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18切符会津・越後旅行記

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まずは上野から宇都宮へ。

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黒磯、郡山と乗り継いで会津若松へ。

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駅前のビジホにチェックイン。部屋の窓から。

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外は氷点下で吹雪いていたので、ホテルの中にある中華料理屋で。ビール(といってもキリン淡麗)はホテルのタダ券。

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これも付けて1,080円だった。お腹パンパン。

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翌朝はディーゼルカーで磐越西線に。

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吹雪の中を。

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雪に埋もれる駅標。

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磐越西線は阿賀野川に沿って。

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新津に到着。

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新潟行きを待っていると、トワイライトエクスプレス大阪行きが。

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快速「くびきの」は特急車両。

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佐渡汽船乗船に続いて今月2度目の新潟駅下車。

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駅前の須坂屋で天ぷらそば。

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再び「くびきの」に乗車。信越線の海沿いを走行。

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直江津で下車。

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ここでも駅前のビジホにチェックイン。部屋の窓から。ホテルイカヤは林芙美子『放浪記』で芙美子が泊まった駅前旅館烏賊屋。

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これも『放浪記』に出てくる団子屋。林芙美子は三軒茶屋に住んでいたこともあった。

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富寿司直江津店にて。突き出しは鰤大根ならぬ鮭大根。

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白子ポン酢。

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上越に来て、下越村上の酒〆張鶴を。

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鱚塩焼き。

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本日お薦め握り(2,200円)は地魚のオンパレードであら汁付き。

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翌朝の朝食は直江津駅の駅そば。

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長野行に乗車。

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直江津は積雪してなかったが、すぐ雪景色に。

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スイッチバックの二本木駅。

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良く晴れていて、妙高山が山頂までくっきり見えた。

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長野で乗り換えた甲府行きはロングシート車。

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姥捨駅から。

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姥捨駅もスイッチバック駅。

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甲府で立川行きに乗り換え。

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朝8時に直江津を出て、16時前に立川到着。

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南武線に乗り換え。

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武蔵溝ノ口で下車。

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東急溝の口駅から。

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田園都市線に乗車。

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三軒茶屋駅へ。

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世田谷線にて帰宅。


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「優秀選手争奪の弊害を一掃 学校野球統制策決定」『東京朝日新聞』1932年3月5日づけ

優秀選手争奪の弊害を一掃
   学校野球統制策決定

野球統制委員会の入場料その他に関する会は四日午後六時から工業クラブで開催。

森委員長以下飛田、大村、東、西村、長与、槇、前田、平沼、中野、小笠原、蘆田、安藤、山川体育課長、岩原学校衛生官(宮原、安部、櫻井、橋戸四氏欠席)

入場料、応援団及び学校選手に関する諸事項の三項目について審議しこれで学校の野球に関しては一まづ打切る事となったが、入場料の徴収を認める事となったがその収受及び使途方法については厳重なる規則を設けて取締り応援に関しては根本的に学生の応援団たるべく規定して居る。なほ従来兎角問題を起し勝ちな選手への給与問題あるひは選手の争奪の弊等に関しては厳重に取締る一方更に本月中に統制委員会を開催して再三審査される事となった。決定した主なる事項次の如し。

 入場料に関する事項

一、入場料は入場者の整理選択をなし競技の施行並に体育運動の奨励に必要なる経費に充つる目的においてのみこれを収受する事を得 

一、入場料その他の試合収入は前記記載の入場料の徴収に関しそれぞれ全国的野球統制団体の公認を得たる団体において収受し体育運動以外の経費に支弁せざること。但し体育運動団体(大学及び高等専門学校に在りては学校を含む)以外の主催者が収受したる場合は予めその使途に関しそれぞれ全国的野球統制団体と協議を遂げこれを定むること

 応援に関する件

一、応援は当がい主催者及び学校当局の承認ある場合に限りこれを行ひ得ること

一、応援の方法に関しては学校当局、試合の主催者、試合の相手方と十分なる協議を遂行、特にいやしくも試合の妨害となるが如き方法、広告、宣伝等に利用せらるるおそれある物品の使用を禁じ、多額に経費を費さざること

 その他の事項

一、学生選手は全国的野球協会の派遣もしくはその公認せる場合につき学校長の承認ある際の他国外に遠征するを得ざること

一、前記に掲げる各種試合の外二校又はそれ以上の学校チームが、それぞれその学校所在地を離れて参加すべき試合は全国野球統制団体及び学校長の承認の下に行はれ得ること

一、学校選手は営利宣伝を目的とする記事、広告、商品等に自己の名義、肖像を利用せしめざること

一、学校選手は職業選手と試合を行ふを得ざること。但し全国的野球協会及び学校長の承認ある場合はこの限りにあらざること

一、学校選手は旅費、宿泊費その他当然必要なる経費以外の謝礼を受けコーチ審判等を行ふを得ざること

一、学校選手たるの故を以て学校又は学校を背景とする団体より学費その他の生計費を受くうを得ざること

一、優秀なる野球技術の所有者たるの故を以て入学の便を与へ又は学費その他の生活費を授来るが如き事を条件として入学者を勧誘せざる事”

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「大学高専の野球、当分文部省で監督 昨日委員会で成案決定」『東京朝日新聞』1932年3月3日付

大学高専の野球当分文部省で監督
   昨日委員会で成案決定

小学校及び中等学校の野球に関する統制方法をすでに決定発表した文部省野球統制委員会は引続き大学及び高等専門学校の統制方法を決定するために二日午後五時から丸之内工業クラブで開会、森委員長以下安藤、平沼、飛田、槇、前田、大村、長与、安倍、東、橋戸、西村、小笠原の各委員及び文部省から山川体育課長、岩原学校衛生官出席(蘆田、宮原、中野、櫻井の四氏欠席)体育審議会で作成した答申案を基礎に審議を重ね成案を得て八時半散会した。この成案は文部省の訓令として公布され四月一日から実施される事となったが大学及び高等専門学校の全国的野球協会が組織されるまでは文部省が直接監督するはずである。次回は四日開会、入場料及び応援に関する事項を協議するはずであるが六大学リーグの試合等がこれに準ずることはいふまでもない。

 ◇大学及び高等専門学校の野球に関する事項

一、大学及び高等専門学校の野球に関しては大学及び専門学校の全国的野球協会において適当に統制すること

二、全国的大会、地方的大会若くは連盟試合を開催する常置団体はその役員中に関係学校の代表者、学校に属する体育会(又は運動会)の責任者若くは野球部長を加へ予め団体の代表者において左記事項を具し大学及び高等専門学校の全国的野球協会の公認を受くべきこと。但し上記の役員は関係学校多数のため事実上全部の学校より役員を加へ難き場合は適当の員数に制限するは防げなきこと
(一)団体の名称(二)事務所の所在地(三)団体代表者の氏名(四)団体組織に関する規定(五)事業施行に関する規定(六)経理に関する詳細なる規程
前項各号に記載の事項に変更を生じたる場合はその都度大学及び高等専門学校の全国的野球協会の承認を得べきこと

三、前記の団体は前年度の始においてその年度の事業予定並に収入予算及び前年度の事業の概要並に収支決算を大学及び高等専門学校の全国的野球協会に報告しその承認を得べき事

四、第二項の常置団体又はそれ以外の団体において全国的大会地方的大会若くは連盟試合を開催せんとするときは参加学校長承認の下に施行方法並に経理方法を具し試合開催前予め大学及び高等専門学校の全国的野球協会の公認を受くべきこと

