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佐野真一『巨怪伝 正力松太郎と影武者たちの一世紀』における正力とプロサッカー

佐野真一『巨怪伝 正力松太郎と影武者たちの一世紀』(文芸春秋 1994)に正力松太郎とプロサッカーに関する記述があったので、紹介したい。

“プロ野球、プロレスという戦後の二大大衆スポーツを手中におさめた正力が、かなり早い段階から、プロサッカーにも手をのばしていたことはほとんど知られていない。

 正力がプロサッカーの構想をはじめて口にしたのは昭和三十七年のことだった。この年の十二月、後楽園競輪場のフィールドを利用して、スウェーデン、ソ連、日本の三国対抗サッカー戦が行なわれ、三万人の観客を集める大盛況となった。この人気の一つの原因は、翌々年に東京オリンピックを控えていたためで、西ドイツからコーチのクラマーを呼んで強化練習に入るなど、それまで地味なスポーツといわれていたサッカーは一躍、人気スポーツとしてフットライトをあびはじめていた。

 現在、読売日本サッカークラブ社長の小川一成が、正力から突然呼び出しを受けたのは、その三国対抗サッカーが終わった直後の頃だった。当時、小川は入社八年目の読売社会部記者だった。小川が日本テレビの会長室に正力をたずねて行くと、正力はいきなり、

「サッカーは今後プロ化していかなくてはいけない。野球は日本とアメリカだけのスポーツだが、サッカーは全世界のスポーツだ。観客も野球とは比較にならない。プロをつくるのは当然だ」

 と言った。正力から呼ばれたときは、必ず談話を翌日の紙面に載せるのがきまりだったので、小川が、いかがいたしましょうか、とお伺いをたてると、正力は以外にも、「いや、これはまだ記事にはしないように」と釘を差した。

 正力が新しいことを発表するとき、必ずその裏には有能な策士が控えていた。正力は決してその策士の名をあかさず、その仕事が成ったとき、自分の功績として改めて発表するのが常だった。正力がわざわざ小川を呼んで、プロサッカー構想の一端を披歴したのは、自分が日本で最もはやくその構想に先鞭をつけたということを、第三者に証拠として残すためだった。にもかかわらず、記事にするのを差しとめたのは、あまり早く発表すると、周囲から押しつぶされる恐れがあると考えたためだった。

 このとき正力の後ろに控えていた策士は、日本サッカー協会会長の野津謙と同協会専務理事の小野卓爾だった。二人は正力が小川を呼びつける直前に正力のもとを訪れ、三ヵ国対抗戦の行なわれた後楽園競輪場を、東京オリンピックのサッカー会場として使用させてもらえないかと打診していた。彼らはその一方、せっかく盛りあがったサッカー人気をさらに発展させるにはプロ化への道しかないという持論を、熱心に正力に訴えていた。

 野津と小野が、正力をプロサッカーの“盟主”にかつぎだそうとしたのは、正力が昭和三十年代の初頭から、後楽園社長の田辺宗英とはからって、後楽園競輪場のフィールドを使っての早慶ナイター試合や、都市対抗ゲームに力を入れていたのを知っていたためだった。そもそも正力にサッカーのことを最初に吹きこんだのは田辺だった。田辺はサッカーの盛んな甲府の出身で、早くからサッカーのプロ化を説いていた。

 一方、野津と小野は、かなり以前から、アマチュア規定に縛られた日本サッカーの現状を打破しようと考えていた。特に、日本サッカー協会の反対を押し切ってクラマーをコーチとしてドイツから招いた小野は、日本にプロチームを一つつくり、香港、韓国のプロサッカーチームとのリーグ戦を開催する夢を早くからもっていた。その小野からすれば、野球をプロ化した正力は、プロサッカー構想を推進する上で最高、最強のパートナーだった。

 だが、このときの二人の嘆願は結局、実を結ばなかった。東京オリンピックのサッカー会場は駒沢競技場や国立競技場となり、プロサッカー化構想も、この時点では計画倒れに終わった。”(p.491-492)

“正力がプロサッカーの構想をはじめて口にしたのは昭和三十七年のことだった”とあるが、松永碵「幻のプロサッカー秘話」によれば、“後楽園競輪場ができたのが昭和24年10月、その年だったか、あるいはその翌年だったか”にはすでにプロサッカー構想をもっていて、1955(昭和30)年にスタートした都市対抗サッカー、東京クラブはプロサッカー構想を具体化したものだった。

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Comments

なるほどねぇ・・・。すると、下のこれはやはり嘘か?

> タマキのナンヤラカンヤラ
>
> 10月25日(木)
> そうか佐野眞一サンが正力松太郎のことを「Jリーグの父」と書いてることは誰も知らんか…。
> コレはどっかに書いとかなあかんかな。
>
> 10月18日(木)
> 朝某週刊誌から週刊朝日のハシシタ批判について感想を求められたので慌てて記事を読む。
> 佐野眞一さんもどーゆーつもりで書いたのかなぁ。
> 正力松太郎のことを「Jリーグの父」と書き読売日本サッカークラブをヨーロッパのクラブチームに比したことと並ぶ大ミスといえるのでは?
> 正力松太郎を「Jリーグの父」と呼ぶのは文庫本で絶対に訂正して下さいと言ったのに直ってないから・・・


玉木が、自分のイデオロギーのために史実事実を捻じ曲げるのは今に始まったことではないですがね(爆)

それにしても、大・正力が野球協約に「世界選手権を開催する」と明記しておきながら、何ら実行しなかったのは何故か?
やっぱり、CIAのパシリだったからか?

Posted by: さけのべ | December 05, 2012 at 12:48 AM

つけたし。
海外でもアマチュアリズムの縛りを解くのに苦労したという話は聞く。
日本は特にそうだと思っていたが、長沼・岡野に追放された野津・小野コンビが早くからプロ化構想を持っていたというの・・・ためになる話でした。

Posted by: さけのべ | December 05, 2012 at 12:51 AM

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