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『附属中学サッカーのあゆみ』におけるチョー・ディン

チョー・ディンが最初に接触した日本のサッカー関係者は東京高等師範学校附属中学校のサッカー・チームであった(そのころまだ正式の部になっていない)。ディンの著書『How to play association football』(平井武 1923)の謝辞には、

“早稲田の鈴木氏、寿谷氏、附属中学校の児島本田春山真鍋諸氏”

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とあるが、鈴木(重義)も附属中OBで、児島(英二)、本田(長康)、春山(泰雄)、真鍋(良一)は現役中学生だった。本田と春山は後に日本代表となり、同じくディンの直弟子鈴木重義、竹腰重丸らとともに1927年の日本代表国際戦初勝利に貢献した。ディンの著作の「版元」平井武は1921年上海で開催された極東選手権の走高跳優勝者で早稲田の陸上競技部所属で当時の日本記録保持者。ディンは走高跳の経験もあった。

『附属中学サッカーのあゆみ』(東京高等師範学校附属中学蹴球部六十周年誌編纂委員会 1984)にはチョー・ディン関係の3記事がある。

(35回)竹内至  チョー・ディンさん p.22
(35回)竹内至 “How to play association football”について pp.23-24
(36回)藤岡端 チョー・ディンとその頃 pp.24-25

35回は1926年、36回は1927年卒。

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