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『附属中学サッカーのあゆみ』「チョー・ディンさん」

竹内至「チョー・ディンさん」『附属中学サッカーのあゆみ』(東京高等師範学校附属中学蹴球部六十周年誌編纂委員会 1984) p.22

チョー・ディンさん
                         (35回) 竹内至

 チョー・ディンが日本で始めてボールに触れたのは大正9年頃と思われる。彼の著書にサッカー歴を14年と書いて居るが、ビルマでの様子は知る由もない。東京高等工業(蔵前)に留学して居る或日、日本の蹴球代表選手が東京高師のグラウンドで練習して居る事を知り、ぶらりと遊びに来たものと思われる。「全関東蹴球団」(極東大会の日本代表チーム)に附属中学在校選手が練習台となってお相手していた。代表チームには附属の卒業生で井染さんと後藤さん(共に29回)がおり、高師では佐々木等さん、大新田勝海さん、森悌次郎さん、後藤素直さん、佐藤実さんと半数以上が東京高師関係者で占められていたので、練習相手としてはお誂え向きのチームであったろう。大正9年の秋から10年5月の極東大会へ出発する迄の間であろう。附属中学も大正10年の関東蹴球大会(2月11日~13日)に出場して第2回戦で善戦し抽籤で負けている。当時の選手としては鈴木重義さん、峰岸春雄さん、川上俊雄さん、樋口長雄さんは亡くなられているが、岡山俊雄さん、山路誠さんは健在である。そんな或日チョー・ディン氏は東京高師のグラウンドで「全関東蹴球団」や附属の生徒達にキック、シュート、タックルと云った基本の技術を教えてくれた。日本に来てボールに触れるチャンスのなかった彼にとっては、日本のサッカーマンにコーチ出来たのは一つの気晴らしであったかもしれない。「日本で過ごした3年間に於ける、プレーヤーの欠点を見」この著書を書いたと記しているから、大正10年から3年目の12年に著書を出版した事になる。チョー・ディンは痩型長身で走高跳にも優れ、上海大会で走高跳で優勝した早大の平井武さんとの出合は平井さんが帰朝してからである。10年に早稲田高等学院に入学された鈴木重義さんは平井さんを通して早高の蹴球部にチョー・ディンを招いて本格的な指導を受けられる事になり、大正12年1月第1回インターハイで早高が優勝する基因となる。”

【注】

全関東蹴球団:体協の蹴球委員会委員長、岡部平太が結成したピックアップ・チーム。東京高師、東京蹴球団、及び野津謙(東京帝大)からなる。代表予選で関西代表関学を破り、初の代表アウェー戦となった1921年第5回極東選手権に出場、も対フィリピン1-3対中華民国0-4で2戦2敗。

井染さん:井染道夫。附中1920年卒。明大サッカーの祖。東京蹴球団員。
後藤さん:後藤基胤。附中1920年卒。東京高師に進学、卒業後湘南中学蹴球部の初代部長となり、同校を関東屈指の強豪に導く。
鈴木重義:附中1921年卒。早大サッカーの祖。ベルリン・オリンピック日本代表監督。
峰岸春雄:峰岸春雄は附中1918年卒なので、同1920年卒の峰岸正雄ではなかろうか。峰岸正雄は立大サッカーの祖。
川上俊雄:附中1922年卒。四高から東北大に進学。
樋口長雄:附中1922年卒。慶応に進学。
岡山俊雄。附中1921年卒。松本高から東大に進学。
山路誠:附中1923年卒。一高から東大に進学。

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