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台風が近づいてますが

これから北海道に行ってきます。

9月1日6時新潟着(新日本海フェリー)予定ですが、どうなることやら・・

FC東京対サガン鳥栖の前半を観て出発。2点とも1対1で加賀の抜かれ方が実に鮮やか。

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家計調査における「スポーツ観覧料」の年別推移

家計調査> 家計>収支編> 総世帯> 詳細結果表> 年次 による。総世帯、全国の値。

2002年 593円
2003年 527円
2004年 499円
2005年 609円 
2006年 581円
2007年 674円
2008年 754円
2009年 705円
2010年 642円
2011年 753円
2012年 739円

デフレとはいいながら、全国1世帯あたりのスポーツ観覧料は斬増する傾向にあるようである。

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大正時代の「偉人」総選挙

偉人投票(特別大懸賞當選發表)  『少年倶楽部』(大日本雄辯會講談社) 1922(大正11)年1月号 p.134-135

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少年誌『少年倶楽部』誌が大正時代に実施した「偉人」総選挙の結果は、

1位 ナポレオン 38,649票
2位 乃木希典  32,904票
3位 豊臣秀吉  32,863票
4位 楠正成   26,968票
5位 西郷隆盛  13,265票

The Greatsのセンターはナポレオン!

「三百点以下」に上杉謙信、武田信玄、真田幸村は顔を出しているが、織田信長、徳川家康、坂本龍馬がいない。1922年時点で生存していたのは、東郷平八郎、大隈重信(1922年1月10日没)、山県元帥(有朋 1922年2月1日没)。原敬は前年11月4日没。

6位 孔子、7位 ワシントン、8位 釈迦、9位 キリスト、10位 和気清麿、と大河ドラマの主人公にしにくい人物が並ぶ。

司馬遼太郎のフカシが日本人の偉人観に与えた影響のすごさがわかる。

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コンドミニアム・シップ

コンドミニアム・シップとはクルーズ船の客室を「分譲」した、いわば洋上の分譲別荘マンション。クルーズ船との設備的な違いは、「別荘」らしく客室にキッチンとダイニング・ルームが付いていることだろう。

世界のコンドミニアム・シップ情報

計画中のものが多く、現在稼働中なのはResidenSea社の「The World」のみ。.165戸、平均100平米。最大3ベッドルームまであり。→日本語 英語

4クラスの客室

船上生活 基本はクルーズ船なので、レストラン、プール、図書室、テニスコートなどあり。

航路 来年日本にも寄港する予定。

計画中の船ではリバー・クルーズ専門の「Marquette」がユニーク。

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セントルイスのゲートウェイ・アーチ付近を通過する「Marquette」の図

隅田川クルーズの船をそのまま大型化したような船型なので、外洋には出られない。橋の下をくぐるので、船高に制約があり、船室も低位置。視界は大海原ではなく、河岸ばっか。しかし、揺れないので家具が壊れないし、潮気に当たらないから電化製品などの「持ち」もいいのではないか。国内しか移動しないから出入国の手間もいらない。航路はたぶんすべて携帯の範囲内で、「現役」の人は緊急の呼び出しにも対応可。

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「Marquette」の航路

周辺環境やどっち向きかを気にしなくてもよくて、1番安い1LDKタイプ(528平方フィート=49平米)なら約30万ドル(=3千万円)で、同規模の世田谷あたりの新築マンション相場よりは安いよw

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東西対抗蹴球の成立経緯

東西対抗蹴球の成立の経緯については、実はよくわからない。

東西対抗蹴球は1932年に始まる。大日本蹴球協会の機関誌『蹴球』は1931年10月に創刊されるが、第2号が出たのは1933年2月で、1932年に協会がどのような活動をしたのか詳細不明なのである。

ただ同創刊号の「理事会議事録」(p.65-69)に興味深い記事があるので紹介したい。1932年はロサンゼルス・オリンピック大会の開催年であり、協会は参加を決定していた(結局、ロス五輪ではサッカーは採用されなかった)。

“(昭和六年)五月二十二日

一、オリンピック選手選抜方法を左記通り決し各地方協会に照会の事とす。

 全日本を東部及西部に区分し各詮衡委員会を組織し両委員会に於て各々一ティームを選定し昭和七年五月東京に於て決勝戦を挙行し、全日本詮衡委員会にて詮衡決定す。”(p.68)

