« August 2014 | Main | October 2014 »

五箇山・白川郷紀行

毎年高山に行っているが、五箇山と白川郷に行ったことがなかったので、行ってみた。

Cimg8666

高山に行くには、高速バスが最速・最安なのだが、ほくほく線の「はくたか」がなくなってしまうそうなので、「惜別」乗車に上越新幹線で出発。

Cimg8669

Cimg8670

12:30頃越後湯沢着。どの店も満員だったので、お握りとかけそばの昼食。

Cimg8672

「はくたか」

Cimg8673

ほくほく線の高規格線路を走行するのはこの車両のみになる。

Cimg8674

絶滅危惧種になりつつある在来線特急の車内販売。

Cimg8675

いまだ工事中の富山駅。

Cimg8676

Cimg8677

「烈車戦隊トッキュウジャー」って何や?

Cimg8679

松川に遊覧船が。

Cimg8678

本日宿泊の富山マンテンホテル。

Cimg8680

部屋の窓から。路面電車ウオッチングできる。隣のビルの屋上庭園も鑑賞可w

Cimg8681

アジア大会の日韓戦を観戦。劣勢を健闘していたのに惜しい。PK戦までいってほしかった。

Cimg8685

日曜日だし飲み屋街まで出かけるのは億劫だったので、「家飲み」しようと酒と弁当を買っていたのだが、ホテルの地下に生簀割烹の店があった。

Cimg8682

生ビールと突出。

Cimg8683

富山に来たからにはキトキトの魚を。刺身盛り合わせ。

Cimg8684

大きな鯵の塩焼き。ビール2杯で5千円。

Cimg8686

Cimg8687

部屋に帰って「富山湾弁当」。

Cimg8688

越後湯沢で買っておいた八海山。

Cimg8689

朝食。敦賀もそうだったが、マンテンホテルの朝食はオススメ。

Cimg8690

8:00発の「ワイドビューひだ」に乗車。

Cimg8695

9:30頃高山着。

Cimg8709

路線バスで白川郷を往復するだけで、4,400円。五個荘・白川郷とランチ付で6千円台だったので、珍しく定期観光バスを利用した。高速道路がなかった頃、別府・熊本直通のバスがやまなみハイウェイ経由の観光バスしかなかったので乗車して以来。古典的なバスガイド付き。

Cimg8698

五箇山菅沼集落。

Cimg8705

Cimg8706

こちらは富山県。藩政時代は火薬の原料、煙硝の生産地だったとのこと。戦国時代はすべてポルトガル商人からの輸入に依存していたので、「国産化」は脱ポルトガル・イエズス会という日本史的にも重要な意味があったらしい。

Cimg8743

観光バスなので、効率よく白川郷へ。こちらは岐阜県。

Cimg8741

白川郷展望台の売店兼食堂で昼食。美味を期待するのは無理というもの。やまなみハイウェイでも阿蘇のレストハウスでの昼食付きだったが、やはりおいしくなかったことを思い出した。

Cimg8745

展望台を下から見たところ。月曜なのに観光客が多い。

Cimg8746

国指定重要文化財、和田家住宅。

Cimg8747

ここだけ300円払って中に入ってみた。

Cimg8748

Cimg8749

1階は居住区。

Cimg8751

Cimg8752

Cimg8753

Cimg8754

2階。

Cimg8755

天井。

Cimg8760

Cimg8765

集落のいたるところにせせらぎがあり、鱒や鯉がいた。

Cimg8763

Cimg8764

Cimg8767

和田家住宅以外の主要合掌建築。

Cimg8768

洗濯物が干してあるが、普通に人が住んでいる。

Cimg8769

ガレージが合掌造りの家も。

Cimg8776

高山に帰る途中。左側の噴煙が御嶽山。

Cimg8777

高山駅前の高山カントリーホテルに宿泊。昨日に続いて鉄道ウオッチングできる部屋。

Cimg8779

Cimg8778

夕食は「つづみ」でチャーシューメン大盛(1,200円)。

Cimg8782

朝食。

Cimg8783

8:00発の新宿行き高速バスは京王バス。

Cimg8793

中の湯の「卜伝の湯」。

Cimg8795

自噴する温泉がかけ流しで川に流れている。もったいない!

