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東京湾フェリー「かなや丸」乗船記

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今夏は18切符未購入。JR溝の口駅から。

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南武線で。

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川崎駅へ。

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木更津駅行きバスに乗車。

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多摩川最下流。

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京浜工業地帯。

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工場、萌!

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浮島の次は海ほたる。

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トンネル突入。

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トンネルを出ると。

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そこが海ほたる。

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千葉側は橋。

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釣り船。

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この辺では海苔養殖もできるようだ。

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漁港もある。

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木更津駅到着。

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JR内房線に乗車。

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浜金谷駅で下車。

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フェリー・ターミナルへ。

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港内での豪快なターン。

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乗船。客室内。

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いわしスティック(160円)はフェリーターミナル売店で購入。

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ビール飲んだらデッキへ。

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出航。

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恒例、東京湾シップ・ウォッチング。

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浦賀湾口。

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矢吹丈と力石徹、運命の出会いの地が近づけば。

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すぐに久里浜港着岸。

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下船して。

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京急久里浜駅へ。

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快速急行に乗車。

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横浜駅西口の一鶴へ。

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黒生大ジョッキと醤油豆。

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おやどり。

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とりめしとスープ。東横線で帰宅。

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家の近所に権田修一と武藤嘉紀の出身校がある

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家の前の道を駒沢方面に進むと

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緑道がある

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緑道はすぐに弦巻通りと合流

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藤棚があって春は眺めがいい

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その道に沿ってあるのが世田谷区立弦巻中学校

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FC東京、日本代表GK、権田修一の母校だ

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弦巻通りと緑道が分離

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緑道を進む

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緑道はやがて終点になる

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右に小学校、左に世田谷区立教育会館

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小学校は世田谷区立松丘小学校、FC東京、日本代表FW、武藤嘉紀の母校だ

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教育会館の裏側に汚い池がある

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世田谷区立中央図書館も併設

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表側

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喫茶店もある

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図書館入口


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清水港水上バス(エスパルスドリームフェリー)「ケー・エス」「フェルケル」乗船記

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代々木駅隣接のJRバス関東新宿バスターミナルから静岡行「駿府ライナー」に乗車。

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新静岡で下車。

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PASMOが使える静岡鉄道に乗車。

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新清水へ。

Shimizu

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エスパルスドリームプラザ近くの日の出へ。

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「ケー・エス」に乗船。JR清水駅近くの江尻まで。

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江尻の桟橋は河岸の市の裏。

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河岸の市を通ってJR清水駅前へ。

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駿河健康ランドの送迎バスの隣は、日本平への送迎バス。清水対鹿島戦。

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興津駅経由で。

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駿河健康ランド到着。

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宿泊した部屋6F海側。三保松原も見える。

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船室のような狭さw

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大浴場に行ってる間に豪雨になった。

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夕食をとりにレストランへ。

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静岡おでん。

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桜海老かき揚げ丼。

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早朝の景色。

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送迎バスから清見寺を。

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昨日と同じ「ケー・エス」で対岸の三保へ。

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後部デッキには自転車も積める。

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三保に向かって。

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駿河健康ランドが見える。

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富士山を借景にした三保。

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三保桟橋に到着。

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岬に向かって前進。

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対岸の清水市街。

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富士山。

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岬の先端の灯台。

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富士山をバックにした駿河健康ランド。

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岬から引き返すと東海大学のシマに。

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東海大学海洋科学博物館。

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二重スクリュー。

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なぜか人魚姫。

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外から津波発生実験を無料見物。

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三保から「フェルケル」に乗船、江尻へ。

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駿河湾フェリー「富士」が入港中。

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三保を出港。

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清水港内の船いろいろ。

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河岸の市の食堂で駿河丼(生シラス、カツオ、生桜海老)1,580円。

