勝 GK マクドナルド FB 土井田 青木 HB 李 海老原 浜田 FW 竹島 長沼 鈴木 岩淵 加納
決勝 GK 岡田 FB 土井田 青木 HB 大埜 海老原 小田島 FW 松永 長沼 鈴木 岩淵 加納

現在では考えられない5日間5試合だが、20名までエントリーできたので、選手をターンオーバーして乗り切ったようだ。選手のレベルが高いだけでなく、選手層も厚かったようである。

第2回1956年

読売の社告で第1回は「蹴球」だったのが、「サッカー」に変っている。

1956年8月16日 1回戦 東京ク(東京) 7-1 全秋田(秋田市)

1956年8月17日 2回戦 東京ク(東京) 4-2 函館サッカー(函館市) 清水サッカー(清水市) 3-2 広島キッカーズ(広島市) 全大阪(大阪市) 4-0 大分サッカー(大分市) 川崎ク(川崎市) 12-0 金沢サッカー(金沢市) 新三菱重工(神戸市) 5-2 甲府ク(甲府市) 八幡製鉄(八幡市) 5-0 富岡サッカー(徳島) 浦和サッカー(浦和市) 5-1 刈谷サッカー(刈谷市) 京都紫光(京都市) 5-1 半田山ク(岡山市)

1956年8月18日 3回戦 東京ク 5-0 清水サッカー 全大阪 4-2 川崎ク 新三菱重工 2-0 八幡製鉄 浦和サッカー 4-3 京都紫光

1956年8月19日 準決勝 新三菱重工 1-0 浦和ク 東京ク 4-2 全大阪

1956年8月20日 決勝 東京ク 1-0 新三菱重工 3位決定戦 浦和ク 2-0 全大阪

実業団サッカーの強豪、八幡製鉄と新三菱重工(浦和レッズの前身)が加わり、第1回より接戦が増えている。東京クラブが第1回に引き続き1回戦から出場しているのは、同チームが大会の目玉だったからだろうか。

東京クラブの出場メンバーは、

1回戦 GK マクドナルド FB 青木 長井 HB 李 海老原 高林 FW 松永 小林 鈴木 小田島 田中
2回戦 GK マクドナルド FB 青木 李 HB 鈴木吉 大埜 芳賀 FW 能勢 小田島 鈴木得 高林 田中
3回戦 GK 村岡 FB 三村 土井田 HB 李 海老原 小田島 FW 岩淵 長沼 松永 芳賀 鈴木得
準決勝 GK マクドナルド FB 土井田 青木 HB 李 三村 小田島 FW 松永 長沼 鈴木得 小林 岩淵
決勝 GK マクドナルド FB 長井 青木 HB 李 海老原 大埜 FW 松永 小林 鈴木得 長沼 田中

この年の11月27日メルボルン・オリンピック対オーストラリア戦の日本代表には、小林忠生、岩淵功が出場し、長沼健、三村恪一がベンチ入りしている。

第3回1957年

東京キッカーズは東京クラブが名称変更したようで、連続出場扱いになっている。

1957年9月3日 1回戦 東京キッカーズ(東京) 5-2 松尾鉱山(岩手)

1957年9月4日 2回戦 東京キッカーズ(東京) 2-1 新日本窒尚和会(熊本水俣) 専売公社広島(広島) 2-1 全堺(堺) 名古屋サッカー(名古屋) 2-1 甲府クラブ(甲府) 全大阪(大阪) 3-0 富山蹴球ク(富山) 八幡製鉄(八幡) 2-1 全函館ク(函館) 清水サッカー(清水) 2-0 浦和サッカー(浦和) 日本ダンロップ(神戸) 8-1 協和発酵(防府) 日本鋼管川崎ク(川崎) 4-0 富岡サッカー(徳島県富岡)

1957年9月5日 3回戦 日本ダンロップ 4-1 日本鋼管川崎ク 八幡製鉄 2-1 清水サッカー 名古屋サッカー 4-1 全大阪 東京キッカーズ 3-0 専売広島