Cimg8797

奈川渡ダムの堰堤を国道158号線が通っている。

Cimg8800

諏訪湖サービスエリアから。14:00頃新宿着。


| | Comments (0)

コンテンツを改訂しました

チョウ・ディン関係資料集を改訂しました。

| | Comments (0)

徳島阿房バス・船 海部観光「マイフローラ」乗車記・オーシャン東九フェリー「おーしゃんのーす」乗船記

Cimg8468

新宿高速バスターミナル22:10発「マイフローラ」。以前乗車した青森行き「津軽号」と同時刻発車。3連休前の金曜日ということもあり、1か月前の発売日に残席1だったのを確保。

Cimg8469

ピンボケですいません。2列シートで1台定員12名。シート・ピッチは縦横とも十分。電動のフルリクライニングにすると、ほぼ平坦に近い感覚。TV付き。

Cimg8470

横の席を外から。個室感覚になれる。

Cimg8471

TVにはナビ画面もあり。ずっとこれを観ていた。各席にヘッドフォン、おしぼりあり。

Cimg8472

トイレ、洗面の広さも十分。トイレの部分は床暖房。途中2か所で15分ほどのトイレ休息があったが、座席で十分体を伸ばせ、車内で楽に用もたせたので、車外には出なかった。

Cimg8474

大鳴門橋通過。

Cimg8478

小鳴門橋通過。

Cimg8480

Cimg8479

吉野川通過。

Cimg8481

海部観光徳島駅前営業所。無料シャワー室、無料マッサージチェアのある休息室あり。

Cimg8482

シャワーは順番待ちだったので、新町川の先にあるサウナへ(早朝料金1000円)。本日の予定はオーシャン東九フェリー乗船のみなので、時間はたっぷりある。

Cimg8483

サウナを出て、近くの新町川べりで風にあたる。

Cimg8484

Cimg8485

新町川にかかる橋の上から徳島駅方面と反対の眉山方面。

Cimg8486

駅前に戻って、タリーズでモーニングセット。

Cimg8487

2食分の食料を調達して、駅から徳島市バスで。

Cimg8488

オーシャン東九フェリー・ターミナルへ。

Cimg8494

Cimg8493

「おーしゃんのーす」はすでに入港。

Cimg8495

Cimg8496

Cimg8497

関東にせよ北九州にせよアウェー戦にフェリーを使うのはダイヤ的に厳しい感じ。

Cimg8545

Cimg8546

南海フェリーが見える。河口にあって、長距離フェリーと近距離フェリーのターミナルがあるところが新潟と共通。

Cimg8547

乗船。2等寝台のモノクラスという人民船。

Cimg8552

レストランはなく、自動販売機のみ。

Cimg8551

プロムナード。パブリック・スペースは十分。

Cimg8566

桟敷スペース。

Cimg8568

フォワード・サロン。主にここで過ごした。

Cimg8556

Cimg8559

デッキがやたら広い。

Cimg8564

特筆すべきはフォワード・サロンの船首側にもデッキがあって、1周できる。太平洋フェリーの先代「きそ」も周回できたような記憶がある。

Cimg8565

前方デッキから船首を。船長気分になれるw

Cimg8554

11:30出航。

Cimg8549

Cimg8550

昼飯は徳島駅弁。

Cimg8569

Cimg8570

出航してすぐに僚船「おーしゃんさうす」と反航。

Cimg8572

白浜の温泉街。

Cimg8581

本航路最大のビュー・ポイント潮岬と潮岬灯台。

Cimg8588

日没。

Cimg8575

徳島駅のキオスクで駅弁と一緒に購入したジャンキーな夕食。

Cimg8573

徳島名物フィッシュカツ。

Cimg8574

同じく竹ちくわ。ちくわの漢字表記が竹輪であることを実物考証できる、練り物界のカブトガニ。

Cimg8591

翌早朝、東京湾。

Cimg8602

Cimg8605

日の出。

Cimg8606

Cimg8607

Cimg8609

レインボーブリッジ通過。

Cimg8608

スカイツリー遠景。

Cimg8613

東京港フェリー・ターミナルへ。ボーディング・ブリッジがなく、下船は車両甲板からワゴンで。船内で予約していたりんかい線国際展示場前行きのワゴンにさらに乗り換え、りんかい線、山手線経由で渋谷から帰宅。

| | Comments (0)

British Newspaper Archiveにおける「football」の初出

英国図書館の電子化新聞アーカイヴ「British Newspaper Archive」は原文アクセスは有料だが、検索と一覧表示は無料なので、アーカイヴ化された新聞の範囲内での語句の初出を調べられる。

「football」の最古例は1717年4月18日付の『Stamford Mercury』紙。

Thu 18 Apr 1717 , Stamford Mercury , Lincolnshire, England
Type: Article Words: 126 Page: 7, 8 Tags: none

用例は、

“... Monday lail the Commons gave Leave to bring in B'll to prevent the which frequently, happen throwing Cocks, and kicking Footballs within the City London and ... ”


| | Comments (0)

