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スポーツの商業化と電通

『朝日新聞』1985年6月25日付

アマスポーツはいま ⑤

世界戦略「冠大会」とりしきる代理店

 数億人、という地球規模のファンを持ち、オリンピックと並ぶサッカーのワールドカップ(W杯)大会。これを長年とりしきったのは、スポーツ界の世界的な“仕掛け人”として知られるウエスト・ナリー社(本部・英国)である。

 前回のW杯は三年前にスペインで開かれたが、そこへ梅垣哲郎副社長が陣頭指揮する電通の「代表団」が乗り込み、五、六百人を集めた大パーティーを二度開いた。

 サッカーで初興業

 招待されたのは国際サッカー連盟(FIFA)のジョアン・アベランジェ会長(ブラジル)ら全役員、参加国団長、それにすべてのスポンサー。キッシンジャー元米国務長官も顔を出し、「カネにまかせた豪華なパーティーにみなびっくりしていた」と出席者の一人。

 “異変”は大会一カ月後に起こった。FIFAが公認の代理店であるウエスト・ナリ―社をけって、電通とフランス・アディダス社が五〇%ずつの資金を出し合ってつくった国際スポーツ・レジャー社(ISL)と契約を結んだのである。ウエスト・ナリ―社にいわせれば「乗っ取られた」ということになるが、国際スポーツ界のイベント参加に後れをとった電通が「世界戦略」へ踏み出した第一歩であった。

 電通が国内のアマチュアスポーツの“事業”を手がけたのは、八年前の世界フィギュア選手権大会が初めて。「赤字が出たら半分ずつ負担しよう、という約束だった」と、日本スケート連盟の当時の目黒清忠事務局長。ところが、大会後の決算のあと「もうけたから、連盟にカネを振り込む」との連絡。そのころ、スポーツ大会といえば競技団体の持ち出し、と相場は決まっていた。それが本当に連盟の口座へ三千五百万円もの入金があり、「腰を抜かさんばかりに驚いた」(目黒さん)

 これがきっかけとなったのだろう。同年秋、日本サッカー協会と電通が開催した「ペレ・さようなら・イン・ジャパン」。電通がアマスポーツ団体と組んだ最初の興業であり、これで六千万円もらったサッカー協会は、この年初めて黒字決算を出した。以来冠(かんむり)大会がアマスポーツ界で大手を振って歩きだした。

 次々に対象広げる

 今年、日本の企業が協賛する国内、海外のスポーツ大会は陸上競技、テニス、サッカー、バスケットボール、バレーボールなど十一競技にのぼり、対回数は百八十二。うち三分の一を電通が手がけている。スポーツイベントに関係する協賛企業が八十八社。一年間で三百億から三百五十億円の金が動いているという。

 「日本全体の広告費は年間三兆円。スポーツイベントの占める割合はわずか一%」(服部庸一電通ISL室長)とはいうものの、ライバル社の幹部は「『世界の電通』がここまでスポーツイベントに全力をあげて乗り込んでくるとは思わなかった」と驚く一方、「近い将来、ISLの息のかからない大会は開けなくなるかもしれない」と不安をもらす。

 そのISLが、このほど国際オリンピック委員会(IOC)と五輪マーク使用の独占契約を結び、世界中から注目を集めている。電通と手を結んだアディダス社のダスラー社長はユダヤ系のドイツ人で、国際スポーツ界の“政商”ともいわれるやり手。八八年のソウル・オリンピックを実現させた黒幕でもある。そして、ISLはサッカーに続き、陸上競技の世界選手権を含む国際陸連主催のイベントを根こそぎものにしたほか、新体操、テニス、自転車、スキー、バレーボールなどへ、どん欲に対象を広げている。

 黒字喜ぶ競技団体

 今回とアンケート調査では冠大会の開催について「必要だ」というのが七六・五%もあり、「やめるべきだ」の五・八%を大きく上回った。日本陸連のように昨年度、一億余円の協賛金を得て基金を五億五千万円へふやし、「目標は十億円。冠さまさま」と笑いが止まらないところも含め、競技団体の中にすっかり定着した形。だが、苦々しい思いで見つめる二十人に一人の“目”があることも忘れてはならない。”

ISLのその後については「ISLの黄金時代、そして破綻」(nikkei BPnet)を参照されたい。

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