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JRで静岡駅へ。

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静岡駅ビルの安倍川餅屋で宇治金時。

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復路は静鉄バス。東名渋滞で2時間遅れ。


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「大和魂」の初出

通勤読書で田中康二著『本居宣長 文学と思想の巨人』(中央公論新社 2014 中公新書)を読んでいたら、「大和魂」は「漢意(からごころ)」と対立する概念で、

“この大和魂と漢意とは宣長国学のキー・コンセプトであり、宣長の著作を読み解く上で必要不可欠のキー・ワードであった。”(p.10)

そうだ。

初出は『源氏物語』の「少女(乙女)」の、

“なほ、才をもととしてこそ大和魂の世に用ゐらるる方も強う侍らめ。”

という光源氏の台詞だそうである。“漢才を身に付けてはじめて「大和魂」が世間に認められる”(p.11)というふうに使用されており、「大和魂」は知恵や気働き、常識的な思慮分別の意で使われているとのことだ。

ところが、宣長の師、賀茂真淵は「大和魂」を“古代日本人の美徳であり、まっすぐで清らかな心を意味する”(p.13)ものとして読み替え、それを宣長が継承した。

「大和魂」は紫式部が源氏物語で初めて使用した語だが、後世には初出とは全く異なった意で国学とともに普及した。吉田松陰の辞世の句、

“身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂”

の「大和魂」も真淵‐宣長師弟が普及させた意で使用されている。

私がこの語を知ったのは、1967年世界ジュニアウェルター級チャンピオンになった日系アメリカ人藤猛の台詞で、当時死語化していたこの語が流行語になった。藤猛はその名の通り、日本有数の荒々しいボクシング・スタイルの世界チャンピオンだったので、その印象により「大和魂」には猛烈とか壮烈のような意が含まれているとずっと思っていたが、初出のテキストは雅な『源氏物語』で、しかも初出の時点ではナショナリズムとも何の関係もなかったのである。

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中等学校に関する野球統制令 新聞社戦争としての野球統制令

【目次】

1. 中等学校に関する野球統制令の内容
2. 背景 乱立する野球大会
3. 大阪時事新報社の全国選抜大会
4. 新聞社戦争としての野球統制令


1. 中等学校に関する野球統制令の内容

1932(昭和7)年「野球ノ統制竝施行ニ關スル件」(文部省訓令第4号)の中等学校に関する事項は以下のとおりである。

“ニ 中等学校ノ野球ニ関スル事項

 一 中等学校ノ野球ニ関シテハ府県ノ体育団体ニ於テ適当ニ統制スルコト。但シ当該団体ノ設置ナキモ府県学事当局者並中等学校長ト密接ナル連絡ヲ有スル中等学校体育連盟若ハ中等学校野球連盟ノ設置アリテ府県内中等学校ノ野球ヲ統制セル場合ハ右団体ヲシテ統制ニ当ラシムルモ妨ゲザルコト。

 ニ 中等学校生徒ノ参加シ得ル野球試合ハ左記ニ依リ開催セラルルモノタルコト。

  イ 全国的優勝大会及全国的選抜大会ハ文部省公認ノ下ニ夫々年一回ヲ限リ開催セラルルモノタルコト。但シ明治神宮体育大会ニ関スル野球ハ此ノ限ニ在ラザルコト。

  ロ 地方的大会(参加学校ガ近接セルニ府県若ハ数府県ニ互ル試合ヲ謂フ)ハ関係府県体育団体(第一項記載ノ事項参照)ノ共同主催若ハ文部省公認ノ下ニ開催セラルルモノタルコト。但シ同一府県ノ参加回数ハ年一回(全国的優勝大会ノ地方予選ヲ別ニ行フ場合ハ此ノ回数ニ含マズ)ニ限ルコト。

  ハ 府県大会ハ府県体育団体(第一項記載ノ事項参照)ノ主催若ハ其ノ公認ノ下ニ年一回(全国的優勝大会並地方的大会ノ府県予選ハ之ヲ含マズ)開催セラルルモノタルコト。

  ニ 同一府県内ニ存シ近接セル三校以上ノ学校間ニテ行フ試合ハ府県体育団体ノ主催若ハ関係学校共同主催ノ下ニ府県体育団体(第一項記載ノ事項参照)ノ公認ヲ得テ開催セラルルモノタルコト。