五、入場料を徴収する試合を行ひ入場料に関する事項第三条中(次回委員会で決定)各種体育運動の増及び発達に必要なる経費を支出せんとする場合はその都度大学及び高等専門学校の全国的野球協会の承認を得べきこと

六、両校対抗試合は当がい学校長承認の下に行はれ得ること。但し入場料を徴収する場合は予め大学及び高等専門学校の全国的野球協会の承認を受け試合終了後その収支を大学及び高等専門学校の全国的野球協会にほうこくすべきこと

七、学校選手は学校医の健康証明を受け学校長において適当と認めたるものに限ること

八、学校選手にして試合に参加せんとするときにはその都度学校長の許可を受くべきこと

九、学校生徒は大学及び高等専門学校の全国的野球協会において主催し又はその公認せる試合以外の試合にして入場料を徴収するものには参加するを得ざる事

一〇、学校選手は在籍又は出身学校を背景とする「クラブチーム」以外の「チーム」加り優勝大会若くはこれに準ずべき試合に出場するを得ざる事。但し大学及び高等専門学校の全国的野球協会又はその公認せる団体において全国的又は地方的選抜「チーム」を構成する場合はこの限にあらざる事

十一、対外試合は土曜日の午後日曜日、祭日、休日、休暇に行ふ事。但し以上の期日以外において行ふ場合は関係学校当局において支障なきものと認めたる場合に限る。”

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「野球施行方法と応援規定可決さる 運動審議会総会で 懸案の革正方法漸く具体化」『東京朝日新聞』1932年1月20日付

野球施行方法と応援規定可決さる
   運動審議会総会で
      懸案の革正方法漸く具体化

スポーツ界革正についてはかねてから文部省体育運動審議会特別委員会でもっとも急を要する野球の健全な施行方法並に体育運動競技の応援に関し審議研究を続けてゐたが、いよいよ具体案を得たので十九日正午から文相官邸に体育運動審議会総会を開きスポーツ文相鳩山新会長も出席

「・・・・・・スポーツ行政は知らないがスポーツを愛好しスポーツ精神を尊重する事においては敢て人後に落ちない・・・・・・体育運f道の消長は国運の盛衰をぼくする・・・・・」

と理解ある挨拶をのべ、次いで特別委員長からの答申案につき審議左の如く可決答申午後二時半散会した。

A 野球の健全なる施行方法(要旨)

 一、小学校の野球

1、校内児童の間に普及せしむるを主とし対外試合に熱中せしめざること
2、中央委員会を設け試合開催の時期、回数、経費その他必要な根本精神を定めること、中央委員会は教育者を中心とし野球関係者、学校医等を以て組織し全国的中央野球団体と連絡を保つ事
3、府県都市(区)ではそれぞれ体育団体を設け、その団体で中央委員会の方針に基き実情を考慮し野球施行の具体的方針を定めること
4、小学児童の試合は入場料を徴収せざること
5、試合の選手は五年以上の児童で父兄の承認を得、校医の健康証明あるものにつき校長選定すること
6、中央委員会では使用球を一定し個々の団体で使用球の公認をしないこと

 二、中等学校の野球

1、全国的中等学校野球協会を設ける事
2、試合の時期回数等は同協会で適当に制定すること
3、全国的大会及び地方的大会は同協会の主催もしくは公認の下に開催せられるべきこと
4、入場料の徴収は府県体育団体及び同協会の主催又は公認のものに限る
5、試合による一切の収入は試合の性質に応じ府県体育団体及び同協会又はその公認せる団体で処理し、収支は各団体でその都度同協会に報告し、学校は直接これに与からざること
6、学校選手は満一ケ年以上、その学校に在学したもので校医の健康証明を受け校長の適当と認めたもの
7、学校を代表する試合に参加せんとする生徒はその都度校長の許可を受くべし
8、生徒は個人として入場料を徴収する試合に出場するを得ず、但し校長の許可を受けて同協会もしくは府県中等学校野球協会の組織する選抜チームに加はる場合はこの限にあらず
9、選手は無料の試合といへどもクラブチームに加はり優勝大会もしくはこれに準ずべき試合に出場するを得ず、但し学校の許可ある場合、学校を背景とするチームに加はるはこの限にあらず

 三、大学及び高等専門学校の野球

1項―8項(中等学校同様)
9、学校選手は在籍又は出身学校を背景とするクラブ以外のチームに加はり優勝大会もしくはこれに準ずべき試合に出場することを得ず、但し大学及び高等専門学校の全国的野球協会で全国的又は地方的の選抜チームを構成する場合はこの限にあらず

 四、入場料に関する事項

1、入場料は入場者の整理選択をなし競技の施行並に体育運動の奨励に必要なる経費に充つる目的においてのみこれを収受することを得
2、学生生徒の野球に関し入場料を徴取し得るものは前記関係団体の主催、又はその公認を得たるもの
3、(省略)

 五、その他の事項

8項にわたり選手の海外遠征、対抗試合を制限し選手のマネキン化優良選手の争奪防止を規程

 六、付帯事項(要旨)

全国的野球統制団体設置まで文部省が適当なる方法で目的達成に努力せられたし

B 体育運動競技の応援に関する事項

一、競技会主催者が競技施行上支障ありと認めるものは応援を行はざる事、尚競技の性質上室内競技場、狭き戸外競技場で行ふものは統制団体で応援を行はない方針をとる事
二、学生が応援団を組織する場合は、1学校職員、生徒又は学生だけで組織する事、2予め責任者を定め競技の主催団体に届ける事、3学校当局並に運動部と十分な連絡を取ること
三、応援の方法に関しては学校当局、競技の統制団体、主催者、並に相手方と十分協議を遂げ特に左記事項を厳守すべきこと
 1、応援は学生生徒の本文を体し運動競技の精神に従ひいやしくも競技の妨害となる方法は禁ずる事
 2、服装はその学校の制服制帽に限ること
 3、広告宣伝の目的で寄贈された物を一切使用せざる事
 4、応援のためみだりに多額の費用を要せざる事

以上の答申は文部省の手で近く実施されるので多年懸案のスポーツ界革正はいよいよ具体化される事になった。”

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「中等学校野球連盟の根本精神と方針決る きのう野球協会創立委員会で」『東京朝日新聞』1931年7月9日付

中等学校野球連盟の根本精神と方針決る
   きのう野球協会創立委員会で

大日本野球協会を創設せんとする創立委員会総会は八日午後五時から文部省会議室において開会、平沼、内海、河野、太田、岡田、蘆田、浅沼、植村、櫻井、島田、東の各委員、岩原体育課長等出席直に
一、中等学校野球連盟に関する件
を議題とし協議を遂げた結果その根本精神並びに根本方針を左の如く決定し中等学校野球連盟の全国的きう合に先立って右根本精神及び根本方針を各府県の体育協会及び中等学校野球連盟に通達して予め適当に取計らはれるやう希望する事とし同九時半に散会したが右中等学校野球連盟の根本精神及び方針は関東側委員の意見であって今後更に関西側と協議の上最後の決定を見るはずである。

 △根本精神 

一、中等学校生徒たる本分に立脚し野球の健全なる発展を計ること

 △根本方針

一、入場料 入場料を徴収する場合は府県聯盟又は中央の団体において主催又は公認せる競技会に限ること、但し入場料の使途管理等は極めて合理的なるべきこと

二、 競技会参加 中等学校生徒の参加する地方的並に全国的大会は有料無料に拘らず府県連盟又は中央の団体において公認せるものたること

三、経理 入場料その他試合に関する一切の収入は府県連盟中央の団体又はその公認せる機関において処理し当がい学校は直接これに当らざる事

四、選手資格 学校代表選手は満一ケ年以上在学せるものに限ること

尚来る十日午後五時から高等専門学校野球連盟組織に関する委員会が開かれるはずである。

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「スポーツ界革新 興行化を排し、本来の明朗へ リーグの組織改革も議題に 体育審議会総会」『東京朝日新聞』