『附属中学サッカーのあゆみ』「チョー・ディンとその頃」

藤岡端「チョー・ディンとその頃」『附属中学サッカーのあゆみ』(東京高等師範学校附属中学蹴球部六十周年誌編纂委員会 1984) pp.24-25

チョー・ディンとその頃

                          (36回) 藤岡端

 「ア式蹴球は日本において未だ正当な評価を受けていない - これは他の競技については多くの著書があるのに、ア式蹴球に関する良書が少ないためと思われる。著者は自らの14年間の経験をもとに、日本で過ごした3年間に気付いたプレーヤーの欠点について出来る限りの指摘をして来た。」私の知る範囲ではキック、タックル、ヘッドなどの各個のプレーについての良い指導書は見当らない。本書で各プレーの目的と技術を説明した。

 チョー・ディンは、本論に入って攻撃、守備の概説、各ポジションの役割、各プレーについての技術的な指導、攻撃、防禦の構成などに及ぶ。殆どのチームが蹴って走り、ドリブルして突っ込むといったプレーを主としてパッシングなど念頭になかった時代の日本のプレーにはじめは当惑したに違いない。当時山口高校の選手としてコーチを受けた故竹腰重丸氏は、“大きな収穫はキックやヘッディングのフォームやタイミングについて、簡単な物理を適用することを教えられ、サッカーは考えることが出来るスポーツであると知ったことであった”と述懐している。これは同氏がメルボルン・オリンピック参加を前に旺文社スポーツ・シリーズ中の一巻として著作された“サッカー”からの引用である。同書は氏の経験と研究をもとに日本人の立場から書き下ろされたものであり、個人プレー、チームプレーを細かに分解して説明し、戦術にまで及ぶ丁寧なもので、その懇切さには類書をみない。しかしそのバックボーンにチョー・ディンの姿がチラつくと云っても著者に対して非礼とはならないと確認する。

 震災前後のわが蹴球界を回顧する。東京育ちには東京高師と日比谷公園の仮設グラウンドが檜舞台であった。フルバックがハーフ・ラインを超す長蹴を放つと観衆は“わァーッ”、ウィングフォワードがドリブルで相手を抜くたびに拍手と感嘆のどよめき。強豪豊島師範の応援は“蹴っ飛ばせやー”の怒号乱舞。こんな時代に分析された技術を基としたキック、ヘッド、タックルを身につけ、ショート・パスを主軸とする攻撃の組み立てがもちこまれたのである。近代サッカーの脱皮の時機であった。そして1925年オフサイド規則の変更(3人制から現行の2人制へ、日本では翌年から実施)により攻防の動きが一層緻密になり、キック・アンド・ラッシュやドリブルを主とするゲームの展開は過去のものとなってしまった。しかも第二次世界大戦後は世界的なプロチームの興隆によってサッカーはまさにスポーツ界の王座にある。オリンピック大会といえどもサッカーをプログラムから外しては経済的に成立しない時代になった。この間日本代表チームの活躍や日本リーグの向上などわがサッカー界も空前の活況にある。したがっが(ママ)わが国のとくに青少年の人気は恐らく野球につぐものであろう。書店には色とりどりのサッカー手引書が並んでいる。そして少年たちが憧れる名選手の写真や、ハデなプレー(リフティング、トラッピングなどなど)の解説などが紹介されている。なんの場合でもファンダメンタルズを習い覚えさせることは困難ではあるが、成功に近道はない。その意味でつたない表現であっても各プレーの基礎をを網羅したチョー・ディン氏の小著は、わがサッカー史に黎明をもたらしたものである。本書が発行されて一週間後が関東大震災、そしてその60周年を記念するように附属中学蹴球部史が編集される。明治生れの老童連はチョー・ディンを追憶しつつ感無量である。”

| | Comments (0)

『附属中学サッカーのあゆみ』「[How To Play Association Football]について」

竹内至「[How To Play Association Football]について」『附属中学サッカーのあゆみ』(東京高等師範学校附属中学蹴球部六十周年誌編纂委員会 1984) pp.23-24

[How To Play Association Football]について

     著作者 チョー・ディン

       (真鍋良一蔵書)

                  (35回) 竹内至

 此の本はビルマよりの留学生であったチョー・ディン氏によって、大正12年8月23日発行されたサッカーの教科書とう云うべき聖書である。この本の序文に次の事が書かれている。「私は又他の人々の意見も聞き、十分に取り入れているので、この本を読まれる諸君が満足を得られるものと信じている。この本を発行するにあたり、ビルマのモン・エッペ、早稲田の鈴木氏、寿谷氏、附属中学校の児島、本田、春山、真鍋氏の親切な御援助、および東京高工の高松氏の日本語への翻訳、平井武氏のこの本に対する、色々の援助に対し、厚く御礼申し上げるものであります」