  ホ 同一府県内ニ存スルニ校間ノ試合ハ両校共同主催ノ下ニ開催セラルルモノタルコト。

  ヘ 府県ヲ異ニスルニ校間ノ試合ハ夫々当該学校主催ノ下ニ其ノ属スル府県体育団体(第一項記載ノ事項参照)ノ公認ヲ得テ開催セラルルモノタルコト。

 三 試合ハ総テ学業ニ支障ナキ時ニ行フベク特ニ対外試合ハ土曜日ノ午後又ハ休業日ニ限リ行フコト。但シ荒天等ノ為之ニ拠リ難キ場合ハ特ニ府県体育団体(第一項記載ノ事項参照)ノ承認ヲ得ルコト。運動場配置等ノ関係ニヨリ又之ニ拠リ難キ特別ノ事情アル府県ニ於テハ当該府県体育団体ニ於テ其ノ事情ヲ具シ文部省ノ承認ヲ得ルコト。

 四 入場料ヲ徴収シ得ル試合ハ府県体育団体(第一項記載ノ事項参照)ニ於テ主催スルカ若ハ文部省ニ於テ公認シタルモノニ限ルコト。

 五 前項ニ依リ入場料ヲ徴収セントスルトキハ之ニ関シ主催者ハ予メ文部省ノ承認ヲ得其ノ収支ハ本令中入場料ニ関スル事項ニ基キ右団体ニ於テ処理シ試合終了後収支決算ヲ遅滞ナク報告スルコト。但シ其ノ使途ニ関シ入場料ニ関スル事項中二ノ(三)、(四)ニ充当セントスル場合ハ其ノ事情ヲ具シ文部省ノ承認ヲ得ベキコト。

 六 試合参加ニ関シ旅費滞在費等ヲ受クル場合ハ必ズ当該学校ノ属スル府県ノ体育団体(第一項記載ノ事項参照)ヲ経テ収受シ当該学校ハ直接之ニ与ラザルコト。

 七 試合ニ出場スル選手ハ当該学年ニ於テ原級ニ止リタルモノニアラザルコト。転入学若ハ中途入学者ハ入学後一ヶ年以上ヲ経過セルモノニ限ルコト。

 八 選手ハ父兄ノ承認並学校医ノ健康証明アルモノニ就キ学校長之ヲ選定スルコト。

 九 生徒ハ個人ノ資格ニ於テ入場料ヲ徴収スル試合ニ出場スルヲ得ザルコト。

 十 選手ハ「クラブチーム」ニ加ハリ試合ニ出場スルヲ得ザルコト。但シ学校長ノ許可アル場合ハ収入ヲ伴ハザル試合ニシテ府県体育団体(第一項記載ノ事項参照)ノ承認ヲ得テ学校ヲ背景トスル「クラブチーム」ニ加ハリ試合ニ出場スルハ此ノ限ニ在ラザルコト。”


2. 背景 乱立する野球大会 

小学校レベルにおける野球統制令のターゲットは軟式球メーカーによる野球大会であったが、中等学校のターゲットは乱立した野球大会であった。

全国的優勝大会及全国的選抜大会ハ文部省公認ノ下ニ夫々年一回ヲ限リ開催セラルルモノタルコト。但シ明治神宮体育大会ニ関スル野球ハ此ノ限ニ在ラザルコト。」は中等野球の全国大会を大阪朝日新聞の全国的優勝大会(夏の甲子園)、大阪毎日新聞の全国的選抜大会(春の甲子園)および秋の明治神宮大会(現在の国民体育大会に相当)に限定するものであった。当時大阪毎日新聞の全国的選抜大会、明治神宮大会以外にも全国的野球大会があった。

2.1. 『東京朝日新聞記事』にみる3大大会以外の全国的中等選抜野球大会

1930~1931年の東京朝日新聞記事で上記以外の全国的選抜野球大会に関する記事をみると以下があった。

●1930年1月9日(木)付「早実優勝す 選抜中等野球」

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主催:京都五大学野球連盟
場所:京都
決勝(第4日):早稲田実業 3-2 広陵中学