1957年9月6日 準決勝 名古屋サッカー 2-1 東京キッカーズ 八幡製鉄 1-0 日本ダンロップ

1958年9月7日 決勝 八幡製鉄 5-0 名古屋サッカー 3位決定戦 東京キッカーズ 2-0 日本ダンロップ

東京キッカーズの出場メンバーは、

1回戦 GK 松田 FB 土井田 青木 HB 大埜 海老原 荒川 FW 杉野 小林 鈴木 岩淵 松沢
2回戦 掲載なし
3回戦 GK 松田 FB 土井田 青木 HB 松岡 海老原 大埜 FW 竹島 小林 鈴木 小田島 岩淵
準決勝 GK 岡田 FB 土井田 大埜 HB 小田島 海老原 松岡 FW 桑田 小林 鈴木 岩淵 竹島

大会前の予想では東京キッカーズのレギュラーは、GK 岡田(早出) FB 土井田(慶出) 青木(早出) 大埜(東出) 海老原(東出) FW 桑田(早出) 岩淵(慶出) 小林(慶出) 加納(早出) 竹島(慶出) と、全員早大、慶大、東大OBになっていて、東京クラブ時代の村岡(東教出)、松永(同)、長沼(中出)、三村(同)、李(同)など上記3大学以外のOBが消えている。名称変更は何らかの「お家騒動」にともなうものだったのだろうか。

関東大学OBのオールスター・チームだった東京クラブは、2年後早大、慶大、東大3大学OBのみの東京キッカーズになり、連続優勝も2回どまりの結果となった。

第4回1958年

1958年8月16日 1回戦 東京キッカーズ(東京) 1-0 東邦レ徳島(徳島県北島町)

1958年8月17日 2回戦 東京キッカーズ(東京) 3-2 全函館(函館市) 全大阪(大阪市) 11-1 富山サッカー(富山市) 茨城日立(日立市) 2-0 大分サッカー(大分市) 名古屋サッカー(名古屋市) 3-1 広島修道OB(広島市) 清水サッカー(清水市) 4-1 全甲府(甲府市) 神戸日本ダンロップ(神戸市) 8-0 岡山旭ク(岡山市) 八幡製鉄(八幡市) 7-1 盛岡ゼブラ(盛岡市) 浦和サッカー(浦和市) 2-0 湯浅電池(高槻市)

1958年8月18日 3回戦 浦和サッカー 3-1 八幡製鉄 日本ダンロップ 5-2 清水サッカー 茨城日立 2-2(抽選) 名古屋ッカ― 東京キッカーズ 4-1 全大阪

1958年8月19日 準決勝 東京キッカーズ 5-2 茨城日立 浦和サッカー 2-1 日本ダンロップ

1958年8月20日 決勝 東京キッカーズ 3-2 浦和サッカー 3位決定戦 日本ダンロップ 0-0 茨城日立

東京クラブの系譜を継いだ東京キッカーズが4年間で3度目の優勝。この後解散したようで、次回大会から参加はない。
 
第5回1959年

東京代表トリック・クラブは東大OB、立教大OB、インターナショナル(マjクドナルド氏)、中央大OBの頭文字からとったクラブチーム。東京キッカーズは解散したもよう。

1959年8月15日 1回戦 秋商ク(秋田市) 2-1 東邦レ徳島(徳島県北島町) トリック・ク(東京) 6-0 住友奔別(三笠市)

1959年8月16日 2回戦 全大阪(大阪市) 4-0 専売広島(広島市) トリック・ク(東京) 4-0 秋商ク(秋田市) 名古屋サッカー(名古屋市) 3-0 ビクターオート所沢(所沢市) 八幡製鉄(八幡市) 9-0 高岡サッカー(高岡市) 日本ダンロップ(神戸市) 6-2 全甲府(甲府市) 帝人三原(三原市) 0-0(抽選) 清水サッカー(清水市) 湯浅電池(高槻市) 2-0 日立多賀(日立市) 古河電工(東京) 7-0 鶴屋百貨店(熊本市)