東西それぞれで“一ティームを選定し”というのは、単独チームなのかピックアップ・チームなのか明記されていない。1930年第9回極東選手権大会で日本は初優勝するのであるが、本大会の日本代表は日本サッカー史上初めて完全なピックアップ方式(それ以前は予選会方式)で結成されている。東西大学リーグ1位による、いわば日本版チャンピオンズ・カップというべき東西大学争覇戦は1929年に開始されており、単独チームによる決定戦であれば、屋上屋を重ねることになる。第1回争覇戦は東大対関学で東大が3-2で勝利している。それを反映してか、1930年極東選手権イレブンは東大が大多数をしめ、関学からも2名選抜されている。

→「東西大学争覇戦、東西対抗、朝日招待の記録
代表TIMELINE1930年極東選手権対中華民国戦

しかし、同議事録には上記案に対する関西協会の反対と逆提案も記載されている。

“(昭和六年)六月十四日

 オリンピック選手選抜方法に付関西協会にて協議本部理事出席の希望あり野津、鈴木両理事及関東協会より竹腰理事、下阪関西協会と協議す。

 関西協会にては、去る二十二日決定選抜方法にては経済及び地理的関係其の他の事情にて不可能の旨にて別案を協議の結果「東西リーグ対抗戦、東西リーグ第二位対抗戦、東西リーグ第一、第二位を除ける他の諸ティームよりの選抜ティームの対抗戦、及東西リーグの第一位対第二位の対抗戦行ひ之等試合に依り選抜委員にて決定する事」

の案ありしも関東側にて相当の難色あり。関東協会の賛成を得て決定の事とす。”(p.68-69)

いつの時代も「代表選考」は熱く盛り上がるもので、関西側の要請で、野津謙(1930年極東選手権蹴球競技委員長、後第4代JFA会長)、鈴木重義(1930年極東選手権代表監督)、竹腰重丸(1930年極東選手権代表主将)の重鎮3名が、協会案の説明のためわざわざ大阪まで出張している。

関西側からは、すでに実施済みの(東西大学リーグ)1位同士の対抗戦に加えて、2位同士、3位以下のピックアップ・チーム同士、1位、2位のタスキがけ戦が逆提案されたが、関東側は難色を示した。関西案では結構な試合数になり、どこで試合するにせよ費用、時間、人手がかかることが、関東側の難色の理由ではないだろうか。なお、タスキがけ戦は、ベルリン五輪後に「朝日招待蹴球」として実現している。

この後サッカーの五輪参加自体がオジャンになってしまい、次号の『蹴球』第2号(1933年2月)の「会務報告」に掲載された昭和6年10月28日開催全国代議員会では東西対抗は言及されておらず(p.27)、第1回東西対抗開催後9カ月後の昭和7年11月6日開催全国代議員会では「昭和七年度全国的大会及び試合」中に“東西選抜対抗戦 昭和八年二月十二日 於東京”(p.28)があるのみで、東西対抗成立の経緯はよくわからない。しかし、上記『蹴球』記事からみて、オリンピック代表選考がからんでいる可能性は大きいといえよう。

日本版ホーム・インターナショナルというべき東西対抗はマスコミも注目していたようである。それを示す以下の新聞記事がある。

『讀賣新聞』1932年1月21日付

全関東蹴球軍選抜決定戦

 来る二月七日大日本蹴球協会主催で南甲子園に挙行される全関東対全関西対抗戦に出場する関西側のメンバーは既に発表されたが、全関東のメンバーは来る三十一日午後三時より神宮競技場に於て紅白試合(入場無料)を行ひ銓衡して翌日発表される事となった。”

関東協会は明治神宮外苑競技場で関東代表選考試合を行うことをブリーフしたようである。

『讀賣新聞』1932年2月1日付

東西対抗蹴球関東側選手決る

 二月七日大阪に於て挙行される東西対抗蹴球全関東軍のメンバーは三十一日左の如く決定発表された。

【FW】鈴木(帝OB)藤岡(慶)市橋(慶)内藤(帝)高山(帝)林(帝)【HB】松丸(慶)竹腰(帝OB)野澤(帝)大崎(慶)柳田(成城)【FB】竹内(帝)井出(早)【GK】阿部(帝)熊井(早)

