« November 2012 | Main | January 2013 »

庄内温泉紀行

家の風呂にミストサウナがついている。ガス代、水道代を節約でき、汗をたっぷりかけるので、お湯を張ることはほとんどないが、たまには本物の温泉で手足を伸ばしてみたい。というわけで、温泉と旨い魚を求めて庄内に行ってきた。

Cimg1860

東京駅から上越新幹線で出発。

Cimg1861

関東地方は晴天。赤城山。

Cimg1862

越後湯沢付近。

Cimg1863

新潟駅は降雪。

Cimg1867

酒田駅で途中下車。宿に送迎の連絡をする。

Cimg1868

酒田から普通列車で吹浦駅へ。酒田は晴れだったのに、列車で20分ほどの吹浦駅は吹雪だった。

Cimg1869

湯の田温泉酒田屋旅館さんに宿泊。

Cimg1870

部屋の外はすぐ海。波濤がすごい。

Cimg1871

大浴場の脱衣室から。磯の華を初めて見た。

Cimg1872

大浴場はオーシャン・ビュー。晴れていれば夕日が沈むのを見られる。24度の源泉を40度に沸かしているとのこと。ぬるいが塩湯なので暖まる。

Cimg1873

Cimg1874

夕食。鱈のどんがら汁が肝や白子がいっぱいで旨かった。陸のものがひとつもないのがさすが。

Cimg1875

Cimg1876

朝食はオーシャン・ビューの食堂で。

Cimg1878

吹浦駅。

Cimg1877

駅にあった地名の由来。

Cimg1881

この日は晴れていて駅から鳥海山が見えた。

Cimg1882

酒田行きの普通列車から見た鳥海山。

Cimg1883

鶴岡で途中下車してみたが、致道博物館は閉館日とのこと。

Cimg1889

しかたないので、あつみ温泉駅へ。

Cimg1888

この寒さでサーフィンするか。

Cimg1891

昼過ぎのバスで温泉へ行き、宿に荷物をあずけ、「大清水」という蕎麦屋へ。

Cimg1895

屋号の由来となったこんこんと湧き出る大清水が蕎麦屋のすぐ横にある。

Cimg1892

その名水を飲めるサービスあり。

Cimg1893

熱燗に。

Cimg1894

天もり。

Cimg1905

たちばなやで立ち寄り湯。千円。

Cimg1897

Cimg1898

Cimg1899

Cimg1900

大浴場。

Cimg1901

雪見のできる露天風呂。

Cimg1902

生ビールを期待したが水だったw

Cimg1904

1時間以上いたが、誰も入ってこず、大旅館の広い風呂を独占。

Cimg1906

温海川から見た温泉街。

Cimg1907

飲泉場。

Cimg1908

Cimg1909

温泉街に共同浴場が2軒ある。

Cimg1896

宿泊したあさひや旅館さんは木造3階建て。

Cimg1921

Cimg1922

廊下や手すりは磨きこまれていた。

Cimg1910

泊まった部屋。

Cimg1911

部屋の窓から。あつみ温泉はJR駅は海のそばだが、温泉街は山の中。

Cimg1912

部屋にかかっていた掛け軸。「我善く吾が浩然之気を養う」は孟子より。

Cimg1920

落款の「源?忠篤」は戊辰戦争時の庄内藩主、酒井忠篤ではなかろうか。

Cimg1923

大浴場は内湯のみ。蒸気で写真がとれず。浴場入口から内庭をみたところ。

Cimg1913

源泉かけ流しで42.5度。あつみ温泉は共同源泉なのでどこに泊まっても同じ泉質だが、たちばばやは一部循環だった。大旅館よりも小規模の旅館の方が泉質的には良いのかもしれない。冷たい麦茶のサービスあり。

Cimg1914

夕食。焼き魚はこの地方の名産、口細鰈。アツアツだった。

Cimg1915

蟹足がたっぷり入ったこれもアツアツの茶碗蒸し。

Cimg1916

ハタハタの煮物。

Cimg1917

平目と鮪の刺身。

Cimg1918

鮭と烏賊と帆立のカルパッチョ。

Cimg1919

ガザえびの味噌汁。

Cimg1925

朝食。

Cimg1926

あつみ温泉駅から特急いなほで新潟へ。

Cimg1928

Cimg1929

Cimg1931

往きは吹雪だった笹川流れ付近。新潟から新幹線で帰省客で込み合う東京駅へ。

2泊した旅館はいずれもビール代込みで1万円しなかった。季節を変えて再訪したい。


| | Comments (0)

