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戦後日本サッカー史のどん底、1958年第3回アジア競技大会東京大会

1951年第1回アジア競技大会ニューデリー大会では、日本は鴘田正憲、二宮洋一、賀川太郎、岩谷俊夫 など戦前の神戸一中OB、すなわち旧制中学・大学サッカー経験者の「遺産」で3位入賞することができた。1954年第2回アジア競技大会マニラ大会では、彼らベテランが30歳前後に「高齢化」し、対インドネシア3-5、対インド2-3と全敗した。

1958年第3回アジア競技大会は、地元東京開催で、大会自体は大変盛り上がったが、日本サッカーの後退はとどまるところを知らず、対フィリピン0-1対香港0-2と、1得点もできず敗退した。1950年代前半の経営不振により日本代表の主力を形成していた田辺製薬サッカー部が衰退、代わって1955年にサッカーを社技にした古河電工サッカー部の長沼健、八重樫茂生、平木隆三、内野正雄ら、旧制中学から新制高校への世代交代は実現したが、実力は戦前問題にしていなかったフィリピンにホームで敗退するまでに低下した。朝日、読売、毎日の試合評は以下の通り。

日本代表のサッカーは、戦前完成されたショート・パスから、縦パスを中心としたロングキックのキック・アンド・ラッシュに変貌していたようである。

【対フィリピン戦の試合評】

・『朝日新聞』1958年5月27日付夕刊

“▽予選リーグC組

フィリピン 1(0-0 1-0)0 日本

【評】日本FWは不振だった。球を離す時機が悪く、相手の陣形に応ずる頭の働きも無かった。前後半を通じて八分二分から、九分一分くらいまで圧倒的に押しまくりながら得点出来ない弱さが完敗の形に終らせた。判断の良い突込み、棄て身のたくましい切り込みが全然無かったといっていい。フィリピンは闘志に満ち、逆襲のオープン攻撃、CKの時は明らかに一発勝負をねらっていた。後半10分フィリピンのRWが25メートルあたりからロング・シュート、球は勢いが弱かったがコースが良かった。古川がセービングするところをCFが突込んで均衡が破れた。日本はその後少しは果敢に攻めたが、最後までいい切れ味を見せなかった。大事な試合とあって固くなっていたふしも見られはしたが、もう少し系統立った意欲的な攻め方をしてもらいたかった。 (中条)”

・『読売新聞』1958年5月27日付

“フィリピン 1(0-0 1-0)0 日本

【評】後半10分フィリピンのORビリャレルのロングシュートをGK古川がはじき、ゴール前に転々とするボールをCFアルデゲルがきめたのが両軍を通じて唯一の得点となった。この得点を追って日本は中盤近くフィリピン・ゴールをしばしば脅かしたが、ついに得点出来ず、決勝トーナメント進出は難しくなった。日本は終始押し気味に試合を進めながらチャンスに持ち過ぎや無用のパスが多かった。 (大塚)”

・『毎日新聞』1958年5月27日付

“◇予選リーグCグループ(小石川)

比国 1(0-0 1-0)0 日本

日本は固くなったのか動きが小さく、球を味方でキープしようとして神経を使いすぎていた。フィリピンの動きも単調だったが、バックがよく下がってゴール前に壁のように立ちふさがり、その攻撃力には不気味さがあった。後半10分フィリピンはRWビリャレルが鋭く持ち込んでシュートし、GK古川がはじいたところをCFアルデゲールがシュートして決勝点を奪った。 (岩谷)”

【対香港戦の試合評】

・『朝日新聞』1958年5月29日付

“▽予選リーグC組

香港 2(2-0 0-0)0 日本

【評】フィリピンに敗けた日本はFWを編成替えしたが試合運びの安定性、パス・ワークの確実さで香港が一枚上だった。香港はチャンスのつかみ方がうまく前半27分IRが一点目を挙げ、33分にはORが二点目を挙げた。この二点目はゴール前をOLからORへ大きくゆさぶっての見事なボレー・シュートだった。日本は後半ロング・パスで一挙に殺到しようと試みたが、個人技の差から必死になればなるほど乱暴なプレーが多かった (大谷)”

・『読売新聞』1958年5月29日付

“香港 2(2-0 0-0)0 日本

【評】日本は三人の故障者でFWの布陣を一新、大きなパスで積極的に攻めた。きわどいロングシュートが前半20分までに四本香港ゴールに飛んだが、バーをかすめて惜しくもゴールはできなかった。20分過ぎからは、香港が正確なパスでジリジリ反撃、25分、RIラウ、31分RWチュのシュートがきまった。いずれもLIホーが日本のバックスを巧妙にひきつけて抜いてからのパスによる得点。

後半は捨身の日本が縦パスを集めて突進、押気味を続け特に終了10分前ごろからは連続的にシュートを浴びせたが、いずれもわずかに決まらなかった。 (原田)”

・『毎日新聞』1958年5月29日付

“◇予選リーグCグループ

香港 2(2-0 0-0)0 日本

日本は対フィリピン戦にくらべて攻撃に重点をおいた。一見威勢よく見えたがこれは香港の試合なれた足技につうじなかった。しかも攻めようとしただけ守備は薄くなり前半26分RI、33分はRWにうまくゴール前をゆさぶられて得点を許した。日本は攻撃をあせってボールのコントロールにミスが加わった。この点確実にプレーした香港が一枚上だった。 (岩谷)”

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