選抜試合は引分け

 来る七日大阪で挙行される全日本東西対抗蹴球戦の関東軍選抜の紅白試合は三十一日午後三時から神宮競技場に於て乗富氏審判紅軍先蹴で挙行、各大学及びO・B軍のピックアップチームだけに好プレイ多く試合は接戦を続け二対二の儘引分けに終った。

 白軍 2(2-1 0-1) 2 紅軍”

関東の選抜結果と選考試合の記事は同日付『東京朝日新聞』にもある。

『讀賣新聞』1932年2月6日付

東西対抗蹴球
   けふ関東選手西下

 第一回全関東対全関西蹴球戦明七日午後二時半から甲子園南運動場で挙行される事となり関東蹴球協会ではかねて之が選抜試合を行って関東側代表選手の銓衡を行って居たが五日次の如く十四名を決定発表した。尚ほ一行は野村、本多両監督率ゐられて六日午後零時四十五分東京駅発列車で西下する事となった。

◇監督野村、本多◇主将竹腰(帝卒)鈴木(帝卒)藤岡(慶)市橋(慶)内藤(帝)高山(帝)野澤(帝)林(慶)大崎(慶)柳田(成城)竹内(帝)井出(早)阿部(帝)熊井(帝)”

2月7日の試合の前に関東代表がらみだけで3本も新聞記事があり、東西対抗への関心の高さがわかる。

なお、『時刻表復刻版. 戦前・戦中編 2. 昭和5年10月汽車時間表(通巻67号) 』(JTB 1999)によれば、“午後零時四十五分東京駅発列車”は「3列車下関行き(特別急行「桜」)」であり、東京駅発12:45、大阪駅着20:54であった。東京・大阪間は当時の最速列車でも8時間強かかっており、東西対抗は距離感をとっても、まさに「ホーム・インターナショナル」だったのである。

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1941年東西対抗蹴球

1940年2月2日(神宮) 

   全関東      全関西
GK 吉沢(商大)   小畑義(神商出)
FB 石川(慶大)   大家(関学)
   原田(東大)   岩田(関学)
HB 笠原(慶大)   小橋(神商出)
   末岡(早大)   安福(関大)
   有馬(東大)   水沢(神商)
FW 大谷(東大)   三村(関大)
   裴(早大)    小畑(慶出)
   川本(早出)   中村(関学)
   高橋(早大)   室山(神商)
   加納(早大)   田島(関学出)

全関東 3-2(2-1 1-1) 全関西

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富士急マリンリゾート「イルドバカンス2世号」(伊東→初島→熱海)乗船記

2013年夏18切符でフェリー・シリーズ第3弾は初島航路。

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18切符で伊東駅へ

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松川沿いの古い旅館

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ウィリアム・アダムス(三浦按針)が作った日本発の西洋式帆船と彼のモニュメント
今年3月リーフデ号が漂着した臼杵に行って宇和島運輸「さくら」で八幡浜まで乗船した。
リーフデ号はもとエラスムス号といって、船尾にエラスムスの木像があった。現物は現在東京国立博物館に寄託されており、見たことがある。

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東海汽船と同居

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ぼったくり2,340円 「離島」には違いないが

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活けの鯵や鹿児島産養殖カンパチが積荷にあった

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イルドバカンス2世号

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デッキ たこ焼き屋台はないw

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その下は椅子席客室

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さらにその下は桟敷席客室

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定員800名と意外に多い

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伊東に行くなら~

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調査船かな?

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東海汽船の伊豆大島行きジェットホイル

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初島に接近

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着岸

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初島漁協直売店のサザエとイセエビ

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食堂街 昼時で混雑してたのと伊東での積荷を見て入る気起らず

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小学校あり

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コロニアル風?の瀟洒な校舎

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島の頂上あたりにある初島公園

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高台から民宿街をみたところ

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ビーチがないので港で海水浴?