 文中の鈴木氏は30回の故鈴木重義氏であり、児島→故児島英二(33回)、春山→春山泰雄(33回)、本田→本田長康、真鍋→真鍋良一(34回)であります。この本の製作に就ては、附属の方々が実技の上で関係されたのであります。大正12年から云えばサッカーのルールは何回か改訂されていますので、この教科書はその侭では現在に通用しませんが、まだまだ立派に学ぶべき処もありますし、其の精神は今日も生きていると云えるでしょう。

 しかし何と申すにも大正12年の著作であり、現在の方々には読み辛いし、或は理解が難かしい処もありますので、全文を現代語に意訳する作業を篤志家の御協力で完成しました。

 全文を本書に掲載する事は紙面の都合で不可能でありますので、別の機会に譲る事としチョー・ディン氏の書かれた本書の精神の一部を記載する事と致します。

 サッカーマンに対する忠告

① 競技中は、絶対に利己的、即ち自分だけの功名を考えないようにすること。なぜならば、自分だけの功名は、決して全チームに勝利をもたらすものではなくて、結合・統一された全体の努力が、はじめて成功するものであるからです。故に良いチームの美点は、完全に統一された所のチームワークなのです。

     Union is strength

② Play the Games and not the Gallery。この一句が総てのサッカーマンのモットーでなければならない。観衆からの拍手喝采を考えると、兎角自分自身の功名に走りたくなるものである。チームが獲得した栄冠は、又そのチームを形成するメンバーの名誉なのであるから、公正なる競技によって勝利を得るよう努力すべきである。

③ いわゆる、スポーツマンであってほしい。たとえ敵がファールをしても決して怒ってはならない。各競技者は同胞愛を堅くもたねばならない。

④ 敵を背中から攻撃してはならない。これは紳士として、最も恥ずかしい事であるから。

⑤ 奇声や、不快な声を出さないようにすること。この様なチームと競技することは、最も不愉快なことである。

⑥ レフェリーに対しては絶対に従う事。そぢてその判断については決して苦情を言わない事。”

『How to play association football』は日本サッカーミュージアムのサイトで全文アクセス可

| | Comments (0)

『附属中学サッカーのあゆみ』「チョー・ディンさん」

竹内至「チョー・ディンさん」『附属中学サッカーのあゆみ』(東京高等師範学校附属中学蹴球部六十周年誌編纂委員会 1984) p.22

チョー・ディンさん
                         (35回) 竹内至

 チョー・ディンが日本で始めてボールに触れたのは大正9年頃と思われる。彼の著書にサッカー歴を14年と書いて居るが、ビルマでの様子は知る由もない。東京高等工業(蔵前)に留学して居る或日、日本の蹴球代表選手が東京高師のグラウンドで練習して居る事を知り、ぶらりと遊びに来たものと思われる。「全関東蹴球団」(極東大会の日本代表チーム)に附属中学在校選手が練習台となってお相手していた。代表チームには附属の卒業生で井染さんと後藤さん(共に29回)がおり、高師では佐々木等さん、大新田勝海さん、森悌次郎さん、後藤素直さん、佐藤実さんと半数以上が東京高師関係者で占められていたので、練習相手としてはお誂え向きのチームであったろう。大正9年の秋から10年5月の極東大会へ出発する迄の間であろう。附属中学も大正10年の関東蹴球大会(2月11日~13日)に出場して第2回戦で善戦し抽籤で負けている。当時の選手としては鈴木重義さん、峰岸春雄さん、川上俊雄さん、樋口長雄さんは亡くなられているが、岡山俊雄さん、山路誠さんは健在である。そんな或日チョー・ディン氏は東京高師のグラウンドで「全関東蹴球団」や附属の生徒達にキック、シュート、タックルと云った基本の技術を教えてくれた。日本に来てボールに触れるチャンスのなかった彼にとっては、日本のサッカーマンにコーチ出来たのは一つの気晴らしであったかもしれない。「日本で過ごした3年間に於ける、プレーヤーの欠点を見」この著書を書いたと記しているから、大正10年から3年目の12年に著書を出版した事になる。チョー・ディンは痩型長身で走高跳にも優れ、上海大会で走高跳で優勝した早大の平井武さんとの出合は平井さんが帰朝してからである。10年に早稲田高等学院に入学された鈴木重義さんは平井さんを通して早高の蹴球部にチョー・ディンを招いて本格的な指導を受けられる事になり、大正12年1月第1回インターハイで早高が優勝する基因となる。”

