« 大日本蹴球協会の1940年東京オリンピック準備に関する資料集 ① 1938年第3回ワールドカップ・フランス大会参加 | Main | 1940年幻の東京オリンピックに対する蹴球協会の強化策 ① 東京オリムピック蹴球準備委員会設置 »

大日本蹴球協会の1940年東京オリンピック準備に関する資料集 ② 1937年2月27日、3月1日理事会決定の総合強化策

『東京日日新聞』記事中に「体協オリンピック委員会に提出すべき東京大会準備の国内強化策」とあるので、体協が各競技団体にオリンピック強化策の提出を求め、蹴球協会が提出したのが、下記のプランのようである。

大変重要な情報であるが、機関誌『蹴球』に本理事会決定に関する記事は見当たらない。

『東京朝日新聞』1937年3月3日付

“豪華スケジュール
  世界蹴球制覇へ
      外国三チーム招聘

大日本蹴球協会は去る二十七日午後三時及び一日午後六時から新橋協会事務所で再度理事会を開催、次回オリムピック東京大会に対する準備と本年度競技会日割原案を作成、二日午後発表したが、オリムピック準備としては先づ準備委員会を設置する外、明年六月パリに開催される第三回世界蹴球選手権大会に参加するの外、英、独二国へ転戦、世界学生選手権大会出場、更に同年十月には英国チームを招聘、十一月から翌年十四年二月にかけてドイツよりコーチ、トレーナーの招聘、十四年十一月には米国チームと相継いで招聘することとなった。当日の決定事項は、

オリムピック準備委員会を設置す
会長 深尾隆太郎男、総務部部長 鈴木重義、財務部部長 田邊治太郎、外事部部長 野津謙 宣伝部部長 山田午郎、設備部部長 野村正二郎、審判部部長 濱田諭吉、技術部部長 竹腰重丸

北支チーム招聘 四月
四月八日対文理大(戸山)十一日対早大(神宮)十四日対慶應(神宮)十七日対全関西

第三回世界選手権大会出場並に英国遠征学生大会出場
役員三名、選手二十二名、十三年四月上旬出発、五月英、独転戦、六月四日より十九日パリにて本大会出場、七月学生大会出場、八月下旬帰朝

東洋大会に出場
役員三名、選手二十二名

英国チーム招聘
十三年十月役員選手二十名、東京四試合、大阪三試合、名古屋一試合

独逸よりコーチ招聘
十三年十一月より一四年二月迄コーチ一名、トレーナー一名、代表選手に対するコーチ及び一般講習会指導

米国チーム招聘
十四年十一月より十二月迄一行二十名

代表選手養成練習会 毎年度末にそのシーズンの成績を参考として銓衡委員会によって代表選手二十二名を決定し二週間合宿練習を行ふ

◇オリムピック審判研究会を設置しシーズンの初め(三月)と終り(八月)に全国各協会より委員を集めて研究会を開催す

◇一般指導講習会毎年八月開催
札幌、函館、仙台、富山、横濱、名古屋、京都、大阪、神戸、廣島、高松、熊本、東京”

『東京日日新聞』1937年3月3日付

外国チーム招聘
    躍進を目指す蹴球界

体協オリンピック委員会に提出すべき東京大会準備の国内強化策に大日本蹴球協会では去月廿七日、三月一日の両日開催した理事会で左の諸項を決定、同席上で東京大会球技場に関し青山射撃場跡に新設する組織委員会案を支持し陸連提唱の芝公園運動場改造の代用競技場案にも大体賛意を表し球技場に用ひられるフィールドは何処たるとを問はず絶対的に芝生なるべきことを強調した決議書と共に二日午後六時同事務所で発表した。

一、東京オリムピック蹴球準備委員会設置

委員長深尾竜太郎男▼総務部、鈴木(重)小野(卓)小長谷▼財務部、田邊(治)岸本(武)▼外事部、野津、中島(健)▼宣伝部、山田(午)中島(道)▼設備部、野村(正)朝生▼審判部、濱田、竹内(悌)▼技術部、竹腰、市橋―各部の計画はそれぞれ立案の上次回理事会で決定

二、国内強化策としての事業

1 北支軍招聘―既報の如く四月上旬来征の北支軍の試合日取を左の通り決定▼八日、対文理大(戸山学校)▼十一日、対早大(神宮)▼十四日、対慶應(神宮)▼十七日、対全関西(未定)

2 第三回世界蹴球選手権大会参加―既報の明年六月四日から十九日までパリで開催の同大会参加のため選手廿二名、役員三名を派遣、同年四月中に出発、英、独に転戦後パリに到着、同大会後出来得れば八月同地で開催の第七回国際学生競技大会にも出場し同下旬帰国の予定

3 英国チーム招聘―昭和十三年十月選手十七名、役員三名の英国蹴球軍を招聘し東京(四試合)名古屋(一試合)大阪(二試合)の各地で対抗試合を挙行

4 独コーチ招聘―コーチ、トレーナー各一名を昭和十三年十一月ドイツから招聘し翌年二月まで滞在せしめて後述の全日本選抜チームのコーチ並に講習会による一般のコーチを委嘱する

