「大和魂」の初出
通勤読書で田中康二著『本居宣長 文学と思想の巨人』(中央公論新社 2014 中公新書)を読んでいたら、「大和魂」は「漢意(からごころ)」と対立する概念で、
“この大和魂と漢意とは宣長国学のキー・コンセプトであり、宣長の著作を読み解く上で必要不可欠のキー・ワードであった。”(p.10)
そうだ。
初出は『源氏物語』の「少女(乙女)」の、
“なほ、才をもととしてこそ大和魂の世に用ゐらるる方も強う侍らめ。”
という光源氏の台詞だそうである。“漢才を身に付けてはじめて「大和魂」が世間に認められる”(p.11)というふうに使用されており、「大和魂」は知恵や気働き、常識的な思慮分別の意で使われているとのことだ。
ところが、宣長の師、賀茂真淵は「大和魂」を“古代日本人の美徳であり、まっすぐで清らかな心を意味する”(p.13)ものとして読み替え、それを宣長が継承した。
「大和魂」は紫式部が源氏物語で初めて使用した語だが、後世には初出とは全く異なった意で国学とともに普及した。吉田松陰の辞世の句、
“身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂”
の「大和魂」も真淵‐宣長師弟が普及させた意で使用されている。
私がこの語を知ったのは、1967年世界ジュニアウェルター級チャンピオンになった日系アメリカ人藤猛の台詞で、当時死語化していたこの語が流行語になった。藤猛はその名の通り、日本有数の荒々しいボクシング・スタイルの世界チャンピオンだったので、その印象により「大和魂」には猛烈とか壮烈のような意が含まれているとずっと思っていたが、初出のテキストは雅な『源氏物語』で、しかも初出の時点ではナショナリズムとも何の関係もなかったのである。
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