スポーツ界革新
   興行化を排し、本来の明朗へ
     リーグの組織改革も議題に
       体育審議会総会

多大の期待をかけられてゐた本年度体育運動審議会第一回総会は十九日午後三時から神田如水館で開催されるが、あたかもスポーツ・シーズンであり、六大学戦興味の最高潮ーー早慶戦で満都の血をわかした直後であるだけに特に全国的関心の焦点となってゐる。しかも今春スポーツ 浄化 が一般の世論となってをり殊に六大学リーグ戦では例のボーク問題でリーグの醜状を暴露し、一般から改革の必要が叫ばれてゐる折柄、今回の文相諮問事項が
 「体育運動競技の健全なる施行方法に関する件」
といふのだから当然スポーツ浄化の具体案も答申されるものとして各方面から非常な期待をかけられてゐる。

現に文部省側委員は、この際スポーツ興行化、大学、専門学校における優良選手の争奪、選手のマネキン化等の悪風を防止革正すべしとの主張が一致してをり、更にリーグの内容組織についてもこれをきっかけに 革新 しようとの意向を有してゐるから多年懸案のスポーツ浄化はいよいよ具体化するものと見られ審議会終了と共に文部当局から全国にスポーツ浄化の訓令が発せられるものと観測されてゐる。尚今回日本国際馬術協会の大島中将、大日本スケート競技連盟の交野子爵、大日本ホッケー協会の永井子爵を新委員として嘱託した事は近年各種のスポーツが隆盛を極めつつあるのに鑑み、当局があらゆる運動競技団体を網羅し審議会の範囲を拡大して内容を充実せしめ今後のスポーツ界の進展と革正を企図したもので相当注目されてゐる。”

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「野球協会創立実行委員会 昨日文相官邸で」『東京朝日新聞』1931年1月25日付

野球協会創立実行委員会
   昨日文相官邸で

野球協会創立に関する第一回実行委員会は二十四日午後五時から文相官邸で開催。決定された十四委員及び文部省側から岩原体育課長代理を始め東、小笠原の諸氏も出馬。大阪方からの問合せによる将来進めて行く可き事務上の手順に関して東京方も歩調をそろへる事に決定した。実行委員の調査範囲については次回会合の際に委員を大学、高専、中学と各分担範囲を決定して必要によっては各関係方面へ現在の実行委員以外に新たに必要人物を加へる事とし、各方面の実情審査の後その間の連絡をとるには如何なる方法が最も適当して居るかを研究し中学は遅くも三月頃までには調査を終了して関係各府県体育協会と具体的な相談を進める事に決定し午後九時散会した。”

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「野球協会の創立具体化す」『東京朝日新聞』1931年1月24日付

野球協会の創立具体化す

日本野球協会創立に関する本春第一回の協議会は二十三日午後五時半から文相官邸で開催。在京各関係者を始め関西側を代表する小野三千麿、松本終吉両氏等二十余名会合、関西側の意見をも併せて十分討議の後選手に関する大要の方針を決定したが、右に関し準備的の実行に移る必要ありとして実行委員十四名を推薦、中等学校、高等専門学校、大学の各方面にわたってこれが実情を調査し協会組織に対する実際問題を取調べの上原案を作成し本会議にかけることとなった。なほ二十四日には再び文相官邸において協議会を開催して更に将来とるべき方針につき審議研究する事となった。決定した実行委員左の如し。
芦田、武満、浅沼、新田、橋戸、高濱、櫻井、中野、永田、河野、高瀬、飛田。”

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「野球協会協議会 あす如水会館に開く」『東京朝日新聞』1930年12月21日 付

野球協会協議会
   あす如水会館に開く

文部省の肝いりで設立計画中の大日本野球協会規約案草案は既報の通り大体まとまったのでいよいよ廿二日午後五時より一ツ橋如水会館に協議会を開き安倍磯雄、平沼亮三、長与又郎、河野安通志、腰本壽の諸氏をはじめ野球の先輩六大学リーグ役員、監督等二十余名更に文部省の岩原体育課長代理等参集、先般六大学リーグから二名づつの委員を挙げて作成せる大日本野球協会規則草案及びこれに対する関西側の意見を報告の後右草案について意見の交換を行ひ協議を重ねるはずであるが、委員会の草案中組織に対しては尚研究の余地ありとする意見が多いから恐らく協議の結果は今後同草案を基礎として更に組織の問題を中心に実情調査を行ひ研究することになる模様である。”

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「野球協会設立で関西側協議」『東京朝日新聞』1930年12月9日付

野球協会設立で関西側協議

【大阪電話】既報の通り関東側の大日本野球協会設立実行委員会では関西での同協会支部を認めたので関西側では関東側の趣旨を継ぎ右協会設立実行方法について八日午後六時から北区堂島電気クラブのいて準備委員会合し寄り協議の結果関西側の意見をまとめ関東側の実行委員に対し第一回協議事項を送付することとなって十時半散会した。”

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「野球協会設立に関西側も賛成 昨日東西の委員懇談」『東京朝日新聞』1930年11月27日付

野球協会設立に関西側も賛成
  昨日東西の委員懇談

【大阪電話】昨今野球熱の高潮に鑑み同技の完全なる指導と統制を計るため過般来大日本野球協会設立に関し着々協議を重ねて居たが既に関東側では文部省の斡旋によって六大学野球リーグの有力者会合の上右協会設立に関する草案を作成し関西側有力者と協議のため関東側実行委員たる文部省の岩原拓氏を始め六大学リーグからは腰本壽、芦田公平、武満國雄、橋戸信の諸氏来阪し二十六日午後六時から大阪堂ビルホテルで関西側の宮原清、吉川清、東口真平、佐伯達夫、加藤吉兵衛、松田捨吉、富樫興一、小野三千麿、柳田周蔵、村上彦次、梅田三次郎、伊藤十郎、高松静男、大門憲文、西尾守一、松本終吉等の諸氏に出席を求め協議会を開き種々意見の交換をなしたる結果右協会の設立については東西両委員共に何等異論なくその実現を希望する意見の一致を見たので更に関東側で起草された右協会設立草案の細部にわたり協議を重ね最後の大日本野球協会設立の促進を計ることを申合せて十時一まづ散会した。”

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「野球団体の統一協議 きのう第1回の会合」『東京朝日新聞』1930年11月18日 付

野球団体の統一協議
  きのふ第一回の会合

最近文部省では野球競技の合理的振興をはかるため体育審議会にその方案を諮問したるところ「各野球団体を統一する統制的団体を組織すべし」との答申を得たのでいよいよその第一回の十七日午後七時より工業倶楽部に開催、文部省側より山川、岩原の両氏、六大学側より河野、橋戸、中野、腰本、武満、野田、蘆田の諸氏出席。

「日本野球協会会則」の草案に対して意見を交換、逐条審議に入ったがまだ決定には至らずして十時十五分散会した。尚関西側の意見も考慮する必要があるので近日中関東側より委員が大阪に行き先方委員と協議する事となった。学生と実業野球団とを打って一丸とする協会組織は現在に於いては到底実現の見込がないので今回の会則も六大学リーグを中心とする全日本学生の野球協会にその目標を置く事となって居る。”

