1940年幻の東京オリンピックに対する蹴球協会の強化策 ⑨ 一般指導者講習会
機関誌『蹴球』にはそれらしい記事は見当たらないので、実現したかどうか不明。
読売新聞には「一般指導者講習会毎年八月開催 札幌、函館、仙台、富山、横濱、名古屋、京都、大阪、神戸、廣島、高松、熊本、東京」とあり、場所まで具体的に記されている。
機関誌『蹴球』5巻1号(1937年5月)に「中国協会岡山支部報告 講習会開催(加藤正信)」 p.43-44 があり、協会理事会で強化策が決定する以前の1936年12月26~27日に岡山で講習会が開催されたことが記されている。参加者は2組に分けられた。A組:各学校蹴球部員、一般愛好者、すなわち現役選手で、講師は田辺治太郎、市橋忠治(時蔵)、ベルリン・オリンピック代表の西邑、右近の4名、会場は六高。B組:県下中等学校、小学校教員で、講師は岡山県体育主事・関西蹴球協会理事の岩野次郎、会場は岡山師範。「B組参加者は中国山脈の山奥から駆けつけた小学校の先生等百数十名」の盛況だった。
機関誌『蹴球』5巻2号(1937年7月)の「北海道春季雑感(斎藤斉)」中に、
“◎五月十五日
第三回蹴球講習会
場所 北大グラウンド
講師 堀江氏、補助員、北大蹴球部
講習科目
一、基本技術其の他一般
二、ルール研究
三、オリムピック講話”
とあって、1937年5月15日に札幌で講習会があったが、これも「第三回」とあり以前から北海道協会が開催していたもので、オリンピック強化策とは関係なさそうである。
岡山、札幌ともベルリン・オリンピック体験談が盛り込まれている。