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御影師範学校蹴球部終焉の背景

兵庫県御影師範学校同窓義会編『兵庫県御影師範学校創立六十周年記念誌』(兵庫県御影師範学校同窓義会 1936)の「蹴球部の項の末尾」は、

“二三年来御影のラストを飾れと叫ばれつつある中に、大きな汚点を印したりとはいへ、募集人員の漸減、運動部数の膨張、部員皆選手といふ状態で人選の往時の如く意の如くならない怒があり、時勢の然らしむる所である。”

とある。この時期(1935年)頃、師範学校の生徒数はどのように推移したのであろうか。文部省編『学制百年史 資料編』(帝国地方行政学会 1972)の「1 明治6年以降教育累年統計」の「第12表 師範学校(つづき)」によれば、1926~1935年の生徒数総数は、

1926年 48,647
1927年 49,394 
1928年 48,930
1929年 47,444
1930年 43,852
1931年 38,868
1932年 36,867
1933年 32,817
1934年 30,420
1935年 29,825

ピークの1927年49,394名を指数100とすれば、1935年29,825名は指数60.4となる。全国の師範学校生徒数は10年足らずで約40%減となっており、『兵庫県御影師範学校創立六十周年記念誌』の記述を裏付けている。では、全国の就学児童数の推移はどうか。『学制百年史 資料編』の「1 明治6年以降教育累年統計」の「第1表 学齢児童数および就学児童数」によれば、1926~1935年の就学児童数総数は、

1926年  9,344,393
1927年  9,514,737 
1928年  9,663,586
1929年 9,832,847
1930年 10,344,642
1931年 10,056,530
1932年 10,708,930
1933年 10,978,718
1934年 11,103,920
1935年 11,311,266

同じく1927年9,514,737名を指数100とすれば、1935年11,311,266名は指数119.9となる。師範学校生徒数の40%減とはうらはらに、就学児童数は20%増加している。師範学校生徒数の減少は、小学校教員需要の減少によるものではないようだ。

次に、教育予算の動向を調べてみよう。『学制百年史 資料編』「3 明治6年以降公立学校教育費累年統計」の「第31表 学校種別 支出」における1926~1935年の師範学校支出は、

1926年 18,011,236 
1927年 16,609,218  
1928年 15,964,227
1929年 15,796,483
1930年 13,462,375 
1931年 10,915,855
1932年  9,738,796
1933年  9,215,736
1934年  9,747,471 
1935年  9,305,901

同じく1927年16,609,218円を指数100とすれば、1935年9,305,901円は指数56.0となる。10年足らずで師範学校支出は44%減となっている。小学校支出も、1927年297,833,997円から4年後の1931年234,882,069円と、就学児童総数は増加傾向にあるにもかかわらず、20%強減額されている。

師範学校の「募集人員の漸減」は「需要減」によるものではなく、大恐慌などによる緊縮財政によって教育予算が減額されたことによると考えられる。

御影師範学校は姫路師範学校と合併して兵庫師範学校になることによって廃校したのだが、同時期に広島県や熊本県でも師範学校の合併があった。


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