【注】

全関東蹴球団:体協の蹴球委員会委員長、岡部平太が結成したピックアップ・チーム。東京高師、東京蹴球団、及び野津謙(東京帝大)からなる。代表予選で関西代表関学を破り、初の代表アウェー戦となった1921年第5回極東選手権に出場、も対フィリピン1-3対中華民国0-4で2戦2敗。

井染さん:井染道夫。附中1920年卒。明大サッカーの祖。東京蹴球団員。
後藤さん:後藤基胤。附中1920年卒。東京高師に進学、卒業後湘南中学蹴球部の初代部長となり、同校を関東屈指の強豪に導く。
鈴木重義:附中1921年卒。早大サッカーの祖。ベルリン・オリンピック日本代表監督。
峰岸春雄:峰岸春雄は附中1918年卒なので、同1920年卒の峰岸正雄ではなかろうか。峰岸正雄は立大サッカーの祖。
川上俊雄:附中1922年卒。四高から東北大に進学。
樋口長雄:附中1922年卒。慶応に進学。
岡山俊雄。附中1921年卒。松本高から東大に進学。
山路誠:附中1923年卒。一高から東大に進学。

| | Comments (0)

高師附中1938年卒の蹴球部員、日奈子昌三

『附属中学サッカーのあゆみ.』(東京高等師範学校附属中学蹴球部六十周年誌編纂委員会 1984)の名簿に記載されている「第47回 昭和13年卒業 日奈子昌三 死亡 東京商大」(p.207)はJFAのシンボルマーク八咫烏のデザイナー、日名子実三の関係者なのだろうか?

JFAがシンボルマークを制定したのは1931年、日奈子昌三はその2年後に入学したようだ。

|

『水戸高等学校蹴球部史』におけるチョー・ディン

水戸高等学校は、茨城県出身の実業家内田信也の寄付100万円によって1920年開校した。体育指導者は、これも内田の援助によって米国留学していた岡部平太が招聘され、岡部の指導により1周400m、直線200mのトラック、それとは別に野球グラウンドのある全国屈指の運動施設を有する高等学校となった。

『水戸高等学校蹴球部史』(水戸高等学校蹴球会 [1999])によれば、1921(大正10)年夏、竹腰重丸の紹介でチョー・ディンがコーチに訪れたことが記されている。同年東京高等師範学校附属中学卒の中島道雄が2回生として入学した。

“この年の夏、ビルマから日本に留学していたチョー・ディン氏がサッカーのコーチに水高にみえた。木村康一(2回)はつぎのように記している。「ア式蹴球部は一応石川講師を部長に練習し、夏には山口高校の名手竹腰重丸君案内で東京高工(現東京工大)のビルマの留学生モン・チョー・ディン君を案内して来水した。ビルマは当時英領であった為めかイギリスの競技ア式蹴球に関しては日本の先輩であったが、それにしてもそのサッカー技は驚くべきものであり、時には裸足で我々生徒のスパイクサッカーシューズの間を縫って球を運ぶ身軽さ、キック、シュートの正確さ、強さに驚かされ、競技運び、作戦等も教えられ、大いに得る所があったが、そのコーチを受けた他の高校もサッカー技の向上に益したことである」(「旧制水戸高等学校のア式蹴球部の草創」『蹴球会誌』復八)。

 チョー・ディン氏について、島田秀夫(14回)は次のように記している。「チョー・ディンは大正九年ビルマから来日した東京高等工業(現在の東京工大)の留学生三人の内の一人でサッカーの外陸上競技のジャンプにも秀でていた。当時ビルマは英国の植民地であったのでサッカーは英国流の本場のサッカーであることは勿論。このチョー・ディンが早稲田でコーチの後、付属中学に来て(というより東京高師のグランドでといった方がよいかも知れない)本腰のコーチを始めたようだ。これが縁で春山さん(当時中学五年)や真鍋さん等の付属の選手たちも真剣に取組んだようだ。ここでチョー・ディンはコーチをしながら「How to play Association Football」という小冊子を書いている。チョー・ディーン(ママ)がこの本を世に出す(大正十二年)に当っては春山さんや真鍋さん等も神楽坂の下宿につめかけ翻訳に当ったり協力これ努め写真取りのモデルにもなっておられるのである」(「春山さんの一年祭に出席して」『蹴球会誌』復一〇)。”(pp.8-9)

