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日本最初のフットボール事故死者?

アジア歴史資料センターの「資料の閲覧」を「フートボール」で検索すると、7番目に「兵学校届 生徒浅田亨死去」が表示される。

3/6画像に、明治13(1880)年7月2日に死去した浅田亨は、

“去月廿八日午後六時三十分頃「フートボール」運動を行フノ際誤テ左眼窩上縁ニ梼傷ヲ蒙リ爾来頭痛嘔気等アリ シカ敢テ自ラ意トセス適々学業試検中ナルカ故ニ強テ非常ノ勉励ヲナシ甚タ脳力ヲ労セリ”

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病名は「脳震盪兼脳膜炎」。浅田亨は予科生徒で年齢は「十四年十一ヶ月」、現在の中学生くらいの年齢である。フィジカル面が十分でないのに接触プレー?をして負傷し、試験中なので無理を通して頑張ったことが死因となったようである。「梼傷」とはいったいどんな傷なのであろうか。次回のサッカー史研究会で大畠先生に聞いてみよう。

これにより、海軍兵学校はダグラスが去った後も「フートボール」をやっていたことがわかる。事故発生時間は「午後6時30分」なので、「フートボール」は課外時間に行われていたようである。

当時の兵学校校長は仁礼景範、海軍卿は榎本武揚であった。

『海軍兵学校沿革』(原書房 1968 海軍兵学校 (大正8年) 刊の複製)の「明治十三年」の項には、

“七月三日 予科生徒浅田亨校内ニ於テ病死セリ”(p.290)

とある。同年12月17日に海軍少尉補に任官した生徒には、島村速雄加藤友三郎がいる。30名掲載されているが1番目が島村、2番目が加藤。イロハ順でも五十音順でもないので、これがいわゆるハンモック・ナンバー(兵学校の卒業成績順)というやつなのだろうか。島村と加藤は7期で、秋山真之は17期、浅田亨は島村、加藤の後輩、秋山の先輩にあたる。フットボール事故にあわずに長生きしてれば、日露戦争の英雄になって『坂の上の雲』に登場したかもしれない。

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