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工藤孝一「我国蹴球の起源」『国際写真新聞』(76) 1934.9 p.45

我国蹴球の起源

        工藤孝一

 今から凡そ一千三百年の昔、天智天皇が蹴鞠中誤って靴を脱せられ、これを傍で見て居た藤原鎌足が、拾ひ申し上げたと云ふ話は、我々が小学校の歴史で習ったこと。

 この蹴球遊びは恐らく当時支那から伝ったものであろうが、現今用ひられて居るやうな空気の入った円い球が、我が国に輸入されたのは明治初年、欧米人が続続来朝してその文化を紹介した頃であらう。

 明治廿二年、欧米より帰朝した我運動界の先輩坪井玄道先生の指導に依って、東京高師附属小学校で初めて此の球を用ひて両軍に分れて盛んに蹴ったと云ふ話であるが、ただ今行はれて居ると同様な競技が、ハッキリ伝へられたのは明治卅八年、東京高師に於けるデハビランド氏を以て嚆矢とすべきだらう。

 引き続き卅九年四十年と師範学校方面に広められ此処数年間、東京高師は相当の強さを誇った。又此頃、第八高等学校にも外人教師が居て蹴球部を創設し、高校としての最も古い歴史を作った。

 然し当時の蹴球は、単に敵陣へ球を蹴飛ばすキック、アンド、ラッシュと、ドリブルのみに依るもので、今から考へれば甚だ幼稚なものであったが、大正十年秋大日本蹴球協会の設立を見、同年の上海に於ける第五回極東選手権大会出場に依って初めてパスと云ふ事を覚えたのである。

 そして当時隆盛となりし師範系チームが、未熟ながらもロングパスの歩みを取るやうになったが、これと前後してビルマ人チョー・ディン氏から初めて理論的基礎技術とショートパスの妙味を教へられ、その流れを汲んだ早大鈴木重義氏に依って同校が、最初のショートパス・チームとして台頭し、大正十三年の第一回東京学生リーグの覇者となる。これに対し関西でロングパスを取れる関学チームが愈々その強味を現し大正十四年秋から此の長短両戦法の異れる特色を持つ二チームの興味ある定期戦が開かれた。

 昭和二年夏、マニラに於ける第八回極東大会に日本代表として出場したショートパス早大チームが、初めて比島を破って第二位とあんり、我国蹴球界に一つの燭光を与へたが、一方古き歴史を持つ高校蹴球にはぐくまれた諸名選手が東京帝大に集中し竹腰重丸氏の科学的蹴球黄金時代となる。爾来数年間、この科学的ショートパスが斯界を風靡し、大正十五年から六ヶ年間、東大王座を死守するの驚異的記録を作り、昭和五年東京に於ける第九回極東大会優勝を絶頂とした。

 七年の産業合理化時代には、能率主義チームプレーの慶應、八年にはファッショの時代の波に乗れるファイトの早大と覇権は移り、今又第十回極東大会に敗れたのは遺憾である。”

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