1959年8月17日 3回戦 古河電工 5-0 湯浅電池 日本ダンロップ 4-2 帝人三原 八幡製鉄 5-0 名古屋サッカー トリック・ク 1-0 全大阪

1959年8月18日 準決勝 八幡製鉄 1-1(抽選) トリック・ク 古河電工 2-1 日本ダンロップ

1959年8月19日 決勝 古河電工 4-1 八幡製鉄 3位決定戦 トリック・ク 3-1 日本ダンロップ
古河電工 GK 小林 FB 平木 宮崎 HB 小川 大塚 小川原 FW 能勢 内野 岩淵 長沼 八重樫
八幡製鉄 GK 皆本 FB 原田 長野 HB 村山 石川 寺西 FW 坪島 井沢 宮本 佐伯 大石

過去4回中3回を東京クラブ、東京キッカーズが優勝したが、平木、内野、岩淵、長沼、八重樫など日本代表クラスを揃えた古河電工が東京代表実業団チームとして初優勝している。岩淵、長沼は東京クラブのメンバーとしても優勝を経験している。クラブ・チームではなく所属実業団チームから出場するようになり、

クラブ・チーム → 実業団

への流れの節目は1959年あたりだったようである。

第6回1960年

1960年8月13日 1回戦 古河電工(東京) 5-0 岩瀬蹴球(富山市) 大阪府・市職員(大阪市) 7-1 国策パルプ(旭川市) 

1960年8月14日 2回戦 古河電工(東京) 7-0 大阪府・市職員(大阪市) 栃木日立(大平村) 8-2 島原サッカー(島原市) 日本鋼管(川崎市) 1-0 紫光ク(京都市) 名古屋サッカー(名古屋市) 6-0 帝人三原(三原市) 広島専売(広島市) 3-0 日本ダンロップ(神戸市) 茨城日立(日立市) 3-2 清水サッカー(清水市) 東邦レ徳島(北島町) 2-2(抽選) 全秋田(秋田市) 八幡製鉄(八幡市) 2-0 浦和サッカー(浦和市)

1960年8月15日 3回戦 八幡製鉄 4-0 東邦レ徳島 茨城日立 4-2 広島専売 日本鋼管 3-3(抽選) 名古屋サッカー 古河電工 10-0 栃木日立

1960年8月16日 準決勝 古河電工 2-2(抽選) 日本鋼管 八幡製鉄 3-1 茨城日立

1960年8月17日 決勝 古河電工 3-0 八幡製鉄 3位決定戦 茨城日立 2-0 日本鋼管
古河電工 GK 小林 FB [?]尾 小川 HB 中島 大塚 小川原 FW 北口 内野 岡野(補強選手) 長沼 高橋
八幡製鉄 GK 皆本 FB 片山 原田 HB 堀田 石川 上 FW 坪島 井沢 村山 寺西 大石

第7回1961年

1961年8月12日 1回戦 古河電工(東京) 8-1 栃木日立(栃木市) トリック・ク(東京) 7-0 富山サッカー(富山市)

1961年8月13日 2回戦 古河電工(東京) 9-2 西鉄北九州(小倉市) 双和クラブ(神戸市) 5-0 協和発酵(宇部市) 京都紫光(京都市) 5-1 富士鉄室蘭(室蘭市) 全名古屋(名古屋市) 3-0 全秋田(秋田市) 八幡製鉄(八幡市) 6-0 東洋レ愛媛(松山市) 浦和教員ク(浦和市) 5-4 巴川製紙(静岡市) 茨城日立(日立市) 5-0 日本製鋼広島(舟越町) トリック・ク(東京) 2-1 ヤンマーディーゼル(大阪市)