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在島1時間弱で再乗船 反航する「イルドバカンス3世」号 屋上デッキにルーフがないのが・・

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熱海城w

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熱海市街

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熱海港でも東海汽船と同居

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「セブンアイランド友」くん

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下船

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駅行き直行バスがいたので乗車 そのまま帰宅

18切符残り2日分は月末の北海道旅行(津軽海峡フェリー、新日本海フェリーに乗船)で消化する予定


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1940年東西対抗蹴球

1940年1月28日(甲子園南) 

   全関東      全関西
GK 津田(慶大)   小畑(神商出)
FB 南(明大)     笠井(関学出)
   加藤(慶大)   岩田(関学)
HB 笠原(慶大)   庫元(関学)
   末岡(早大)   中村信(関学)
   高島(慶應)   田辺(関学)
FW 篠崎(慶大)   右近(慶出)
   播磨(慶大)   小川(神高商)
   二宮(慶大)   岡野(関学)
   川本(早出)   田島(関学)
   渡辺(慶大)  室山(神高商)

全関東 4-1(2-0 2-1) 全関西

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1939年東西対抗蹴球

1939年2月5日(神宮) 第二放送(和田・飯田)

   全関東      全関西
GK 津田(慶大)   岡本(京大)
FB 吉田(早大)   笠井(関学)
   大山(東大)   西田(関大)
HB 高島(慶大)   田辺(関学)
   菊池(東大)   木下(神商)
   屬(東大)    三田(関学)
FW 二宮(慶大)   右近(慶出)
   播磨(慶大)   岡野(関学)
   阿部(東大)   大谷(神出)
   川本(早出)   田島(関学)
   加茂正(早大)  小野(京大)

全関東 3-2(1-1 2-1) 全関西

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1938年東西対抗蹴球

1938年1月23日(甲子園南) 第二放送

   全関東      全関西
GK 津田(慶大)   上吉川(関大)
FB 屬(東大)     吉江(神商)
   菊池(東大)   井上(京大)
HB 森(東大)     田辺(関学)
   種田(東大)   木下(神商)
   関野(早大)   三田(関学)
FW 篠崎(慶大)   市橋(慶出)
   播磨(慶大)   右近(慶出)
   二宮(慶大)   大谷(神出)
   加茂健(早大)  前川(神商)
   加茂正(早大)  小野(京大)

全関東 4-1(3-1 1-0) 全関西

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1937年東西対抗蹴球

1937年2月8日(神宮) 第二放送(和田)

   全関東      全関西
GK 中垣内(文理)  上吉川(関大)
FB 石川(慶應)   宮部(関学)
   吉田(商大)   栗原(京大)
HB 種田(東大)   中西(神商)
   松丸(慶出)   木下(神商)
   松元(慶應)   三田(関学)
FW 駒崎(慶應)   市橋(慶出)
   西邑(早大)   田島(関学)
   川本(早大)   大谷(神商)
   播磨(慶應)   前川(神商)
   二宮(慶應)   小野(京大)


全関東 0-4(0-1 0-3) 全関西

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1936年東西対抗蹴球

1936年1月19日(甲子園南)

   全関東 全関西
GK 佐野   上吉川
FB 竹内   後藤
   鈴木   川西
HB 笹野   小橋
   立原   赤川
   関野   岡田
FW 加茂弟  市橋
   西邑   大橋
   加茂兄  野澤
   川本   前川
   平松   大谷

全関東 3-2(0-2 2-1) 全関西

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1935年東西対抗蹴球

1935年1月20日(神宮) 第二放送(和田)

   全関東 全関西
GK 佐野   金澤
FB 堀江   栗原
   堀越   持地
HB 立原   小橋
   石川   三崎
   岩波   川西
FW 駒崎   長岡
   播磨   前川
   川本   堺井
   右近   永津
   藤岡   大谷

全関東 6-5(4-4 2-1) 全関西

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1934年東西対抗蹴球

1934年1月21日(甲子園南)

   全関東 全関西
GK 熊井   金澤
FB 井出   阿部
   鈴木   後藤
HB 右近   福安
   立原   三崎
   高山   川西
FW 永地   大橋
   野澤   前川
   川本   東浦
   名取   西邑
   徳田   大谷

全関東 5-3(1-3 4-0) 3 全関西


1934年1月28日(神宮)

   全関東 全関西
GK 熊井   金澤
FB 井出   阿部
   鈴木   後藤
HB 右近   持地
   大崎   三崎
   高山   川西
FW 長谷川  中野
   塚部   前川
   川本   堺井
   名取   西邑
   藤岡   大谷

全関東 1-6(1-1 0-5) 全関西

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堀越二郎

リポート番号 PB-16816  NRLR-1840 AAF ATIGR21
タイトル Report of interview with prominent Japanese aircraft design engineers.
責任表示 Helmick, Paul F.
出版事項 1945.
形態 microfilm 6 p.

