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松永碵が正力松太郎に会ったのは

松永碵「幻のプロサッカー秘話」『イレブン』9(14) 1979.11 p.135には、

“後楽園競輪場ができたのが昭和24年10月、その年だったか、あるいはその翌年だったか、ある日突然、読売新聞社主の正力松太郎さんから「至急会いたい」という電話がかかってきた。大読売の正力さん―。もちろん日立でサッカーに明け暮れていた若僧の私には一面識もなかった。

 社主室の大きな部屋に通され、いささか緊張の面持ちの私に、正力さんは温和な視線を投げかけ、こう話をきり出してきた。”

とあり、松永氏が正力に呼び出されたのは“昭和24年10月、その年だったか、あるいはその翌年だったか”と、1949年または1950年頃のように記述されている。

しかし、当時正力は公職追放中で、公職追放が解除されるのは1951(昭和26)年8月6日である。また、“社主室の大きな部屋に通され”とあるが、正力が読売新聞社主となるのは1954(昭和29)年7月7日である。

松永碵氏の記憶は5年ほど前にずれているようである。松永氏が読売新聞「社主」の正力に会ったとすれば、1954年7月以降のはずである。

翌1955年には読売新聞社後援第1回全国都市対抗サッカー大会が始まり、松永氏も参加した東京クラブが優勝する。

なお、正力が「社長」ではなく、「社主」として読売に復帰したのは、日本テレビ設立に際し、資金不足だったので、朝日新聞社に出資を仰いだが、その際「正力は新聞業に復帰しない」という条件があったからだそうである。立場のあいまいな「社主」の存在は朝日が先輩だが、社主が新聞経営には口をはさまない朝日と違って、正力「社主」が事実上の経営者として読売に君臨したのはいうまでもない。

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