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竹腰重丸のヘルシンキ・オリンピック印象記

竹腰重丸はJFA機関誌『蹴球』10巻1号(1953年1月)10巻2・3号(1953年2・3月)10巻4・5号(1953年4・5月)10巻6号(1953年6月)に、4回にわたって「第15回ヘルシンキ・オリンピック報告書」を掲載している。優勝国ハンガリーはいわゆる「マジック・マジャール」といわれた全盛時代で、ナマでプスカシュなどのスーパー・プレーを観た観戦記はたいへん興味深い。

本稿はそれとは別に朝日新聞に投稿したもの。

『朝日新聞』1952年8月24日付

日本は二流クラス
     サッカー 体力充実が必要

オリンピック・サッカーの視察員としてヘルシンキ大会に参加した日本蹴球協会理事長竹腰重丸氏がオリンピック・サッカーの印象について左のような書信をこのほど本社に寄せた。

○・・・オリンピックの準決勝、決勝程度の試合になるとまるでバスケットに力と広さを与えたものがサッカーだと言いたいほどだ。隊形は確かにあるが、パスを通すためには随分ポジションの移動が行われる。ポジションの移動を行ってパスを処理するには我々の現在のボール扱いの技術ではダメで、さらに格段の進歩が必要であり、豊富なエネルギーも必要とする。

○・・・今回の大会を見て決勝に残ったハンガリーとユーゴを特級とすれば、残りの約半数が一級、残りの約半数が二級チームと考えてもよいようだ。その二級に属するオランダ、ノルウェーとは現在の日本代表も大体対抗出来る感じであり、ユーゴと試合したときのインドの出来ならば多分我々の方がインドに勝つことが可能だとも思った。しかし一級チームに対しては十回試合して一、二回勝つことが出来るかどうかという程度でハンガリーやユーゴに対しては客観的な比較ではほとんど全くチャンスがないと考えるべきだろう。

○・・・一級チームの列に入るには球扱い足技はもちろんバックメンの体のこなしは格段の進歩がなければならない。サッカーはボールを中心としてボール扱いの技術を競い、戦術を闘うスポーツであることは今も昔も変りはないが、今回のトーナメントをみていかにして敏速で永続きする体をきたえ上げるかが問題で、体育という文字が強く頭に残った。

○・・・昔のロービング(移動する)センター・フォアード(ママ)が必要とした絶倫のエネルギーは、現在ではGKと3FBをのぞいた七人は皆必要となった。敗戦後日本では「スポーツは楽しむもの」と言われ、我々の如く二十年以上も昔選手生活をした者からみるとそれが弱弱しく感じられる。よそ目には苦しい集中的な生活に楽しさを感ずるのがサッカー選手の常識になるような状態に早く復帰しなければオリンピック大会で平均水準以上の力を発揮することはむずかしいだろう。”

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