木村康一は府立四中OB。島田秀夫は東京高師附中OB、水戸高を経て東北帝大卒、三菱重工勤務。JFA第7代会長

| | Comments (0)

調布駅南口行きバスに乗る

Cimg8429

家の最寄のバス停で最も遠い終点が調布駅南口行。しかし1時間1本の過疎路線。

Cimg8432

渋谷-三軒茶屋-成育医療センター-狛江駅北口-調布駅南口、という路線。

Cimg8430

結構長距離なのに料金は前払い均一制。

Cimg8431

調布市内に入ると畑があり、野菜の無人販売所や梨の直売所があった。

Cimg8434

Cimg8433

調布駅南口の時刻表。味スタの帰りに使えるかも。

Cimg8435

Cimg8436

Cimg8437

調布駅は地下化していた。


| | Comments (0)

『アストラクラブ 輝かしき80年の歴史.』におけるチョー・ディン

チョー・ディンは日本では早稲田高等学院、アストラ倶楽部を指導した。前者は第1、2回(1923、1924年)全国高等学校蹴球大会(インターハイ)で連続優勝、後者は第3回(1923年)全日本選手権(現・天皇杯)で優勝と、当時全国的なサッカー大会が少なかったにもかかわらず、短期間ながら傑出した成績を残している。

『アストラクラブ 輝かしき80年の歴史.』(アストラ倶楽部 1998)は刊行が遅かったので、ディンの指導を受けた人物があまり残っておらず、天皇杯優勝の項でもディンへの言及がない。「第1回座談会<戦前編・大正から昭和20年まで>」(pp.75-82)で渡辺良吉(1929年卒)が以下のように言及しているのみである。

渡辺 私が中学のころ、チョーディンという外人、ビルマ人でしたがアストラでサッカーを教えてもらいました。30歳ぐらいでしたが、はだしでボールを蹴り、インサイドステップのシュートはものすごかった。”(p.79)

| | Comments (0)

『附属中学サッカーのあゆみ』におけるチョー・ディン

チョー・ディンが最初に接触した日本のサッカー関係者は東京高等師範学校附属中学校のサッカー・チームであった(そのころまだ正式の部になっていない)。ディンの著書『How to play association football』(平井武 1923)の謝辞には、

“早稲田の鈴木氏、寿谷氏、附属中学校の児島本田春山真鍋諸氏”

Cimg8418

Cimg8419

とあるが、鈴木(重義)も附属中OBで、児島(英二)、本田(長康)、春山(泰雄)、真鍋(良一)は現役中学生だった。本田と春山は後に日本代表となり、同じくディンの直弟子鈴木重義、竹腰重丸らとともに1927年の日本代表国際戦初勝利に貢献した。ディンの著作の「版元」平井武は1921年上海で開催された極東選手権の走高跳優勝者で早稲田の陸上競技部所属で当時の日本記録保持者。ディンは走高跳の経験もあった。

『附属中学サッカーのあゆみ』(東京高等師範学校附属中学蹴球部六十周年誌編纂委員会 1984)にはチョー・ディン関係の3記事がある。

(35回)竹内至  チョー・ディンさん p.22
(35回)竹内至 “How to play association football”について pp.23-24
(36回)藤岡端 チョー・ディンとその頃 pp.24-25

35回は1926年、36回は1927年卒。

| | Comments (0)

文部の意気地無乎 内務の出しや張乎

サッカー本ではないが、東京府立五中(現・東京都立小石川高校)の初代校長であり、同校の校技としてサッカーを導入し、日本サッカー史に少なからざる影響を与えた伊藤長七の伝記が刊行されている。

寒水 伊藤長七伝』矢崎秀彦著

著者は諏訪の郷土史家。本書ではもちろん言及されていないが、伊藤は東京高等師範学校1905年卒、東京高師でサッカーを始めた中村覚之助の1年後輩、1904年の日本人最初のサッカー試合YCAC対東京高師戦時に在学していた。

ところで、伊藤は東京高等師範学校附属中学校教頭から府立五中の校長になるのだが、附中教頭時代に教育評論『現代教育観』(同文館 1912)を著している教育界の著名人だった。その第43章のタイトルは、「文部の意気地無乎 内務の出しや張乎」。

Cimg8412

匿名(黒風白雨楼)で『東京朝日新聞』に連載した「現代教育観」をまとめて、本名で単行本化した。「文部の意気地無乎 内務の出しや張乎」は1912年6月19日付同紙に掲載された。

