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大谷四郎「南甲子園の想い出」『高校サッカー60年史』(全国高等学校体育連盟サッカー部 1983) p.52

南甲子園の想い出

              大谷四郎

“ 南甲子園のグラウンドで試合することは当時の中学生にとっては渇仰の的だった。兵庫県にいても県予選や平素の試合ではここを使わしてくれなかったので、南甲子園の芝生を踏みたければどうしても全国大会へ出なければならなかった。大学のリーグなどをスタンドから観る分には小学生のころから慣れていたが、中学4年生の夏全国招待大会で初めてフィールドに立ってみると、スタンドがマンモスの如く威圧して来た。ここの陸上競技用トラックは珍しく500メートルだったから、なかのフィールドもやたらに広い感じだった。ウィングの強いチームには都合がよかった。タッチラインとトラックの距離も十分に取れたので、脚の速いウィングなどには全く快適の舞台、LWをやっていたら恐しく走りがいがあった。その代り、平素小さなグラウンドを使っていた中学チームには御しかねる広さだったかもしれぬ。

 神戸には東遊園地という外人クラブのグラウンドがあってその芝生はとくによかったが、南甲子園の芝生もよく手入れしてあったと思う。ことに夏場は緑鮮やかに深々と茂って、ボールが少し浮いたように芝生に乗るので、実にキックしやすかった。とにかく芝のグラウンドでは正しくければ正しく飛ぶから気持がよかった。

 スタンドからの眺めもよかった。東側は塀越しに沿って枝川の松並木が並び、その向うが鳴尾の国営競馬場だった。この松並木を通してレースを眺められる。緑の芝生とサッカー、その背景に松並木と競馬、晴れた日などこの組み合わせが絵のように思えた。

 ここの欠点といえば風だったろう。スタンドが西側だけで南北が空き、海岸にも近いので大体浜風が吹いていた。それに乗ってアシカの鳴き声が大きく響いてくることもあった。冬は六甲おろしの北風が吹き、とにかく南甲子園はいつも風があるとみてよく、それが時には向きを変えたり、夏は急になぐこともあるので、トスに勝てば先に風上に陣する方が得策だった。”

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