●1931年3月24日(火)付「広陵中優勝す 大阪時事選抜野球大会」

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主催:大阪時事新報社(第7回)
場所:藤井寺
準決勝:早稲田実業 4-1 和歌山商業 広陵中学 7-6 鹿児島商業
決勝:広陵中学 3-0 早稲田実業

●1930年8月21日(木)付「選抜中等校野球組合せ」

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主催:東都中等野球リーグ
場所:神宮
参加校:今治中学、一宮中学、平安中学、東北中学、下関商業、八戸中学、静岡商業、北海中学、松本商業、早稲田実業

●1930年8月25日(月)付「7-6 平安中学優勝 中等校選抜野球大会」

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決勝:平安中学 7-6 八戸中学

京都五大学野球連盟主催の選抜大会は常識はずれの1月開催。大阪時事新報社主催の選抜大会は毎日の選抜大会直前に、甲子園のすぐ近く、大阪府下藤井寺で開催。東都中等野球リーグ主催の選抜大会は朝日新聞の選手権大会決勝(8月20日)の翌日21日開始であった。

1930年は春の選抜甲子園大会は神港商業が優勝、夏は広島商業が優勝している。当時春の選抜甲子園大会優勝校は渡米の特典があった。

1930年7月3日(木)付「神港商業野球部の渡米日割」

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試合ハ総テ学業ニ支障ナキ時ニ行フベク特ニ対外試合ハ土曜日ノ午後又ハ休業日ニ限リ行フコト。」と野球統制令は定めているが、1930年7月17日~9月26日(横浜入港)と夏休みを大きくはみ出した日程になっている。当時六大学野球チームも毎年のようにアメリカ遠征していたが(→「後藤鎭平著『布哇邦人野球史』」)、日系人の多いハワイ、西海岸地域に限定されていた。神港商業はニューヨーク、フィラデルフィア、ナイアガラまで行く豪華版。当然夏の甲子園大会には参加できない。毎日が春の選抜優勝校を囲い込み、朝日の夏の大会に参加させなかった。確か鶴岡一人氏も広島商業で選抜優勝し、夏の大会に参加していないはずである。毎日大会優勝校の渡米特典は野球統制令と同年の1932年に廃止された。

2.2. 広陵中学と中京商業が参加した当時の野球大会

2.2.1. 広陵中学

また、広陵中学野球部史のサイト「広陵高校野球部 有志の会」によれば、1930年度に広陵中学が参加した野球大会は以下のとおりである。

京都五大学主催全国中学校野球大会
 1930年1月6日(月) 対高松商業 
 1930年1月7日(火) 対海草中学
 1930年1月8日(水) 対早稲田実業

大阪時事新報社主催全国選抜中等学校大会
 1930年3月20日(木) 対高松商業
 1930年3月21日(金) 対中京商業
 1930年3月22日(土) 対中京商業
 
銭村氏引退記念野球大会
 1930年4月13日(日) 対徳山中学
 1930年4月13日(日) 対広島商業

中国新聞社主催全国中等学校野球大会
 1930年4月27日(日) 対海草中学

山陽野球大会
 1930年8月1日(金) 対下関商業

芸備日日新聞社主催西日本選抜野球大会
 1930年8月15日(金) 対松本商業

大正中学校後援会主催中等学校野球大会
 1930年11月16日(日) 対大正中学
 1930年11月16日(日) 対今治中学

岡山中国民報社主催中学校野球大会
 1931年1月3日(土) 対米子中学
 1931年1月4日(日) 対坂出商業

呉スポーツ社主催全国中等学校野球大会
 1931年1月18日(日) 対丸亀中学
 1931年1月18日(日) 対大正中学

1930年の広陵中学は毎日の選抜大会(春の甲子園)、朝日の優勝大会(夏の甲子園)、明治神宮大会に不参加であったが、これだけの「全国中等学校野球大会」に参加できたのである。『広陵高等学校野球部百年史』(広陵学園広陵高等学校 2012) pp.70-72にも収載。