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「野球協会創設打合せ会」『東京朝日新聞』1930年10月30日付

野球協会創設打合せ会

日本野球界を統一すべき総合機関の創立に関する第一回打合会は廿九日午後七時から東京会館で開催。リーグ側から河野安通志、武満圀雄、中野武二、芦田公平、橋戸信、永田康二、岡田源三郎、文部省からは山川体育課長、岩原係長等出席したが、結局加盟団体を以て基礎とする協会を作るといふことを決定し、来る十一月十七日再び会合し草案その他について協議を進めるはずである。”

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「第1回懇談会 22日開会」『東京朝日新聞』1930年10月14日付

第一回懇談会 廿二日開会

文部省では野球を全国的に統制し全国的な野球協会を組織するため二十二日午後三時左記の野球関係者を文相官邸に招き、文部省からは山川体育課長出席、第一回の懇談会を開くはず。

安倍磯雄、平沼亮三、長與又郎、内海弘蔵、河野安通志、押川清、飛田忠順、櫻井 彌一郎、島田善介、神吉英三、大沼逸郎、高瀬信郎、中野武二、永田康二、腰本壽、岡田源三郎、藤田信男、野田健三、蘆田公平、新田恭一、浅沼誉夫、武満國雄、橋戸信、高橋徳一、池田豊、太田茂”

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野球統制令成立前の「野球協会」に関する東京朝日新聞記事

野球統制令では文部省が直接野球を統制することが規程されているが、文部省としては全国的な野球協会によって「間接的」に野球を統制することを望んでいた。しかし、「野球協会」の創立に至らなかったので、文部省が直接統制するこになった。

朝日新聞データベース「聞蔵Ⅱ」をキーワード「野球&協会」、年代「1930-1932年」にして検索した結果中に以下の見出しがあった。

1930年10月14日 東京/朝刊 第1回懇談会 22日開会
1930年10月30日 東京/朝刊 野球協会創設打合せ会
1930年11月18日 東京/朝刊 野球団体の統一協議 きのう第1回の会合
1930年11月27日 東京/朝刊 野球協会設立に関西側も賛成 昨日東西の委員懇談
1930年12月9日 東京/朝刊 野球協会設立で関西側協議
1930年12月21日 東京/朝刊 野球協会協議会 あす如水会館に開く
1931年1月24日 東京/朝刊 野球協会の創立具体化す
1931年1月25日 東京/朝刊 野球協会創立実行委員会 昨日文相官邸で
1931年6月17日 東京/朝刊 スポーツ界革新 興行化を排し、本来の明朗へ リーグの組織改革も議題に 体育審議会総会
1931年7月9日 東京/朝刊 中等学校野球連盟の根本精神と方針決る きのう野球協会創立委員会で/野球
1932年1月20日 東京/朝刊 野球施行方法と応援規定可決さる 運動審議会総会で 懸案の革正方法、漸く具体化
1932年3月3日 東京/朝刊 大学高専の野球、当分文部省で監督 昨日委員会で成案決定
1932年3月5日 東京/朝刊 優秀選手争奪の弊害を一掃 学校野球統制策決定

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ガンバ3冠

ユニフォーム・スポンサーが焼肉屋対養豚業者の対決となった天皇杯決勝は、当然ながら焼肉屋の勝ち。

今シーズンはGKの玉突き移籍があって、ガンバ東口、浦和西川、鳥栖林とそれぞれ移籍先で好結果を出し、東口、林は代表に出世。山形山岸も含めてGK移籍が大成功した年として記憶されるのでは。

NHKゲスト豊田の蝶ネクタイが可愛らしかったw アナウンサーに促されなくても自分から発言していて、外見に似合わずよくしゃべる人物だった。

大阪の2チームは監督選びで天国と地獄を見た感じ。降格時のガンバもそうだったが、監督選びで手を抜くととんでもないことに・・・フロントがいかに大事かということが印象づけられた年でもあった。

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日本サッカーミュージアムレファレンスルームのオンライン目録

が公開されています。→資料検索システム

これまでリンク切れ状態だった当方のJFA機関誌への全文リンクを貼り直しました。

コンテンツに「大日本蹴球協会『会報』目次 全文リンク付き」を追加しました。

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『中日新聞創業百年史』年表における『新愛知』・『名古屋新聞』関係スポーツ事業

大正6年6月2日 名古屋新聞、実業団六チームの参加により名古屋野球大会を開催。
大正6年10月31日 名古屋新聞主催第一回市民大運動会を開催。
大正6年11月24日 新愛知、第一回秋季大運動会を開催

大正7年1月3日 新愛知、第一回野球大会を主催。愛知一中、岡崎二中、明倫中、県立工業、同志社中学部などが参加。

大正8年4月1日 名古屋新聞社、第一回春季中等学校野球大会を開催

大正12年11月17日 大島宇吉社長を大会長にオリンピック東海地方第一次予選を新愛知が主催。

昭和3年8月16日 名古屋新聞、鳴海球場で十六校参加により第一回全国中等学校野球大会を開催(CKが中継を実施)

昭和4年3月25日 新愛知、第一回中部日本少年野球大会を愛知、岐阜、三重、滋賀、京都、福井、石川、富山、長野、新潟、静岡の十一府県代表チームにより開催。
昭和4年4月1日 新愛知、第一回全国中等学校野球大会を八校参加のもとに鳴海球場で開催。

昭和5年10月19日 新愛知、第一回名岐駅伝を開催。

昭和6年2月14日 新愛知、第一回全国中等学校スキー大会を開催。
昭和6年11月21日 新愛知、鳴海球場で日米対抗野球を主催。

昭和8年3月19日 新愛知、名古屋新聞、第一回愛知県下中等学校野球大会を共催。

昭和9年11月22日 新愛知、鳴海球場で全日本対全米軍の日米野球を開催。

昭和10年11月17日 名古屋野球協会、資本金十五万円で設立。
昭和10年12月15日 名古屋野球協会金城(ママ)軍(名古屋軍)わが国初めてのプロ野球入社試験を実施。

昭和11年1月15日 大日本野球聯盟名古屋軍が発足、会長大野正直、副会長大島一郎、専務取締役田中斉、常務取締役・球団代表河野安通志、初代監督は池田豊。
昭和11年2月9日 金鯱軍、巨人軍と鳴海球場でわが国初のプロ野球試合を開催。
昭和11年2月28日 名古屋野球倶楽部金鯱軍が正式発足。総監督岡田源三郎、監督は二出川延明。
昭和11年6月6日 名古屋軍X金鯱軍の定期戦始まる。

昭和17年9月1日 新愛知、名古屋新聞社が合併、株式会社中部日本新聞社を設立。

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大日本蹴球協会『会報』目次 全文リンク付き

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大正十年度会報 第一号(1922年7月)
第一、大日本蹴球協会設立の趣旨
第二、大日本蹴球協会設立の顛末
第三、規約及規程
  一、大日本蹴球協会規約
  二、大日本蹴球協会規則
第四、全国蹴球競技会記事
  甲、地方予選会
    一、東部予選会
    二、中部予選会
    三、近畿地方優勝者
    四、西部地方優勝者
  乙、全国決勝戦
    一、大会前記
    二、大会戦記
      イ、準決勝戦
      ロ、決勝戦
    三、各係報告
      イ、会場係
      ロ、審判係
      ハ、接待係
第五、彙報
第六、欧米蹴球界事情
第七、蹴球に関する参考書
第八、会計報告
第九、本会役員