1961年8月14日 3回戦 トリック・ク 3-2 茨城日立 八幡製鉄 5-1 浦和教員ク 全名古屋 2-1 京都紫光 古河電工 7-0 双和ク

1961年8月15日 準決勝 古河電工 9-0 全名古屋 八幡製鉄 5-0 トリック・ク

1961年8月16日 決勝 古河電工 5-2 八幡製鉄 3位決定戦 トリック・ク 2-1 全名古屋
古河電工 GK 小林 FB [?]尾 宮崎(日立本社) 島谷 HB 平木 小川 FW 二宮(新三菱重工) 北口(新三菱重工) 内野 長沼 守屋  
八幡製鉄 GK 皆本 FB 向山 石川 原田 HB 杉村 上 FW 井沢 寺西 坪島 神田 大石

古河電工は全日本選手権、実業団選手権に続く3冠を達成。なお、同時期の日本代表海外遠征に古河電工から保坂司、宮本征勝、鎌田光夫、八重樫茂生、川淵三郎の5人、八幡製鉄から佐伯博司、宮本輝紀の2人が参加しており、それでも両チームが3年連続決勝進出していることは、両チームが実業団サッカーにおいて傑出していたことを示している。

第8回1962年

同月下旬のアジア大会日本代表に保坂司、宮本征勝、鎌田光夫、内野正雄、八重樫茂生、川淵三郎、平木隆三の7人が参加している古河電工は不出場。古河に代わって全三菱が東京代表になっている。出場している八幡製鉄も宮本輝紀、渡辺正が日本代表に参加しており、不在。

1962年8月11日 1回戦 全三菱(東京) 6-0 盛岡ゼブラ・ク(盛岡市) 浦和教員ク(浦和市) 6-0 新三菱重工水島(倉敷市)

1962年8月12日 2回戦 全三菱(東京) 1-0 大日本電線(尼崎市) 日本鋼管(川崎市) 5-0 西日本鉄道(小倉市) 名古屋相銀(名古屋市) 3-2 専売広島(広島市) 帝人松山(松山市) 4-0 日立栃木(大平町) 八幡製鉄(八幡市) 2-0 富山サッカー(富山市) 双和ク(神戸市) 3-2 茨城日立(日立市) 鋼管清水ク(清水市) 3-2 湯浅電池(高槻市) 浦和教員ク(浦和市) 0-0(抽選) 富士鉄室蘭(室蘭市)

1962年8月13日 3回戦 鋼管清水 6-2 浦和教員ク 名古屋相銀 3-3(抽選) 帝人松山 八幡製鉄 6-0 双和ク 全三菱 1-1(抽選) 日本鋼管

1962年8月14日 準決勝 名古屋相銀 1-1(抽選) 全三菱 八幡製鉄 6-0 鋼管清水

1962年8月15日 決勝 八幡製鉄 5-0 名古屋相銀 3位決定戦 全三菱 4-0 鋼管清水
八幡製鉄 GK 浜崎 FB向山 原田 HB 杉村 石川 上 FW 井沢 佐伯 大石 神田 富沢    
名古屋相銀 GK 豊吉 FB 松尾 近藤 HB 中村 林 高田 FW 安藤 水野 内田 立川 横森
全三菱 GK 佐藤 FB 浜口 吉田泰 HB 森 森田 島谷 FW 二宮 北口 清水 村田 平田

第9回1963年

昨年に引き続き、同時期に日本代表はソ連とマレーシアに2チームを遠征させており、有力選手はほとんど不参加である。古河電工は社業不振のため対外試合を1年間自粛していたが、日本代表として活動するのは許されたようである。

ソ連遠征メンバー中の実業団関係者
古河電工:平木隆三(コーチ兼選手) 川淵三郎  
新三菱重工:生駒友彦(主務兼コーチ) 清水泰男 
日立:片伯部盛夫 野村六彦 
八幡製鉄:上久雄 大石信幸 
東洋工業:石井義信 川西武彦 岡光竜三
住友ベークライト:渡辺昭夫
日本ダンロップ:佐々木行治
 