2.2.2 中京商業

田代正之「中等学校野球の動向からみた「野球統制令」の歴史的意義」 『スポーツ史研究』 (9) 1996.3 pp.11-26 によれば、1929年に中京商業が出場した大会は以下のとおりである。

第2回選抜野球リーグ戦(名古屋新聞社) 鳴海
東海4県中等対商業混成対抗野球試合(大阪朝日新聞名古屋支局) 鳴海
第14回東海中等学校野球大会(名古屋新聞社) 鳴海
中等学校野球大会(新愛知新聞社) 鳴海
全国中学・商業野球試合(スポーツ社) 甲子園
全国中等学校優勝野球大会地区予選(朝日新聞社) 鳴海
同 全国大会(同上) 甲子園
第2回全国中等学校名古屋大会(名古屋新聞社) 鳴海
選抜中等学校野球大会(新愛知新聞社) 豊川
愛知商業創立10周年記念野球大会(愛知商業野球部) 鳴海
選抜中等学校野球大会(神戸新日報社) 甲子園
中商・一宮・敦賀リーグ戦(中京商業野球部) 中商球場

広陵中学、中京商業とも中国新聞社、名古屋新聞社、新愛知新聞社のような地元有力地方紙の大会に数多く参加している。両行とも全国的な野球有名校だったので、遠方から「お座敷」もかかっていたことがみてとれる。
 

3. 大阪時事新報社の全国選抜大会

乱立した野球大会の中でもとりわけ注目に値するのは大阪時事新報社の全国選抜大会である。その理由は、

(1) 時事新報は福沢諭吉が創刊した名門紙であり、関東大震災前の東京3大紙(他は国民新聞、報知新聞)の一角をしめ、朝日、毎日が大阪から東京に進出したのに対し、時事は東京から大阪に進出していた「全国紙」であった。中国新聞、名古屋新聞、新愛知新聞のような地方紙ではなかった。

(2) 開催地の藤井寺は甲子園の至近であった。

(3) 開催期間は3月下旬で、毎日の選抜大会の1週前だった。

大阪時事新報社の全国選抜大会は1930年、同社の創立25周年記念事業として開始された。

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大阪時事新報1930年3月11日付

上記のように開催地、開催時期は毎日の選抜大会に「喧嘩を売る」形となった。1930年、1931年の同大会と毎日の選抜大会を具体的に比較してみよう。

3.1. 1930年

1930年の大阪時事新報社の全国選抜大会は大阪府下藤井寺球場で3月21日~3月25日に以下の10校が参加して開催された。

早稲田実業(東京)
本牧中学(神奈川)
中京商業(愛知)
明星商業(大阪)
市岡中学(大阪)
広陵中学(広島)
高松商業(香川)
阪出商業(香川)
今治中学(愛媛)
鹿児島商業(鹿児島)

一方、大阪毎日新聞社主催の第7回全国中等学校選抜野球大会は兵庫県下甲子園球場で3月31日~4月5日に以下の16校が参加して開催された。

静岡中学(静岡)
松本商業(長野)
諏訪蚕糸(長野)
愛知商業(愛知)
一宮中学(愛知)
敦賀商業(福井)
平安中学(京都)
和歌山中学(和歌山)
八尾中学(大阪)
第一神港商業(兵庫)
甲陽中学(兵庫)
明石中学(兵庫)
広島商業(広島)
高松中学(香川)
松山商業(愛媛)
台北一中(台湾)

毎日の参加校に関東、九州がないのに対し、時事はより「全国的」に選抜している。東京の全国的古豪早実に、ハワイから若林忠志をスカウトして注目を集めた新興の本牧中、さらに愛知商→中京商、広島商→広陵中、高松中→高松商と、毎日の「選抜」に漏れた全国的に知られたライバル校を時事は巧みに選抜している。大阪時事3月20日付「彼れらは果して如何なる妙技を揮ふ? 熱戦裡に勇躍するスタープレーヤーを見る」で、注目選手をピックアップし前景気を煽っている。