Cimg8413

単行本の序文は文部大臣経験者(1901~1903年)菊池大麓、

Cimg8414

文部事務次官経験者(1906~1907年)沢柳政太郎、

Cimg8415

が書いていて、教育界のエスタブリッシュメントも伊藤長七の見識を評価していたことがわかる。

「文部の意気地無乎 内務の出しや張乎」を新聞や本に書いて問題にならず、単行本化時には元文相と元文部次官が序文を寄せている。そして教頭から校長に抜擢された大正時代は現在よりもよほど風通しが良かったのではなかろうか。

| | Comments (0)

『東京高等工業学校一覧. 大正11-12年』におけるチョー・ディン

「生徒氏名」の項、紡織科選科に

“モンチョウディン 緬”(p.59)

Cimg8402

がある。

東京高等工業学校は1929年に東京工業大学に昇格するが、その第1年目の『東京工業大学一覧. 昭和4至5年』の卒業者氏名及就職先の「選科終了者ー紡織科選科」の項に

“大正十三年四月修了(一名)
 未詳   Kyaw, Din. 緬”(p.214)

Cimg8403

となっている。卒業(修了)は1924年4月であることを確認できるが、5年後の1929年時点で経歴不明になっている。

知られざる偉人 ウ・チョーディン」によれは、帰国後工場技師として勤務していたようだが、紡織関係の工場かどうかは明記されていない。

“中でも特筆すべきは、製鉄釜や金型といったまさに工業の基礎となる開発をミャンマーで初めて行ったことです。そしてその技術は、何と現在にまで引き継がれているのです。このようにさまざまな功績を残してミャンマー工業のパイオニア的存在となった彼は、初の国産ジープを生産するなどして、独立国家ミャンマーにとって重要な存在となっていきました。”

あまり紡織とは関係ない分野で活躍したらしい。

|

英国立公文書館の第一次世界大戦メダル・カードの「Kyaw Din」情報

英国立公文書館の第一次世界大戦メダル・カードには4名のKyaw Din情報が記録に残っていた。豊島梢著「怖い蹴球の柔術 チョー、ディンさんの蹴球談」『運動界』4巻9号(1923年9月) p.127-129 には、

“「私は蹴球に就いては十五ボールのポケット付の玉突よりランニングハイジャムプよりも経験が多いだけに自信がある」と小学校時代の思ひ出話から戦争中エジプト、メソポタミヤ等で英国の聯合ティームを破った得意の話を随分長い間聞かされました。”

とあり、来日したディンも第一次世界大戦で中近東方面に従軍しており、4名中に含まれている可能性がある。

1)
Medal card of Kyaw Din. Corps: Burma Rifles. Regiment No: 5086. Rank: Lance Naik.

War Office: Service Medal and Award Rolls Index, First World War. Jobling J - Langley P. Medal card of Kyaw Din. Corps Regiment No Rank Burma Rifles 5086 Lance Naik.
Held by: The National Archives - War Office, Armed Forces, Judge Advocate General, and related bodies
Date: 1914 - 1920
Reference: WO 372/11/212010

Cimg8406

カード情報を整理すると、

Name(氏名):Kyaw Din
Cops(所属):3-70 Burma Rifles(3-70ビルマライフル部隊  Burma Rifles Regiment?)
Rank(階級):L-N 英国立公文書館によれば、Lance Naik。Lanceは伍長、上等兵に相当。
Regitr No.(登録番号):5086
Medal(メダルの種類):G.S. Medal 英陸軍のメダル公式サイトによれば、General Service Medalのアクロニムであると考えられる。GSM その右のGSMも同様。
Roll.(名簿?):India 65
Page:(ページ).12
Remarks(所見):Clasp Iraq 英和辞典によれば、claspは

“[軍事] a 戦闘記章[クラスプ](battle clasp)(参加した会戦名を刻んだ棒状の金属片;従軍記章の綬に付ける) b 勤務記章[クラスプ](service clasp)(戦闘以外の勤務に従事した戦地の名を刻むほかはaに同じ)”

このKyaw Dinはイラクにおける軍功でメダルを授与されたらしい。

2)
Medal card of Kyaw Din. Corps: Burma Rifles. Regiment No: 1564. Rank: Rifleman.

War Office: Service Medal and Award Rolls Index, First World War. Jobling J - Langley P. Medal card of Kyaw Din. Corps Regiment No Rank Burma Rifles 1564 Rifleman.
Held by: The National Archives - War Office, Armed Forces, Judge Advocate General, and related bodies
Date: 1914 - 1920
Reference: WO 372/11/212009

Cimg8405

氏名:Kyaw Din
所属:3-70ビルマライフル部隊 1)と同じ所属。
階級::Rifleman(ライフル銃兵)
登録番号:1564
メダルの種類:G.S. Medal GSM
名簿?:India 65
ページ:11
所見:Clasp Iraq

3)
Medal card of Kyaw Din. Corps: Burma Rifles. Regiment No: 6782. Rank: Rifleman.

