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文部の意気地無乎 内務の出しや張乎

サッカー本ではないが、東京府立五中(現・東京都立小石川高校)の初代校長であり、同校の校技としてサッカーを導入し、日本サッカー史に少なからざる影響を与えた伊藤長七の伝記が刊行されている。

寒水 伊藤長七伝』矢崎秀彦著

著者は諏訪の郷土史家。本書ではもちろん言及されていないが、伊藤は東京高等師範学校1905年卒、東京高師でサッカーを始めた中村覚之助の1年後輩、1904年の日本人最初のサッカー試合YCAC対東京高師戦時に在学していた。

ところで、伊藤は東京高等師範学校附属中学校教頭から府立五中の校長になるのだが、附中教頭時代に教育評論『現代教育観』(同文館 1912)を著している教育界の著名人だった。その第43章のタイトルは、「文部の意気地無乎 内務の出しや張乎」。

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匿名(黒風白雨楼)で『東京朝日新聞』に連載した「現代教育観」をまとめて、本名で単行本化した。「文部の意気地無乎 内務の出しや張乎」は1912年6月19日付同紙に掲載された。

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単行本の序文は文部大臣経験者(1901~1903年)菊池大麓、

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文部事務次官経験者(1906~1907年)沢柳政太郎、

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が書いていて、教育界のエスタブリッシュメントも伊藤長七の見識を評価していたことがわかる。

「文部の意気地無乎 内務の出しや張乎」を新聞や本に書いて問題にならず、単行本化時には元文相と元文部次官が序文を寄せている。そして教頭から校長に抜擢された大正時代は現在よりもよほど風通しが良かったのではなかろうか。

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