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昭和三年度 会報
・再刊の辞に代ふ
・昭和三年度会計報告
・ア式蹴球の発達及変遷
・欧州のア式蹴球界
・極東オリンピック大会記録
・第七回全日本選手権大会概報


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昭和四年十月会報 臨時号(1929年10月)

・協会規約
・協会細則
・全国優勝競技大会規則
・役員名
・加盟団体名
・昭和四年度(四月九月)試合成績
・昭和四年度(十月以降)試合予定日割
・理事会報告
・後記

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新聞社に運動部ができたのは

1918年2月17日名古屋市鶴舞公園で開催された新愛知の蹴球大会は「本社運動部の催し」であったと記事に記載されている。1918年当時すでに新愛知新聞社には運動部があったことが確認できる。

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大正時代に部数100万部を超えた当時の2大紙『大阪朝日新聞』と『大阪毎日新聞』はどうだったか。

朝日新聞百年史編修委員会編『朝日新聞社史 資料編』(朝日新聞社 1995)の年表の「大正12年(1923年)」の項に、

“3.1 大朝編輯局に運動部(部長東口真平)・東朝の計画部に運動課(課長小高吉三郎)を新設”(p.496)

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とあり、1923年3月1日付で大阪朝日新聞社編輯局に運動部、東京朝日新聞社計画部に運動課が設置されている。3月15日には『アサヒスポーツ』が創刊。同年5月には第6回極東選手権大会が大阪で開催されており、関西地方はスポーツ・ブームだった。

なお、『朝日新聞社史 資料編』の「大正11年1月現在の東京朝日新聞社の機構図」(p.22)では、「編輯局ー社会部ー運動競技係」という系統で、運動セクションが「係」として独立していたことを確認できる。同「大正15年7月1日現在の大阪朝日・東京朝日機構図」(p.23-24)では、東京朝日も「編輯局ー運動部」となっており、1926年までに東京朝日の運動課は運動部に昇格している。

大阪毎日新聞社編『大阪毎日新聞五十年』(大阪毎日新聞社 1932)の「本社の運動史」の章に以下がある。

“大正十一年、本社野球団は一月に新に明大の岡田源三郎氏、京一商の柳橋朝太郎氏を加へ、腰本氏を主将として、二月台湾に遠征、四月東上し、再び早に敗れたが、慶、明を破り、五月に至り北川一士、菅井栄治両氏の入社と森氏の除隊の上に高浜茂、村上彦次両氏の参加を得て北海道に遠征し、八月再び満州に転戦し、十一勝、二敗の好成績をもたらし、十月関西遠征中の早大を鳴尾に破った後、三宅大輔氏と退営した鈴木氏を加へて東上し、駿台、慶應に敗れたが、稲門、早大、運動協会に勝った。かくて十一月には来朝した米国職業野球団と戦うて奮闘した。その結果は敗れたけれども、彼等から「本邦随一」の讃辞もって酬いられた。

 同時に木下博士は大阪医科大学を辞して入社し、運動課長として、兼ねて野球団を監督することになり、ここに本社運動課は独立した。”(p.408)

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大阪毎日新聞社運動課の成立は1922年、初代課長は木下東作であった。

小野秀雄著『大阪毎日新聞社史』(大阪毎日新聞社 1925)の「第六章 現今の本社」によれば、編輯局内に「運動課」が記載されている(p.160)。また、その「東京日日新聞社の部」には「運動課長・・・弓館芳夫」がある(p.165)。1925年当時、大阪毎日新聞社、東京日日新聞社ともに運動セクションは「部」でなく「課」だった。

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佐渡汽船「ときわ丸」乗船記

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午後早退して東京駅から。

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越後湯沢を過ぎると吹雪に。

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新潟駅。

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ホテルの送迎バスで駅前から。

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ホテル日航新潟にチェックイン。お部屋は29階。

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残念ながら部屋は山側。しかし景色はいい。

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室内。

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バスとアメニティ。ビジホと違ってバスが大きめなので、読書しながら長風呂できた。フロントに無料の入浴剤あり。

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ホテルは朱鷺メッセにあって佐渡汽船には近いが、飲食店が近くにない。横殴りの雪で傘もさせない。かろうじてラーメン屋が1軒開店していた。

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長岡に本店がある青島食堂の支店でチャーシューメン820円の夕食。

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翌朝、部屋の窓から。

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2,310円の朝食バイキング。この他にシェフがその場で作るオムレツも。魚沼産コシヒカリのご飯がおいしくお代わりした。JR東日本のびゅうで新幹線指定往復とホテル朝食付き1泊で24,600円だったので、かなりのお得感。

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8時から31階の展望スペースがオープンするので登ってみた。

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佐渡汽船ターミナルビル方面。

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ホテルをチェックアウトして朱鷺メッセの2階を佐渡汽船方面へ。

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大雪。こないだ信州に行ったら地震にあった。活火山には近づかないようにしないと。

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ペットボトルアート。

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朱鷺メッセと佐渡汽船ターミナルの間は雪中行軍。

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ターミナル内。

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朱鷺のモニュメント。

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切符。飛行機のようにバーコードをかざして改札する。

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乗船。インフォメーション。

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今年就航しtばかりで船内は綺麗。

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歴代就航船の写真コーナー。

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2等桟敷席。

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1等椅子席。帰路利用した。

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1等桟敷席。特等、スイートもある。以前特等を利用したことがあるが、プライベート・デッキ付きで、お茶の給仕のサービスがある。スイートは政治家用?

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プロムナード。

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ブリッジの下にある前面展望室。

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佐渡汽船名物。

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キッズルーム。

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キッズルームの横にクリスマスツリー。

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スナック。

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売店。

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売店の入口の正面は地酒w 私の経験内では、佐渡汽船と今は亡き大阪高知特急フェリーが地酒品揃えの良さのフェリー界2トップだ。

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その下に佐渡汽船グッズも。

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ゲームルーム。

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吹き抜けのイベントプラザ。

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その2階席。

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2階から舞台を見下ろしたところ。

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イベントプラザ2階席の回りの後部デッキのみ外に出られる。

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室内にペットコーナー。

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2泊3日の長距離フェリーでもモノクラスの時代に3時間弱の航路にスイート、特等、1等、2等がある。夜行フェリーでもオート・レストラン時代なのにスナック・売店がフル営業。「○○○丸」という船名。古き良き汽船時代を今に伝える佐渡「汽船」という社名。そして丸窓。

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昨日泊まったホテルの遠景。

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出航。

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デッキにミニ雪だるま。

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9時25分出航なので、新日本海フェリー・ターミナルには「らいらっく」が停泊中。

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新潟港を出ると外海は波2.5mで少しピッチング。

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姫崎灯台を過ぎると両津湾。

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両津港おけさ灯台。

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下船してときわ丸の全景写真を。

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折り返しときわ丸に乗船するので両津滞在40分。

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帰路は1等椅子席にしてみた。

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靴を脱いで入室。

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指定席の席は窓際だった。

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窓の外。

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せっかくなので、スナックで佐渡産烏賊の一夜干しと生ビールで雪見酒。

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後は椅子をフルリクライニングにして寝てました。

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大雪で遅れてきた新潟交通バスで新潟駅へ。210円。

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新潟市内は佐渡往復中も積雪してた模様。

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新幹線乗車。

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鮭の焼漬け弁当の夕食。


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1918年2月17日に開催された新愛知新聞主催蹴球大会に関する新聞記事