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大阪時事新報1930年3月20日付

手塚投手(早実)、佐々木投手(広陵中)、劉投手(本牧中 中華民国からの留学生)を取り上げた署名記事を書いたのは、後に「私がルールブックだ」の名言で知られることになる二出川延明氏である。二出川氏が時事大会の立ち上げに尽力したようだ。大阪時事3月22日夕刊1面は大会記事で埋め尽くされ、まるでスポーツ紙のようだ。

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大阪時事新報1930年3月22日夕刊1面

両大会の準決勝、決勝は以下のとおり。

【時事】 準決勝:今治中 9-4 早実 中京商 0-0 広陵中(延長15回) 中京商 4-0 広陵中(再試合) 決勝:今治中 1-0 中京商(延長12回)

【毎日】 準決勝:第一神港商 4-2 甲陽中 松山商 9-2 平安中 決勝:第一神港商 6-1 松山商

早実、中京商、広陵中のような全国的ネームバリューのある学校がベスト4に残り、延長再試合を含む接戦を繰り広げた大阪時事の大会のほうが「野球通」には受けたのではなかろうか。 

3.2. 1931年

前年1930年の大会は「本社創立25周年記念事業」だった時事の大会は翌1931年には「第七回首相旗盃争奪 中等学校野球大会」として大阪府下藤井寺球場で3月21日~3月23日に開催された。

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大阪時事新報1931年3月3日付

第1回~第6回大会に言及した記事は見当たらない。これは推測だが、同年第8回となる毎日大会に対抗して「第7回」と回次をつけたのではないだろうか。回次をつけたということは、翌年以降も開催するという意思を示したことになる。参加校は以下の8校。

早稲田実業(東京)
和歌山商業(和歌山)
浪華商業(大阪)
広陵中学(広島)
米子中学(鳥取)
徳島商業(徳島)
高知城東商業(高知)
鹿児島商業(鹿児島)

一方、毎日の第8回大会は兵庫県下甲子園球場で4月1日~4月8日に開催された。参加校は前年より3校増えて19校であった。

川越中学(埼玉)
神奈川商工(神奈川)
静岡中学(静岡)
松本商業(長野)
中京商業(愛知)
愛知商業(愛知)
平安中学(京都)
和歌山中学(和歌山)
海草中学(和歌山)
市岡中学(大阪)
八尾中学(大阪)
甲陽中学(兵庫)
第一神港商業(兵庫)
明石中学(兵庫)
広島商業(広島)
坂出商業(香川)
松山商業(愛媛)
北予中学(愛媛)
小倉工業(福岡)

前年選ばれなかった関東、九州地区からも選抜されていることが目を引く。校数の増加、選抜対象地域の拡大は、時事大会の脅威に対抗したものであろう。準決勝・決勝の結果は以下のとおり。

【時事】 準決勝:早実 4-1 和歌山商 広陵中 7-6 鹿児島商 決勝:広陵中 3-0 早実
【毎日】 準決勝:広島商10-8 八尾中 中京商 3-0 和歌山中 決勝:広島商 2-0 中京商

決勝には広陵中対早実、広島商隊中京商と全国的強豪が勝ち残り、両者そん色ない顔合わせとなった。


4. 新聞社戦争としての野球統制令

1931年の日米野球と野球統制令 新聞社戦争としての野球統制令」において、高等教育(大学)レベルでの野球統制令が「学校選手ハ職業選手トと試合ヲ行フヲ得ザル事」と規定し、野球統制令の前年1931年に日米野球という名目で東京六大学野球に食い込み、学生野球の聖地神宮球場で六大学野球部および同選抜チームと大リーグ選抜チームとの試合を主催した読売新聞社を大学野球から遮断したことは、すでに述べた。

中等教育レベルにおける野球統制令も朝日、毎日両氏以外の新聞社が主催した中等学校野球大会を廃止に追い込み、結果として朝日、毎日以外の新聞社を中等野球から遮断する役割を果した。

