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戦前の不動岡中学の蹴球部史

『開校五十年史』(埼玉県立不動岡中学校創立五十週年祝賀協賛会 1936)「第四章 校友会各部の沿革 第六節 蹴球部史」(p.106-112)

1921(大正10)年埼玉県立不動岡中学となると同時に創部。

“未だ一般に興味を持つものは少なかったが学校長肥留川先生は特に此の運動を愛好され率先多大の御支持と御奨励を与へられた。”(p.106)

ほぼ同時期創部の志太中、湘南中、府立五中と同様、東京高師OB校長の「上からのリーダーシップ」により蹴球部が誕生した。当時の校長肥留川鷲雄は1899年東京高等師範学校卒。東京高師が正式にサッカーを始めた1902年以前に卒業しているが、サッカーに多大の関心があったようだ。

1886(明治19)年創立の私立埼玉英和学校にルーツがある明治以来の伝統校であったので、野球部は1903(明治36)年に創部されている。大正時代創立の志太中、湘南中、府立五中と異なり、野球部とは「共存」している。

1924年の対熊谷中戦が初の対外試合。早稲田の玉井操、東大の竹内悌三のような日本代表選手の指導を受けている。

東京高師(後に東京文理大)、浦和高校、東京蹴球団、関東蹴球協会主催の中等サッカー大会に出場しているが、大阪毎日新聞主催の全国中等学校蹴球大会(現・全国高等学校サッカー選手権大会)の予選には出場していない。東京高師(後に東京文理大)主催の大会を「全国大会」と位置づけていたようである。

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