5 米国大学チーム招聘―米国の蹴球はベルリン・オリムピックで優勝チームイタリーと1-0の善戦をなしわが好敵手たり得るので東京大会前年の昭和十四年十一月-十二月の期間に選手十七名、役員三名の大学チームを招き東京で四回、関西で散会の手合せを行ふ

6 代表選手養成練習会―前年度の戦績により日本代表選手銓衡委員会で廿二名を選抜し二週間の合宿練習を行ふ。期日左の通り。第一次本年七月十五日-同廿九日、第二次昭和十三年三月廿五日-四月七日、第三次同年十二月廿五日-昭和十四年一月十日(コーチ招聘の時期に合致せしめる)、第四次昭和十四年四月一日-同十五日

7 代表選手練習会―東京大会出場選手の最後の磨きをかける合宿練習で時期は左の通り
第一次昭和十四年十二月廿五日-同十五年一月十日、第二次同年三月廿五日-四月十五日、第三次五月一日-同三十一日、第四次大会前三週間

8 蹴球指導会―この四ヶ年間 毎年八月に各地三ヶ所位づつ指導員を派遣して開催

9 オリムピック審判研究会―毎年三月、八月の二回開催”

『読売新聞』1937年3月3日付

蹴球強化策成る
   毎季代表廿二名を選抜合宿練習
      英、米チーム招聘
 

大日本蹴球協会は次回オリンピック東京大会に対する準備対策及本年度競技日割原案を作成、二日午後発表したが、オリンピック準備としては先づ準備委員化を設置、これを総務、財務、外事、宣伝、設備、審判、技術の七部門に分けて敏活な活動を開始せしめる事とし、国内強化策としては毎年代表選手廿二名を銓衡してこれが合宿練習を行ふと共に明年六月パリに開催される第三回世界蹴球選手権大会に参加する外、英、独二国へ転戦、世界学生選手権大会出場、更に同年十月には英国チームを招聘、十一月から翌十四年二月にかけ独逸よりコーチ、トレーナーの招聘、十四年十一月には米国チームと相躍いで招聘する事となった。

◇オリンピック準備委員会 【会長】深尾隆太郎男△総務部【部長】鈴木重義【次長】小野卓爾、小長谷亮策△財務部【部長】田邊治太郎【次長】岸本武夫△外事部【部長】野津謙【次長】中島健蔵△宣伝部【部長】山田午郎【次長】中島道雄△設備部【部長】野村正二郎【次長】朝生要人△審判部【部長】濱田諭吉【次長】竹内悌三△技術部【部長】竹腰重丸【次長】市橋時蔵(各部委員は右部長より推薦委嘱す)

  事業計画

◇北支チーム招聘 十二年四月一日天津出発、八日対文理(戸山)十一日対早大(神宮)十四日対慶應(神宮)十七日対全関西(未定)

◇第三回世界選手権大会出場並に英国遠征、学生大会出場 役員三名、選手廿二名、十三年四月上旬出発、五月英、独転戦、六月四日より十九日パリにて本大会出場、七月学生大会出場、八月下旬帰朝

◇東洋大会に出場  役員三名、選手廿二名

◇英国チーム招聘 十三年十月役員選手廿名、東京四試合、大阪三試合、名古屋一試合

◇独逸よりコーチ招聘 十三年十一月より十四年二月迄、コーチ一名、トレーナー一名、代表選手に対するコーチ及び一般講習会指導

◇米国チーム招聘 十四年十一月より十二月迄、一行廿名

  代表選手養成講習会 毎年度末にそのシーズンの成績を参考として銓衡委員会に依って代表選手廿二名を決定し二週間合宿練習を行ふ
 【第一次】十二年七月十五日より廿九日迄【第二次】十三年三月廿五日より四月七日迄【第三次】十三年十二月廿五日より一月十日迄【第四次】十四年四月一日より十五日迄

  代表選手練習会 【第一次】十四年十二月廿五日より一月十日迄【第二次】十五年三月廿五日より四月十五日迄【第三次】十五年五月一日より同三十一日迄【第四次】大会前三週間【第五次】大会中

△代表選手の銓衡委員会は技術部の意見を提出せしめ次回理事会でこれを決定す

△オリンピック審判研究会を設置しシーズンの初め(三月)と終り(八月)に全国各協会より委員を集めて研究会を開催す

△一般指導者講習会毎年八月開催
札幌、函館、仙台、富山、横濱、名古屋、京都、大阪、神戸、廣島、高松、熊本、東京

  球技場設置

球技場の設置は絶対必要にして之を青山射撃場跡に設置せんとするオリンピック組織員会の決定を妥当と認め之が設備に関する意見書を提出す。尚球場完成に至る迄の代用球場として芝公園又は他の適当なる場所に蹴球試合挙行に必要な施設を可及的速やかに完備せしめるやう努力す。而して球場はローンたる事を必須の条件として強調する”

  

|

« 大日本蹴球協会の1940年東京オリンピック準備に関する資料集 ① 1938年第3回ワールドカップ・フランス大会参加 | Main | 1940年幻の東京オリンピックに対する蹴球協会の強化策 ① 東京オリムピック蹴球準備委員会設置 »