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最初の協会批判記事 ウィリヤム・フェーゲン「蹴球協会と台覧試合」

ウィリアム・フェーゲン(William P. Miller Fegen)は大正時代の数少ないサッカー本である『ア式フットボール』(東京刊行社 1925 中学生運動叢書)の著者でもある。『附属中学サッカーのあゆみ』(東京高等師範学校附属中学蹴球部六十周年誌編纂委員会 1984)に竹内至「ウィリアム・フェーゲンさん(笛源氏)」がある。べらんめえ口調で日本語が堪能だった英国人。歯に衣を着せず、協会の「学(高師)閥」を批判している。

1922年英国皇太子訪日時に御前サッカー試合が企画されていた」で記したように、1922年4月22日付『東京朝日新聞』記事では英国皇太子供奉艦ダーバン号乗組員対東京蹴球団の試合が企画されていたが、勤務先がバラバラな東京蹴球団ではなく、東京高師の試合が実施され、東京高師は1-8で屈辱的大敗を喫した。エドワード皇太子の台覧は実現しなかったようである。

ウィリヤム・フェーゲン「蹴球協会と台覧試合」『野球界』12(11) 1922.8 pp.132-133

蹴球協会と台覧試合

          東京タイガース
              ウイリヤム、フェーゲン
 

本誌の六月号に井染君が書かれた如く四月二十二日に横濱公園で敬愛するプリンス、オヴウェールズ殿下の供奉艦たるダーバン号のティームと謂ゆる全関東の猛者と当時の新聞紙に見苦しくも公衆一般に誤伝された東京高等師範学校の選手諸君とのア式蹴球試合がはわれた。其の結果高師側は無惨にも八ゴール対一の大敗を蒙った。

 態々横濱迄行って大敗して帰京された高師の諸君はさぞかし無念であったらう。殊に今日迄勝負に殊更に重きを置き、其れが為に世論の反感を被って余儀無く東京蹴球団から去らなければならなく無った高師の諸君には此の大敗は苦しかったらうと信ずるのである。

 真実の運動家精神から云へば勝負は何でも無い。粗暴なプレイをして勝った所で何になるか? 其れよりも潔く綺麗に(キザを意味するのでは無い)最後迄奮戦して負ける側こそ真の勝者である。兎角勝敗に偏し過ぎる本邦の一般の運動家諸兄に不肖乍ら此の点に関して御塾考下されん事を御願ひ致し度い次第である。

 此の試合に関して蹴球協会に一言を呈し度いのである。萬一の台覧(プリンス、オヴ、ウェールズの)を仰ぐ可能性のあった此の試合に日本、少なくも関東を代表するに高師の如き貧弱な且つ不評判のティームを選出したのは何故であったらうか? 如何に高師の先輩が蹴球協会にて何事に於ても専横の振舞を行って来たとは云へ、且つ当協会を高師の御用協会として本邦のア式蹴球の為めに真に熱心なる者の為めに「有形無実」の機関と迄嘲笑される様な愚な協会とは云へ、本邦のア式蹴球を萬一英国の皇太子殿下に御紹介申上げるに関東に於て最も拙劣なるティームに数へられて居る高師を斯かる重要な意義を有する試合に選出したのは何故であったか? 女の腐ったのよりも虚栄心に高い者が多数決を利用否濫用して斯かる挙に出るとは蹴球協会は寧御醜球協会に改名した方が宣しからう。

 よしや東京蹴球団の諸君が散在せる為め、且つ時日の切迫の為め間に合はなかったにせよ、間に合ふ丈けの蹴球団の選手と略ぼ同様に、否以上に広く多くの学校の選手を会員とする東京タイガースとの聯合軍を組織する様に御尽力なされた方が蹴球協会の御聡明なる幹部諸氏に善策の様に考へ得なかったのか? 如何にユニフォームが統一せずとも且つ如何に互ひに始めの数分間だけは共同作戦が左程理想的に行ひ得なかったにせよ、双方共に可成多年の経験を有するメンバーを有する故コンビネーションを得るに左程に困難では無かったらう。然して少くも高師の試合振りよりは遙かに卓越したものを見物人に示す事が出来得た事と確信するのである。

 然して、之が不可能であった場合は、高師よりも技量の卓越したティームでは青山師範アストラ倶楽部等があるではないか?

 何れにせよ、蹴球協会は大失態を演じた。過去を何時迄も責めるのは運動家的で無いとは云へ、現在の幹部連が今尚当時の如く己が拙劣な出身校たる高師を斯様な重大な意義を有する試合に選出する偏波な思想を抱く以上蹴球協会は高師系の数を他校と略ぼ均衡する迄は協会として如何なる事業を企んとしても其は必ず失敗に帰す事は明白である。換言すれば高師のア式蹴球に対する信用は現在に於て零である以上時代錯誤の高師系も下劣極まる野心、虚栄心、専横振をサクリファイスして、蹴球協会に於ける席を現代的且つ一般に信望のある新進好蹴家諸君に譲与されんことを衷心より切望して止まない次第である。此の理想が成就せば小生は安心して蹴球協会の事業の発展する様諸君等と共にベストを尽くして、英国蹴球協会が寄贈された彼の美事なシルヴァーカップ(銀盃)に籠れる精神に対して聊かでも酬い得る様にしたいのである。

 然し、蹴球協会が今日の如く彼のカップの精神が侮辱する幹部連に依て経営されつつある醜球協会である間は、只だ只だ正義と諸君の御援助とに訴へる他には何等途は無いのである。”

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