お芝居の日

今年最後の土曜出勤、月曜代休だったので、播磨屋のお家芸「作り阿呆」を観に国立劇場『鬼一法眼三略巻』に行った。視力が落ちて、後ろの席だと立役はともかく女形の表情なんかは全然見えなくなったので、前から3列目の席をとった。

儲け役なのかもしれないが、又五郎(知恵内実ハ鬼三太)の口跡の明晰さ、所作のキレ、表情の変化が素晴らしく思えた。

吉右衛門の一條大蔵卿は2度目だが、前は3階席だった。今回は吉右衛門の飛ばしたツバキまで見えたw

| | Comments (0)

松永碵が正力松太郎に会ったのは

松永碵「幻のプロサッカー秘話」『イレブン』9(14) 1979.11 p.135には、

“後楽園競輪場ができたのが昭和24年10月、その年だったか、あるいはその翌年だったか、ある日突然、読売新聞社主の正力松太郎さんから「至急会いたい」という電話がかかってきた。大読売の正力さん―。もちろん日立でサッカーに明け暮れていた若僧の私には一面識もなかった。

 社主室の大きな部屋に通され、いささか緊張の面持ちの私に、正力さんは温和な視線を投げかけ、こう話をきり出してきた。”

とあり、松永氏が正力に呼び出されたのは“昭和24年10月、その年だったか、あるいはその翌年だったか”と、1949年または1950年頃のように記述されている。

しかし、当時正力は公職追放中で、公職追放が解除されるのは1951(昭和26)年8月6日である。また、“社主室の大きな部屋に通され”とあるが、正力が読売新聞社主となるのは1954(昭和29)年7月7日である。

松永碵氏の記憶は5年ほど前にずれているようである。松永氏が読売新聞「社主」の正力に会ったとすれば、1954年7月以降のはずである。

翌1955年には読売新聞社後援第1回全国都市対抗サッカー大会が始まり、松永氏も参加した東京クラブが優勝する。

なお、正力が「社長」ではなく、「社主」として読売に復帰したのは、日本テレビ設立に際し、資金不足だったので、朝日新聞社に出資を仰いだが、その際「正力は新聞業に復帰しない」という条件があったからだそうである。立場のあいまいな「社主」の存在は朝日が先輩だが、社主が新聞経営には口をはさまない朝日と違って、正力「社主」が事実上の経営者として読売に君臨したのはいうまでもない。

| | Comments (0)

湯野上温泉と大内宿

大内宿に行ったことがなかった。乗り合いバスがなく、タクシー会社が11月いっぱいツアーバスを運行しているので、先週行ってみた。

Cimg1836

Cimg1765

Cimg1766

浅草からスペーシアで出発

Cimg1767

Cimg1768

Cimg1769

下今市で会津マウント・エキスプレスに

Cimg1770

会津田島駅前の蕎麦屋でまずは熱燗 天せいろも

Cimg1771

会津鉄道で

Cimg1796

Cimg1794

Cimg1793

塔のへつり駅で下車

Cimg1790

観光地

Cimg1791

渓谷があってつり橋がある

Cimg1783

徳島のかづら橋ほどではないが、揺れてスリルがある

Cimg1782

Cimg1776

対岸はこんなん

Cimg1788

土産屋を通過しないと橋へ行けないようになっている

Cimg1787

買って帰る人がいるから売ってるんだろうが

Cimg1789

「またたび」ってこういうものだった

Cimg1800

湯野上温泉駅

Cimg1801

Cimg1803

清水屋さんに宿泊

Cimg1806

部屋の窓の下は会津鉄道

Cimg1809

Cimg1808

翌朝部屋の窓から

Cimg1805

晩飯 温泉は湯量豊富で源泉かけ流し

Cimg1815

湯野上温泉駅前から観光仕様のバスで

Cimg1814

神戸から流れ流れて南会津まで

Cimg1817

大内宿に到着

Cimg1823

Cimg1828

Cimg1829

Cimg1830

Cimg1831

土産屋や食堂をやってる

Cimg1834

湯野上温泉駅に足湯あり

Cimg1835

会津鉄道車内から清水屋の大浴場を 


| | Comments (1)

« November 2012 | Main | January 2013 »