マレーシア遠征メンバー中の実業団関係者
古河電工:長沼健(監督) 保坂司 宮本征勝 鎌田光夫 八重樫茂生  
新三菱重工:片山洋 継谷昌三
日立:鈴木良三
八幡製鉄:富沢清司 渡辺正 宮本輝紀
東洋工業:小沢通弘 
日本鋼管:高森泰男

東京からは3人を引き抜かれた日立が出場している。広島からは4人引き抜かれた東洋工業が初出場。

1963年8月12日 1回戦 岐阜ク(岐阜市) 1-0 全京都(京都市) 日立本社(東京) 12-0 国策パルプ(旭川市) 八幡製鉄(北九州市) 11-0 上田ク(上田市)

1963年8月13日 2回戦 東洋工業(広島県府中町) 4-1 岐阜ク(岐阜市) 浦和ク(浦和市) 12-0 三井化学(大牟田市) 明星ク(大阪市) 1-0 日本鋼管(川崎市) 日立本社(東京) 4-0 大分市役所(大分市) 帝人松山(松山市) 5-1 日本製鋼広島(舟越町) 茨城日立(日立市) 2-1 清水ク(清水市) 双和ク(神戸市) 6-0 オール釜石(釜石市) 八幡製鉄(北九州市) 8-1 栃木日立(大平町)

1963年8月14日 3回戦 八幡製鉄 1-1(抽選) 双和ク 茨城日立 2-0 帝人松山 日立本社 3-0 明星ク 浦和ク 2-1 東洋工業   

1963年8月15日 準決勝 日立本社 5-2 浦和ク 八幡製鉄 6-0 茨城日立

1963年8月16日 決勝 日立本社 3-2 八幡製鉄 3位決定戦 浦和ク 3-2 茨城日立

第10回1964年

東京オリンピックの約2ヶ月前に開催され、日本代表はヨーロッパ遠征中、ムルデカ大会参加組は合宿中ということで、前々回、前回に続いて主力選手不在で行なわれた。2年ぶりに古河電工が出場している。

1964年8月13日 1回戦 浦和ク(浦和市) 6-1 日本製鋼広島(舟越町) 古河電工(東京) 4-1 大日本電線(大阪市) 日立本社(東京) 3-0 広島ク

1964年8月14日 2回戦 浦和ク(浦和市) 1-0 京都ク(京都市) 八幡製鉄(北九州市) 5-0 日立栃木(大平町) 古河電工(東京) 5-5(抽選) 豊田自動織機(刈谷市) 日本鋼管(横浜市) 5-0 室蘭ク(室蘭市) 日立茨城(日立市) 2-2(抽選) 三菱重工(神戸市) 日立本社(東京) 6-0 富山ク(富山市) 三井化学(大牟田市) 1-0 秋商ク(秋田市) 帝人松山(松山市) 2-0 清水ク(清水市)

1964年8月15日 3回戦 日立本社 11-0 三井化学 帝人松山 1-1(抽選) 日立茨城 古河電工 4-0 日本鋼管 浦和ク 3-2 八幡製鉄

1964年8月16日 準決勝 古河電工 2-0 浦和ク 日立本社 2-0 帝人松山

1964年8月17日 決勝 古河電工 3-1 日立本社 3位決定戦 浦和ク 4-1 帝人松山 

全日本都市対抗サッカー大会と実業団選手権は1964年をもって終了し、1965年から日本サッカーリーグが始まる。結局、10回開催されたが、優勝チームは東京のチームと八幡製鉄だけで、「都市対抗」とはならなかった。事業所(製造業であれば工場)に強豪チームが多い野球と異なり、サッカーは本社の大卒ホワイトカラーのスポーツだったからこの結果は当然といえる。事業所系実業団サッカーの強豪は八幡製鉄と日本鋼管だったが、両チームとも日本サッカーリーグには参加したが、Jリーグには発展しなかった。 

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