1905(明治38)年の東京市小学校運動場公開
「フートボール」が小学校に備え付けられるべき運動用具として公的に認識されていたこと、その値段は1個5円だったことがわかる。
『東京朝日新聞』1905年6月28日付
“●小学校運動場公開
東京市教育会は一昨日午後一時より市会議事堂に於て学校事業研究会を開き頃日市長より発布せられたる小学校校舎及運動場開放方法に付討議し運動場開放の方法は左の如く決定したり
一、 小学校の運動場に於て遊ぶは他の場所に於て遊ぶよりは教育上左の利益あることを保護者に知らしむること
イ、小学校の運動場は馬車電車等の危険なく頗る安全なり
ロ、運動場には常に一人の教師ありて児童を監督し愉快に活発に遊戯せしむ故に嬉戯の間に多少の教育を施さるべし
ハ、悪童の入場を許さず故に彼の恐るべき悪友の影響を避くるを得べし
ニ、運動場には種々の遊戯用具ありて児童に使用せしむべし
二、運動場には少くとも左の運動用具を備ふべし
ブランコ二組、ローンテニス一組、フートボール一組、固定円木二組
三、便所一ヶ所を設くべし
四、運動場に児童監督一名を置く 児童監督は宿直の教員をして兼務せしむ
児童監督には若干の手当を給す
運動場開放に要する経費は凡そ左の如し
一、設備費
ブランコ二組取附費 二十円
ロンテニス用具一組(ボール共) 十七円
フートボール一個 五円
固定円木二組 六円
便所 五十円
計 九十八円
一、経常費(一ヶ年分)
児童監督手当 六十円
小使手当 十二円
運動用具修繕費 二十円
計 九十二円
(参考)開放したる運動場には差支なき限り子守又は父兄等の児童に同伴するを許すものとす”
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