『新愛知』1918年2月16日付

“●勇敢な蹴球競技
     新らしき運動界の機運
         来る十七日本社大会開かる

雨の為め十日の競技を阻まれた本社運動部主催ア式フットボール大会は来る十七日(日曜)の晴天を期して名古屋市鶴舞公園グラウンドに開催する。

 最近運動界に於ける興味の中心は野球から蹴球へ著しく転換せんとし本月九日から三日間東京高師運動場に開催された関東蹴球大会とそれより少し前に開催された大阪豊中グラウンドに開かれた全国蹴球大会は此機運を作り出すに直接興って力あるものであったが、名古屋市を中心とした中京の地に於ても敢て東西両京に比して甚だしく遜色なき

 歴史と実力を有する八高、明倫、第一師範の三校とそれ等の三校に較べて比較的後進の位置にある津島の三中学の四校があって新しき機運に乗ぜんとする際此等四校を糾合して一大争覇戦を行はしむることは蓋し運動界に於ける意義ある一快挙たるを失はない。言ふまでも無く蹴球は冬季を以て季節とする

 最も男性的の競技である、ウエリントン将軍がワーテルローに大奈翁を破った勝利の結果はイートンに於ける蹴球競技の孕んだものだといふ言葉は史上に有名の言葉だが、蹴球はその言葉が説明するまでもなく勇敢、剛毅、大胆其他さまざまの言葉を以て表される多くの男性的競技の粋であり精華である。「殪れるまで戦ふ」とは此遊戯の標語で

 傷きたる勇敢なる選手の血にグラウンドの色彩られる事は左迄珍らしくもない。英国では此遊戯を呼ぶに国民的遊戯を以てして居る。英国の紳士はみな蹴球によって鍛へられると謂はれて居る。今迄日本では殊に名古屋市では全く一部の学生にのみ限局されて殆んどすべては此遊戯に一顧だも与へなかったが

 来る十七日鶴舞公園に於る晴れの競技が機縁となって社会の蹴球に対する興味が鬱勃として起これば幸である。此処へ入れた写真は明治四十四年六月二十四日明倫中学校に蹴球部の創設された当時の撮影にかかるもので、その当時同校では是を蹴球班といった。右肩の外人は当時同校の蹴球班を指導してゐた

 ハート氏で氏は嘗てオックスフォードの蹴球倶楽部の一プレーヤーとしてその健闘振りは学生間に有名であった人である。氏は当時第八高等学校に教鞭を執り其余暇同校に蹴球部を創設し両校懸持で熱心コーチしてゐた。名古屋蹴球界に於る最も貴重な写真の一つである。” 

注:「此処へ入れた写真」とあるが、2月16日付紙面のどこにも該当写真は見当たらない。
『第八高等学校一覧. 第1・2年度』p.108に英語教師「ピー、ジェー、ウイルデンハート」が記載されている。

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『新愛知』1918年2月18日付

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“◆春光に映る蹴球大会
    =鶴舞公園に於ける
        =本社運動部の催し

十七日の名古屋市鶴舞公園グラウンドには小春の光が豊かに満ち亘って絶好の運動日和がひらけた。本社運動部主催のア式蹴球競技大会は斯くて祝福された。競技場の整備を了って午前十時十分大会の幕はレフェリー菅野氏の鉄笛の声に拠って開かれた。第一師範は南方に明倫中学は北方に陣取って戦は師範の先蹴に始めから白熱点に達した。

 ▼明倫対一師

 午前十時十分菅野氏のレフェリーにて南方に陣せる明倫のキックオフにて開始、ハーフタイム前は両軍一進一退零対零に終りしがハーフタイム後五分ならずして明倫の主将内田のキック美事にゴールに入り終始師範方の陣地に圧迫し後五分にして内田再びゴールを得紅村のキック又入り師範方のハンドありて下出のペナルティキック美事ゴールに入り閉戦前十二分師範の困憊の色あるに乗じて長谷川のキック入りタイムアップ前一瞬内田のキックありて六対零にて明倫中学の勝利となる。

(師範)    (明倫)
伊奈  G   坂倉
熊澤  RF  黒田
渡邊  LF  森
櫻井  RH  近藤
榊原  CH  下出
小澤  LH  櫻井
織田  ORF 内田 弟)
岡本  IRF 内田 兄)
稲葉  CF  三村
栗本  ILF 紅村
内藤  ORF 長谷川

明倫 ゴール六、ゴールキック三、コーナーキック四、フリーキック一、ペナルティキック一、投入廿六
師範 ゴール零、ゴールキック十二、投入廿三

八高対三中

 斯界に名声ある八高に対して新進の三中其実力に於て差異あり、午前十一時二十分松田氏のレフェリーにて開始さるるや最初より三中方のゴール前にて揉み合ひ開戦後三分と七分にしてコーナーキックゴールとなり十五分にしてペランルティゴールを得ハーフタイム前四点を得て悠然と戦ふ、ハーフタイム後は三中苦戦を続けしも八高も得点なくして四対零にて八高の勝利となる、三中は常にゴール線前に苦戦し段違ひの感ありしは是非もなし。

(三中)     (八高)
伊藤  G   竹内
久米  RF  高柳
小串  LF  大野
松永  RH  須永
村瀬  CH  畑中
森   LH  村瀬
堀田  ORF 諏訪
濱田  IRF 白石
飯田  CF  中川
浅田  ILF 片岡
服部  OLF 北島

八高 ゴール四、ゴールキック零、コーナーキック十四、フリーキック一、ペナルティキック一、投入十六
三中 ゴール零、ゴールキック廿三、コーナーキック一、投入十六

八高対一師

八高対第一師範は午後一時菅野氏のレフェリーにて開始、八高は前戦の疲労もなく、師範のキックオフにて開始さるるや師範の必死にして粘り強き攻撃も得意の強襲にて自己の陣地に入らしめず開戦後二十分にして八高はゴール前の混戦より一点を得てハーフタイムとなり、後半戦に入り約五分にして双方フリーキックを得、八高はゴールを得んとせしも師範キーパーの攻(ママ)守ありて入らず、二十二分馮よりのパスを北島受けてゴールし更に一点を加へて四対零八高の勝利となる。

(師範)    (八高)
伊奈  G  竹内
猪飼  RF  高柳
渡邊  LF  大野
馬場  RH  諏訪
榊原  CH  畑中
小澤  LH  村瀬
織田  ORF 石氏
関本  IRF 中川
稲葉  CF 馮
大野  ILF 大
内藤  OLF 北島

八高 ゴール四、ゴールキック一、コーナーキック四、フリーキック一、投入廿四
師範 ゴール零、ゴールキック廿五、フリーキック一、投入廿一”        

----------------------------------------------------------------------------

『新愛知』1918年2月19日付

“◆春光に映る蹴球大会
     =鶴舞公園に於ける
         =本社運動部の催し

=昨報の続き=

明倫対三中

 松田氏のレフェリーにて午後二時十分開始、三中に対して明倫は一日の長あり楽に戦ひ、明倫の先蹴にて開戦後三分にして三村のパッスに一点、更に二分にして松尾ゴールを得二十分にして紅村のコーナーキックを長谷川美事にヘッデングしてゴールとなり二十七分にペナルティキックを得て内田一点を得、明倫四点を得てハーフタイムとなる、ハーフタイム後も明倫自由に戦ひ五分にして内田のキック入り十五分にしてドリブルを受けし長谷川のキック後五分にして内田巧みにキックして計七点を得七対零にして明倫二勝す。

(三中)     (明倫)
伊藤  G   坂倉
久米  RF  森
小串  LF  飯田
山田  RH  櫻井
村瀬  CH  下出
森   LH  黒田
堀田  ORF 紅村
濱田  IRF 長谷川
飯田  CF  松尾
織田  ILF 近藤
服部  OLF 内田