という米軍資料があるようだが、当然堀越ニ郎はインタビュー対象だったんでしょうな。
インタビューというより「尋問」なのかも。

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矢切の渡しに未乗船の記

土曜出勤の代休日だが、病院に行く以外に用事がないので、矢切の渡しに行ってみた。

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京成上野駅から

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柴又駅へ

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お約束

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帝釈天門前の商店街

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だんご屋多し

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帝釈天

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帝釈天の左側の道の先に江戸川土手が見える。

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土手の上から船着場を

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本日はお休み

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船の写真も 動力は船外機のもよう いまどき手漕ぎはあるまい

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風情たっぷり

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対岸のも

柴又は初めてだが、映画の舞台になるだけあって、なかなか絵になる景観だと思った。

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金町浄水場の取水口。 世田谷に住んでいるので、多摩川が上水道源だと思っていたが、3.11により江戸川だと判明。化粧術や美容法がいくら発達しても「土台」に問題があればどうしようもないのと同様に、浄水技術がいくら発展しても水源がここじゃ・・・

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駿河湾フェリー「富士」乗船記

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18切符で清水駅へ

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清水はちびまる子ちゃんとエスパルスの町

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駅から遊歩道を20分くらいでエスパルスドリームプラザへ

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夜に花火大会があり、午前10:00前だがもう場所取り完了

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遊覧船乗り場

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三保半島への渡船もあり

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ここがフェリーターミナルなのだが、本日のみ花火大会で別埠頭から発着とのこと 車で送ってくれた

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「富士」はまだ到着しておらず、すぐ隣で護衛艦「あしがら」の見学会をやっていたので乗船してみた

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韓国人の嫌いな旭日旗

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狭い階段を登った先のブリッジは大混雑 このままではフェリーに乗り遅れるので、大急ぎで下船

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「富士」はすでに入港していた

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船とサッカーが両立する珍しい航路

運賃表によれば片道2,200円、往復3,960円だが、1番下に「駿河湾遊覧チケット」があり、土肥で下船しなければ2,640円というヲタ切符があったのでそれを購入。切符売り場の人に「駿河湾遊覧チケット」と言っても通ぜず、「下船せずに戻ってくる切符」と言うと通じた。ジャンボフェリーなんか1,800円で神戸から高松まで運んでくれるんだが。太平洋フェリーの早割だと名古屋ー仙台が3,500円!

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チケットは渡されず、これを目立つところに付けて、下船時に返却してほしいとのこと
ヲタの「ダビデの星」はエスパルス・カラー

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車両甲板から乗船

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船室内

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前方眺望はよくない

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客室内に売店あり

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駿河湾フェリーといえば、日本唯一いや世界唯一!のデッキ上のたこ焼き屋台 本場の今は亡きたこフェリーにもなかった快挙である

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たこ焼きがあると食わずにおれない関西人の悲しい性 この分だと「最後の晩餐」もたこ焼きかお好みになりそう 6個500円

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たこ焼き屋台に群がる中国人観光客 「これをホンマモンのたこ焼きやと思てもろたら困るで」と関西愛国主義がアタマをかすめるw

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日本の国家機密を撮影する怪しい中国人w

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県道223号に認定 確か佐渡汽船は国道認定されてたと思う

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出航時職員が手を振ってくれる

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日本軽金属の工場 実業団サッカー時代の古豪で、清水を「サッカーの町」にした重要な要因のひとつ

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3Fデッキ 有料ゾーン

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別途500円必要

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3Fデッキ

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土肥に接近 陸の孤島という感じで、離島航路だと思えば料金が高いのもやむなしか

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これがボーディング・ブリッジなら大迫力だが・・

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土肥港に接岸

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三保沖を貨物船同士が反航

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世界遺産に滑り込んだ三保松原 どう見てもただの松林 ユネスコが認定を渋ったのも無理はない
御穂神社は受験シーズンに「滑り込みセーフ合格祈願お守り」を売れば儲かりまっせ

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復路も満車のにぎわい

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帰りは無料送迎バスを利用 車中にこんな表示が


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