「サッカー」という語は1926(大正15)年から大阪毎日新聞が使用
日本で最初に「サッカー」という語を常用したマスコミはおそらく大阪毎日新聞であろう。
大阪毎日新聞社は1925(大正14)年まで日本フットボール大会(サッカーはオープン参加の実質近畿大会)、1926(大正15)年から全国選手権となる全国中等学校蹴球大会を主催していた。
1925年までの日本フットボール大会では、サッカーは「ア式」、ラグビーは「ラ式」と記されていた。
『大阪毎日新聞』1925年1月17日付
1926年からの全国中等学校蹴球大会では、サッカーは「サッカー」、ラグビーは「ラグビー」と記されている。
『大阪毎日新聞』1926年1月5日付
大阪毎日新聞社は同時期、同一会場でサッカー(現・全国高等学校サッカー選手権大会)とラグビー(現・全国高等学校ラグビーフットボール大会)の両競技を開催していたので、混同を避けるため、紛らわしい「蹴球」は大会名だけにして、紙面での競技名は「サッカー」と「ラグビー」を使い分けていたようだ。
慶應義塾体育会でも、先行したラグビーが蹴球部を名乗ったので、後発のサッカーは1927年ソッカー部となった。両競技がある程度普及した大正末から昭和初期にかけて「ア式・ラ式蹴球」からより区別しやすい「サッカー」、「ラグビー」という語が使用されだしたようである。