明倫 ゴール七、ゴールキック零、コーナーキック四、フリーキック二、ペナルティキック一、投入廿九
三中 ゴール零、ゴールキック三十一、フリーキック一、投入十三

一師対三中 

 二敗者同志なる第一師範対愛知三中は師範のキックオフ、菅野氏のレフェリーにて午後三時廿八分開始、技量に於て両軍殆ど相等しき、師範方聊か優勢を示しハーフタイム後の如きは師範方は全く三中の陣地にありて揉み合ひ屡々好機ありしもキック弱くして常にゴールとならず零対零の大接戦を見せしもコーナーキックを算する事師範に十一個ありて三中には一個もなし、兎に角師範の優勝を語るものなり。

(三中)     (師範)
伊藤  G   伊奈
久米  RF   猪飼
小串  LF   渡邊
山田  RH   前田
村瀬  CH  榊原
森   LH  小澤
堀田  ORF 内藤
濱田  IRF 栗本
飯田  CF  稲葉
織田  ILF 櫻井
服部  OLF 大野

師範 ゴール零、ゴールキック五、コーナーキック十一、フリーキック二、投入廿九
三中 ゴール零、ゴールキック廿四、フリーキック二、投入廿一

八高対明倫   

 午後四時四十分松田氏のレフェリーにて明倫対八高の試合に移る。共に二勝者にして優勝戦のことなれば其戦ひ振自ら他と異なるものあり、明倫のキックオフに始まるや八高方の陣に攻入り三分にしてコーナーキックを得たるも八高直に盛返して一上一下巧みなるパッス、ヘッディングさては獰猛なるタックルと○○○○めし明倫は巧みに戦ひ、中にも下出の奮闘と内田兄弟のドリブル等目覚ましきものあり互に優劣なくして前半を終る。休憩五分にして互に陣地を交換し、南方に陣せし八高は右側を攻めて明倫の○に乗じブラインドサイドに馮キックすれば見事ゴールとなりて観衆の大喝采裡に意気大に揚り明倫の攻勢熾んなるに乗じて再び右側より攻め入り馮のキック見事に極り廿分にして諏訪のキック又ゴールとなる明倫は健闘せしも体力の差如何ともなす能はず午後五時四十五分タイムアップとなり三対零にて八高の勝利となりたるは最後を飾るに足る大激戦なりき、試合終って商品授与の式あり茲に大会を終了したり。

(明倫)     (八高)
坂倉  G   竹内
森   RF  高柳
櫻井  LF  大野
近藤  RH  須永
下出  CH  畑中
長谷川 LH  村瀬
松尾  ORF 白石
内田(兄) IRF 諏訪
三村  CF  中川
内田(弟) ILF 片岡
紅村  OLF 馮

八高 ゴール三、ゴールキック八、コーナーキック三、投入廿一
明倫 ゴール零、ゴールキック十三、コーナーキック一、フリーキック一、投入丗二

八高優勝す 

 大会の幕は午後五時四十五分八高の優勝を以て成功の裡に閉ぢられた。全体の成績を記せば左の如くである。

八高
四ー〇 三中 
四ー〇 師範
三ー〇 明倫

明倫
六ー〇 師範
七ー〇 三中
〇ー三 八高

師範
〇ー六 師範(ママ) 明倫の誤植
〇ー四 八高
〇ー〇 三中

三中
〇ー四 八高
〇ー七 明倫
〇ー〇 師範

 大会を閉づるにあたり本社は深く審判の労を執られたる諸氏並に会場設備に応接されたる明倫中学生徒諸君に対し深く感謝の意を表す。”

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春光に映る蹴球大会『新愛知』1918年2月19日付記事

“◆春光に映る蹴球大会
     =鶴舞公園に於ける
         =本社運動部の催し

=昨報の続き=

明倫対三中

 松田氏のレフェリーにて午後二時十分開始、三中に対して明倫は一日の長あり楽に戦ひ、明倫の先蹴にて開戦後三分にして三村のパッスに一点、更に二分にして松尾ゴールを得二十分にして紅村のコーナーキックを長谷川美事にヘッデングしてゴールとなり二十七分にペナルティキックを得て内田一点を得、明倫四点を得てハーフタイムとなる、ハーフタイム後も明倫自由に戦ひ五分にして内田のキック入り十五分にしてドリブルを受けし長谷川のキック後五分にして内田巧みにキックして計七点を得七対零にして明倫二勝す。

(三中)     (明倫)
伊藤  G   坂倉
久米  RF  森
小串  LF  飯田
山田  RH  櫻井
村瀬  CH  下出
森   LH  黒田
堀田  ORF 紅村
濱田  IRF 長谷川
飯田  CF  松尾
織田  ILF 近藤
服部  OLF 内田

明倫 ゴール七、ゴールキック零、コーナーキック四、フリーキック二、ペナルティキック一、投入廿九
三中 ゴール零、ゴールキック三十一、フリーキック一、投入十三

一師対三中 

 二敗者同志なる第一師範対愛知三中は師範のキックオフ、菅野氏のレフェリーにて午後三時廿八分開始、技量に於て両軍殆ど相等しき、師範方聊か優勢を示しハーフタイム後の如きは師範方は全く三中の陣地にありて揉み合ひ屡々好機ありしもキック弱くして常にゴールとならず零対零の大接戦を見せしもコーナーキックを算する事師範に十一個ありて三中には一個もなし、兎に角師範の優勝を語るものなり。

(三中)     (師範)
伊藤  G   伊奈
久米  RF   猪飼
小串  LF   渡邊
山田  RH   前田
村瀬  CH  榊原
森   LH  小澤
堀田  ORF 内藤
濱田  IRF 栗本
飯田  CF  稲葉
織田  ILF 櫻井
服部  OLF 大野

師範 ゴール零、ゴールキック五、コーナーキック十一、フリーキック二、投入廿九
三中 ゴール零、ゴールキック廿四、フリーキック二、投入廿一

八高対明倫   

 午後四時四十分松田氏のレフェリーにて明倫対八高の試合に移る。共に二勝者にして優勝戦のことなれば其戦ひ振自ら他と異なるものあり、明倫のキックオフに始まるや八高方の陣に攻入り三分にしてコーナーキックを得たるも八高直に盛返して一上一下巧みなるパッス、ヘッディングさては獰猛なるタックルと○○○○めし明倫は巧みに戦ひ、中にも下出の奮闘と内田兄弟のドリブル等目覚ましきものあり互に優劣なくして前半を終る。休憩五分にして互に陣地を交換し、南方に陣せし八高は右側を攻めて明倫の○に乗じブラインドサイドに馮キックすれば見事ゴールとなりて観衆の大喝采裡に意気大に揚り明倫の攻勢熾んなるに乗じて再び右側より攻め入り馮のキック見事に極り廿分にして諏訪のキック又ゴールとなる明倫は健闘せしも体力の差如何ともなす能はず午後五時四十五分タイムアップとなり三対零にて八高の勝利となりたるは最後を飾るに足る大激戦なりき、試合終って商品授与の式あり茲に大会を終了したり。

(明倫)     (八高)
坂倉  G   竹内
森   RF  高柳
櫻井  LF  大野
近藤  RH  須永
下出  CH  畑中
長谷川 LH  村瀬
松尾  ORF 白石
内田(兄) IRF 諏訪
三村  CF  中川
内田(弟) ILF 片岡
紅村  OLF 馮