War Office: Service Medal and Award Rolls Index, First World War. Jobling J - Langley P. Medal card of Kyaw Din. Corps Regiment No Rank Burma Rifles 6782 Rifleman.
Held by: The National Archives - War Office, Armed Forces, Judge Advocate General, and related bodies
Date: 1914 - 1920
Reference: WO 372/11/212011

Cimg8407

氏名:Kyaw Din
所属:3-70ビルマライフル部隊 1)、2)と同じ所属。
階級:ライフル銃兵
登録番号:6782
メダルの種類:G.S. Medal GSM
名簿?:India 65
ページ:12
所見:Clasp Iraq


4)
Medal card of Kyaw Din. Corps: Supply and Transport Corps. Regiment No: 065215. Rank: Driver.

War Office: Service Medal and Award Rolls Index, First World War. Jobling J - Langley P. Medal card of Kyaw Din. Corps Regiment No Rank Supply and Transport Corps 065215 Driver.
Held by: The National Archives - War Office, Armed Forces, Judge Advocate General, and related bodies
Date: 1914 - 1920
Reference: WO 372/11/21200

Cimg8404

氏名:Kyaw Din
所属:S & T Corps
階級:Driver(運転兵)
登録番号:065215
メダルの種類:GSM GSM
名簿?:India 4/6
ページ:470(410?)
所見:Clasp Iraq & Kurdistan

これだけの情報では、来日したKyaw Dinがこの中にいるかどうか判別できない」ということが判明。

| | Comments (0)

チョー・ディンの記録を英国国立公文書館から入手

以前、ancestry.comにKyaw Dinの記録がヒットしたことは、本ブログに記したが、そのファイルは「British Army WWI Medal Rolls Index Cards, 1914-1920」だった。

Googleを「British Army WWI Medal Rolls Index Cards, 1914-1920」で検索すると、英国国立公文書館の

British Army medal index cards 1914-1920( http://www.nationalarchives.gov.uk/records/medal-index-cards-ww1.htm )

がトップに表示される。「kyaw din」で検索すると以下の4件がヒットする。

1)
Medal card of Kyaw Din. Corps: Burma Rifles. Regiment No: 5086. Rank: Lance Naik.

War Office: Service Medal and Award Rolls Index, First World War. Jobling J - Langley P. Medal card of Kyaw Din. Corps Regiment No Rank Burma Rifles 5086 Lance Naik.
Held by: The National Archives - War Office, Armed Forces, Judge Advocate General, and related bodies
Date: 1914 - 1920
Reference: WO 372/11/212010

2)
Medal card of Kyaw Din. Corps: Burma Rifles. Regiment No: 1564. Rank: Rifleman.

War Office: Service Medal and Award Rolls Index, First World War. Jobling J - Langley P. Medal card of Kyaw Din. Corps Regiment No Rank Burma Rifles 1564 Rifleman.
Held by: The National Archives - War Office, Armed Forces, Judge Advocate General, and related bodies
Date: 1914 - 1920
Reference: WO 372/11/212009

3)
Medal card of Kyaw Din. Corps: Burma Rifles. Regiment No: 6782. Rank: Rifleman.

War Office: Service Medal and Award Rolls Index, First World War. Jobling J - Langley P. Medal card of Kyaw Din. Corps Regiment No Rank Burma Rifles 6782 Rifleman.
Held by: The National Archives - War Office, Armed Forces, Judge Advocate General, and related bodies
Date: 1914 - 1920
Reference: WO 372/11/212011

4)
Medal card of Kyaw Din. Corps: Supply and Transport Corps. Regiment No: 065215. Rank: Driver.

War Office: Service Medal and Award Rolls Index, First World War. Jobling J - Langley P. Medal card of Kyaw Din. Corps Regiment No Rank Supply and Transport Corps 065215 Driver.
Held by: The National Archives - War Office, Armed Forces, Judge Advocate General, and related bodies
Date: 1914 - 1920
Reference: WO 372/11/21200

階級(Rank)は1)がLance(伍長または上等兵)、2)、3)がRifleman(狙撃兵)、4)がドライバー、いずれにせよ士官ではなさそうだ。

タイトルをクリックした次画面で「Show images」をクリックするとカード現物の画面が表示されるが、格子状のフィルタがかかっていて、無料では詳細情報を見られない。

入手しました!!!

詳細は後日。

| | Comments (0)

« August 2014 | Main | October 2014 »