4.1. 全国大会レベルにおける統制

全国的優勝大会及全国的選抜大会ハ文部省公認ノ下ニ夫々年一回ヲ限リ開催セラルルモノタルコト」により、朝日の「全国的優勝大会」、毎日の「全国的選抜大会」以外の開催は認められなくなった。1930年に広陵中学が参加した「京都五大学主催全国中学校野球大会」、「大阪時事新報社主催全国選抜中等学校大会」、「中国新聞社主催全国中等学校野球大会」、「芸備日日新聞社主催西日本選抜野球大会」は開催できなくなった。下記に述べるように、地方大会には主催者に関する規制があるのだが、全国大会には「文部省公認」のみが規定され、主催者に関する規制がない。朝日、毎日の「既得権」が保証されている。

4.2. 地方大会レベルにおける統制

地方的大会(参加学校ガ近接セルニ府県若ハ数府県ニ互ル試合ヲ謂フ)ハ関係府県体育団体(第一項記載ノ事項参照)ノ共同主催若ハ文部省公認ノ下ニ開催セラルルモノタルコト」により、「府県体育団体」以外の新聞社や学校などは野球大会を主催できなくなった。広陵高校野球部有志の会のサイト(『広陵高等学校野球部百年史』(広陵学園広陵高等学校 2012)でも同内容を確認できる)により、1930年参加野球大会と野球統制令(1932年)後の1933年参加野球大会を比較してみよう。

1930年

京都五大学主催全国中学校野球大会
大阪時事新報社主催全国選抜中等学校大会
銭村氏引退記念野球大会
中国新聞社主催全国中等学校野球大会
山陽野球大会
芸備日日新聞社主催西日本選抜野球大会
大正中学校後援会主催中等学校野球大会
岡山中国民報社主催中学校野球大会
呉スポーツ社主催全国中等学校野球大会

1933年

広島県体育協会主催西部中等学校リーグ戦
広島県体育協会主催西部中等学校リーグ戦
山陽大会広島県予選
山陽大会広島県第二次予選

1930年には京都、大阪、岡山の他府県で開催された大会(朝日、毎日、神宮大会は含まれず)に出場しているが、1933年は広島県内の大会にのみ出場している(当時広島県では藤村富美男が在籍した大正中学が強く、広陵中学はは朝日、毎日の全国大会に出場できなかった)。大阪時事新報ならびに中国地方の地方紙主催の大会はなく、「府県体育団体」たる広島県体育協会主催の大会、および朝日の優勝大会の地区予選にのみ出場している。

このことは、文部省からみれば新聞社が主催する入場料を徴収する商業的野球大会が淘汰され、他府県遠征や試合数が減り、「中等野球が正常化」したことを意味するが、朝日、毎日両紙からすれば、競合する新聞社主催の中等学校野球大会が消滅したことを意味する。特に毎日にとって、目障りな大阪時事新報社の大会がなくなったのは朗報であったろう。

4.3. 朝日・毎日による「学生野球利権」の独占 駆逐された新聞社は職業野球へ

野球統制令をめぐっては、文部省による「思想善導」であるとか、単に野球過熱を抑えるもであるとの評価があったが、その内容が朝日、毎日の既得権を守り、この2社以外の新聞社を野球から遠ざける、新聞社間の「野球利権闘争」であったことが見逃されているのではないだろうか。新聞経営上野球大会の主催がいかに役立つかを最もよく知る立場にあったのが朝日、毎日の両紙だったのである。

1923年の関東大震災を契機に、関西を2分していた朝日(東京朝日新聞)、毎日(東京日日新聞)は関東で大きく部数を伸ばして関東を制圧し、野球統制令の時点では、関東では正力松太郎により息を吹き返した読売新聞、関東・関西以外の地域では有力地方紙、例えば東海地域の名古屋新聞、新愛知新聞(両紙が合併したのが中日新聞)などが、朝日、毎日両紙が「全国制覇」する上での有力対抗馬であった。すでに明治期に名古屋に進出していた大阪朝日、大阪毎日の両紙は1935年から名古屋での印刷刊行を開始している(『中部日本新聞十年史』(中部日本新聞社 1951) p.8)。