八高 ゴール三、ゴールキック八、コーナーキック三、投入廿一
明倫 ゴール零、ゴールキック十三、コーナーキック一、フリーキック一、投入丗二

八高優勝す 

 大会の幕は午後五時四十五分八高の優勝を以て成功の裡に閉ぢられた。全体の成績を記せば左の如くである。

八高
四ー〇 三中 
四ー〇 師範
三ー〇 明倫

明倫
六ー〇 師範
七ー〇 三中
〇ー三 八高

師範
〇ー六 師範(ママ) 明倫の誤植
〇ー四 八高
〇ー〇 三中

三中
〇ー四 八高
〇ー七 明倫
〇ー〇 師範

 大会を閉づるにあたり本社は深く審判の労を執られたる諸氏並に会場設備に応接されたる明倫中学生徒諸君に対し深く感謝の意を表す。”

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春光に映る蹴球大会『新愛知』1918年2月18日付記事

Cimg9859

“◆春光に映る蹴球大会
    =鶴舞公園に於ける
        =本社運動部の催し

十七日の名古屋市鶴舞公園グラウンドには小春の光が豊かに満ち亘って絶好の運動日和がひらけた。本社運動部主催のア式蹴球競技大会は斯くて祝福された。競技場の整備を了って午前十時十分大会の幕はレフェリー菅野氏の鉄笛の声に拠って開かれた。第一師範は南方に明倫中学は北方に陣取って戦は師範の先蹴に始めから白熱点に達した。

 ▼明倫対一師

 午前十時十分菅野氏のレフェリーにて南方に陣せる明倫のキックオフにて開始、ハーフタイム前は両軍一進一退零対零に終りしがハーフタイム後五分ならずして明倫の主将内田のキック美事にゴールに入り終始師範方の陣地に圧迫し後五分にして内田再びゴールを得紅村のキック又入り師範方のハンドありて下出のペナルティキック美事ゴールに入り閉戦前十二分師範の困憊の色あるに乗じて長谷川のキック入りタイムアップ前一瞬内田のキックありて六対零にて明倫中学の勝利となる。

(師範)    (明倫)
伊奈  G   坂倉
熊澤  RF  黒田
渡邊  LF  森
櫻井  RH  近藤
榊原  CH  下出
小澤  LH  櫻井
織田  ORF 内田 弟)
岡本  IRF 内田 兄)
稲葉  CF  三村
栗本  ILF 紅村
内藤  ORF 長谷川

明倫 ゴール六、ゴールキック三、コーナーキック四、フリーキック一、ペナルティキック一、投入廿六
師範 ゴール零、ゴールキック十二、投入廿三

八高対三中

 斯界に名声ある八高に対して新進の三中其実力に於て差異あり、午前十一時二十分松田氏のレフェリーにて開始さるるや最初より三中方のゴール前にて揉み合ひ開戦後三分と七分にしてコーナーキックゴールとなり十五分にしてペランルティゴールを得ハーフタイム前四点を得て悠然と戦ふ、ハーフタイム後は三中苦戦を続けしも八高も得点なくして四対零にて八高の勝利となる、三中は常にゴール線前に苦戦し段違ひの感ありしは是非もなし。

(三中)     (八高)
伊藤  G   竹内
久米  RF  高柳
小串  LF  大野
松永  RH  須永
村瀬  CH  畑中
森   LH  村瀬
堀田  ORF 諏訪
濱田  IRF 白石
飯田  CF  中川
浅田  ILF 片岡
服部  OLF 北島

八高 ゴール四、ゴールキック零、コーナーキック十四、フリーキック一、ペナルティキック一、投入十六
三中 ゴール零、ゴールキック廿三、コーナーキック一、投入十六

八高対一師

八高対第一師範は午後一時菅野氏のレフェリーにて開始、八高は前戦の疲労もなく、師範のキックオフにて開始さるるや師範の必死にして粘り強き攻撃も得意の強襲にて自己の陣地に入らしめず開戦後二十分にして八高はゴール前の混戦より一点を得てハーフタイムとなり、後半戦に入り約五分にして双方フリーキックを得、八高はゴールを得んとせしも師範キーパーの攻(ママ)守ありて入らず、二十二分馮よりのパスを北島受けてゴールし更に一点を加へて四対零八高の勝利となる。

(師範)    (八高)
伊奈  G  竹内
猪飼  RF  高柳
渡邊  LF  大野
馬場  RH  諏訪
榊原  CH  畑中
小澤  LH  村瀬
織田  ORF 石氏
関本  IRF 中川
稲葉  CF 馮
大野  ILF 大
内藤  OLF 北島

八高 ゴール四、ゴールキック一、コーナーキック四、フリーキック一、投入廿四
師範 ゴール零、ゴールキック廿五、フリーキック一、投入廿一”        

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勇敢な蹴球競技『新愛知』1918年2月16日付記事

“●勇敢な蹴球競技
     新らしき運動界の機運
         来る十七日本社大会開かる

雨の為め十日の競技を阻まれた本社運動部主催ア式フットボール大会は来る十七日(日曜)の晴天を期して名古屋市鶴舞公園グラウンドに開催する。

 最近運動界に於ける興味の中心は野球から蹴球へ著しく転換せんとし本月九日から三日間東京高師運動場に開催された関東蹴球大会とそれより少し前に開催された大阪豊中グラウンドに開かれた全国蹴球大会は此機運を作り出すに直接興って力あるものであったが、名古屋市を中心とした中京の地に於ても敢て東西両京に比して甚だしく遜色なき

 歴史と実力を有する八高、明倫、第一師範の三校とそれ等の三校に較べて比較的後進の位置にある津島の三中学の四校があって新しき機運に乗ぜんとする際此等四校を糾合して一大争覇戦を行はしむることは蓋し運動界に於ける意義ある一快挙たるを失はない。言ふまでも無く蹴球は冬季を以て季節とする

 最も男性的の競技である、ウエリントン将軍がワーテルローに大奈翁を破った勝利の結果はイートンに於ける蹴球競技の孕んだものだといふ言葉は史上に有名の言葉だが、蹴球はその言葉が説明するまでもなく勇敢、剛毅、大胆其他さまざまの言葉を以て表される多くの男性的競技の粋であり精華である。「殪れるまで戦ふ」とは此遊戯の標語で

 傷きたる勇敢なる選手の血にグラウンドの色彩られる事は左迄珍らしくもない。英国では此遊戯を呼ぶに国民的遊戯を以てして居る。英国の紳士はみな蹴球によって鍛へられると謂はれて居る。今迄日本では殊に名古屋市では全く一部の学生にのみ限局されて殆んどすべては此遊戯に一顧だも与へなかったが

 来る十七日鶴舞公園に於る晴れの競技が機縁となって社会の蹴球に対する興味が鬱勃として起これば幸である。此処へ入れた写真は明治四十四年六月二十四日明倫中学校に蹴球部の創設された当時の撮影にかかるもので、その当時同校では是を蹴球班といった。右肩の外人は当時同校の蹴球班を指導してゐた

 ハート氏で氏は嘗てオックスフォードの蹴球倶楽部の一プレーヤーとしてその健闘振りは学生間に有名であった人である。氏は当時第八高等学校に教鞭を執り其余暇同校に蹴球部を創設し両校懸持で熱心コーチしてゐた。名古屋蹴球界に於る最も貴重な写真の一つである。” 

注:「此処へ入れた写真」とあるが、2月16日付紙面のどこにも該当写真は見当たらない。
『第八高等学校一覧. 第1・2年度』p.108に英語教師「ピー、ジェー、ウイルデンハート」が記載されている。        

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