野球統制令が発表された直後の『野球界』誌1932年5月号(22巻6号 p.172-175)で、広島の中国新聞社所属のペンネーム鯉城散史は「球界時評-野球浄化規定評 あけてくやしや玉手箱」という記事を投稿している。中国新聞社の視点からみた野球統制令とは、

野球統制といふドサクサ紛れに、全国各地の地方新聞の諸大会なんか、火事泥式に一遍に掻っ攫はれてしまったんだから、大抵のお人好しでも、カンカンになって、悲憤慷慨せざるを得んぢゃないか。

我等をして今度の中学野球統制案を、一言の下に批評させるなら、大毎、特に大朝を背景として作り上げられた反動的且つ官僚的、而も事大主義の権化ともいふべき、変態決議だとさへ喝破し得る。そのすべての条項なるものが偶然的の暗合か、それとも意識的な計画あってのことか、大朝の全国優勝大会、大毎の全国選抜大会に、何と都合よく出来上ってゐることよ。

併しながら野球統制の美名に隠れ、文部当局をさし挟んで、全く行き掛けの駄賃式に、地方新聞の諸大会を廃絶し、以て自社主催の大会のみによって、わが中等野球界を壟断せんとするが如き、時代錯誤の非違を抱くにおいては、断じてこれを黙過することが出来ない。

而も所謂大新聞なるものの、手を替え品を替えての地方新聞圧迫が、かくの如く清純明朗なるべきスポーツに関して迄、忌むべき魔の手を拡げつつあることを、現代ヂャーナリズム界の風潮より考察して、十分信じて差支へないことを悲しむものだ。

というものだった。

野球統制令は学生野球と職業野球の試合を禁止することによって読売を大学野球から駆逐し、朝日、毎日以外の新聞社主催野球大会を禁止することによって有力地方紙を中等野球から駆逐した。朝日、毎日は野球統制を審議するために文部省が設置した委員会(安部磯雄、東龍太郎、平沼亮三など体育界の有識者17名)に自らの息のかかった飛田忠順(朝日新聞社嘱託)、橋戸信(東京日日新聞社社員)を送り込んでいる。

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『東京朝日新聞』1932年2月2日付

野球統制令の2年後、1934年の日米野球にはベーブルースが来日し、読売が自社で作った「全日本チーム」との対戦は新聞経営史上のレジェンドとなるほどの成功を収めた。その全日本チームが大日本東京野球倶楽部となり、1936年に日本職業野球連盟が発足してプロ野球が始まる。発足7チームのうち、4チームが新聞社系チームであった。

東京巨人軍(読売新聞社)
大東京軍(国民新聞社)
名古屋軍(新愛知新聞社)
名古屋金鯱軍(名古屋新聞社)

野球統制令によって大学野球、中等野球から駆逐された新聞社は職業野球を発足させることにより新聞経営上の「野球利権」を創造したのである。現在、読売新聞社、中日新聞社が系列スポーツ紙も含めて新聞経営上の「野球利権」をいかに享受しているかは、ご承知のとおりであろう。

【関連リンク】

1931年の日米野球と野球統制令 新聞社戦争としての野球統制令
野球統制令における小学生の対外試合

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こんな裏があったんだ

Nat

いつまでも売船されずに函館港フェリー・ターミナルで待機中の「ナッチャンWorld」。


民間船:有事の隊員輸送 船員を予備自衛官として戦地に
(毎日新聞)

民間船:有事輸送 戦地へ誰が…船長「何も聞いてない」(同)

「はくおう」は舞鶴航路の先代「すずらん」。

「戦地」という見出しがセンセーショナルだが、「尖閣諸島を含む南西諸島の有事」よりも、東日本大震災のような「有事」に備えて、高速・大量輸送船を確保しておく方が重要ではないだろうか。

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気がつけば

J1、J2の首位チームの監督は韓国人。両チームとも運動量豊富で、鳥栖対湘南は面白そうなカード。天皇杯ではまだ可能性あり。

清水東三羽烏ダービーは9月23日日本平。

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