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クラマー氏来日直前の日本サッカー 3人の殿堂入りジャーナリストによるローマ・オリンピック1次予選韓国戦の総括と再建策

日本サッカーは、1958年東京開催のアジア競技大会グループリーグでフィリピン、香港に完封負けし、どん底を味わった。翌1959年5月26日、1964年オリンピックの東京開催が決定、1959年12月のローマ・オリンピック1次予選の対韓国戦2試合が、来るべき東京オリンピックの試金石となった。

2試合ともホームの後楽園競輪場で開催され、結果は12月13日が0-212月20日が1-0、総得失点差で日本は敗退、日本サッカーは「どん底」かつ「崖っぷち」に追いこまれた。

敗退2日後の12月22日、朝日、読売、毎日の3紙は同時に韓国戦の総括と再建策に関する記事を掲載した。いずれも署名入り記事で、朝日は大谷四郎氏、読売は牛木素吉郎氏、毎日は岩谷俊夫氏が執筆している。新聞の論調も、日本人コーチの限界と外国人コーチ招聘の方向を示しているように思われる。

・【大谷四郎氏】

大谷氏は外国人コーチに言及はしていないが、見出しに「経験主義”のコーチはダメ」とあるようにコーチングの刷新を主張している。当時国内に「経験主義でないコーチ」は存在しないので、直接言及はしていないものの、実質的に外国人コーチの採用を主張しているのと同じであろう。

『朝日新聞』1959年12月22日付

日韓サッカー総評

“技はあちらが上”
 東京五輪へ 合理的指導を

経験主義”のコーチはダメ

ローマ・オリンピックのサッカー予選日本対韓国、日本は第二戦を飾ったけれども得点計で敗れてローマとの縁は早くも切れた。二回戦では日本は一応力を発揮した。あるいはもう一点とれたかも知れない。そうなれば延長戦へお希望が継ながったわけだ。国際試合ともなれば、冷静なはずの新聞記者も自国を応援するのが普通だ。そして、もう一点を熱望した。しかし、すべてが終わったいまは、やはり二試合の末に日本が負けたという事実とその内容が教えるものを率直に認めて東京オリンピックへのカテにした方がよい。東京大会では開催国として無条件に出場するのだ。

◇・・・こんどの第二戦は確かに勝った。第一戦に欠けていた気力も満ちていて、いまの実力、あの悪コンディションのもとでは、その試合に関する限りほとんどいうこともない。しかしまた、細かいパス・ワークのような技術の使えない、また使う必要もないあのコンディションだから勝てたのだ、と意地悪いかもしれないがいわざるを得ない。だからわれわれのサッカーを評価するのはやはり第一戦である。そのとき、調子が悪かった、FWの選手が欠けていたなどの条件の悪さがあったにしても、なお彼我の差の明らかだったことはたれも認めるだろう。

 竹腰監督も「技はあちらが上だ」というが、そのあとに「勝てない相手ではない」とつけ加える。すでに何回となく聞かされてきた言葉だ。あるいはその通りだろうが、勝負よりもいまの日本の水準で大切なのは「技はあちらが上だ」という事実の方だ。

◇・・・日本のサッカーの最大の弱点は何か。すべてここから出発するわけだが、それはすでに十年近く、国際試合をするたびにいわれてきたことなのでいまさらという感じだ。ただここでは簡単に“ボール・コントロールのサッカー”とだけいっておこう。世界のヒノキ舞台はもちろん、アジアも完全にその潮流にのっているのだ。

 こんどの韓国を通じてみるのもその潮流が背後にあることだ。協会の指導陣もこの点は十分に知っているだろうからいまさら・・・ということになる。すると問題は何か。その次にくるその“ボール・コントロールのサッカー”をどうして教え、どうして浸透させるかの「方法」なのである。この数年間、その浸透がいかに遅々としていたか、協会は何をして来たか。

◇・・・竹腰技術委員長以下の指導陣がサッカーをよく知っていることに疑いはない。またいまの貧弱な材料で力一杯戦おうとする熱意と誠意には頭をさげるほどだ。だが出来上ったチームの旧態依然たるをみると、どうしても教え方に問題があるとしかいえないのだ。この問題にも二つのポイントがある。一つは、統一されたサッカー像を浸透させるのに、協会が組織として講じる着眼と努力である。もう一つはコーチが個々の選手をコーチする指導方法である。後者は前者のさらに基礎になるだろう。端的にいえば、コーチの指導法はすでに行き詰っているのだ。だからその点でまず現代的であり将来に通ずる考えを確立しておかねばならない。もしその考えがまだまとまっていなければ、この際徹底的に検討してみることだろう。

 陸上のハンマー投げの話だが、古い人は「フィニッシュにもっとひっぱれ」などの教え方をよくするが、いまではこんな教え方はダメだそうだ。最後にひっぱるためにはその前、さらにスタートからどういう姿勢でこうしなければならないという風に分解しながら、こうしてゆけば最後にひっぱれるのだと納得のゆく教え方をしなければならないとのことである。

 もう経験主義のコーチはだめだともいえよう。いまでは一つのキックも、走り込むときからの正しい動作、さらに必要な筋肉作りから積み上げて教える時代である。カンといわれるものさえ合理的な練習で作り出そうというときである。サッカーの強い国はそういうコーチ法が普及している国なのである。日本のサッカーはいまなお経験主義的な風潮を多分に残しているがための混迷期といいたい。

                           (大谷)”

・【牛木素吉郎氏】

牛木氏は「日本サッカー界全体の体質改善」の必要性を指摘している。敗戦当日の12月20日の協会理事会で「ヨーロッパからプロ・コーチを招くこと」が議論されたことが紹介されている。

・『読売新聞』1959年12月22日付

日韓サッカーの教訓
若返りをあせらず
 競技界の体質改善はかれ

 日本のサッカーは、とうとうローマ・オリンピックには行けないことになった。日本オリンピック委員会(JOC)は、5年さきには東京オリンピックがあるので、その準備のために全競技を来年のローマ大会に参加させる方針を決めている。日本スポーツ史上最大の選手団がはなやかにローマに向けて出発するのをサッカーだけが指をくわえて見送らなければならないとは―。13日と20日に東京後楽園競輪場で行なわれたオリンピック予選で、韓国に一歩をゆずったことはやはり日本サッカー界にとり大きなショックであろう。

なぜ負けたか

 十三日の日韓サッカー第一戦に0-2で敗れると、第二戦をまたずにはやくも日本のサッカーを非難する声が起きた。「日本のサッカーはなぜ弱い」「中盤作戦の誤りだ」など・・・。そのほとんどが単純な結果論であり、あるいは技術上の批判であって、日本のサッカー界の体質のカタワな点をついた建設的なものは少なかった。それに第二戦では日本が終始優勢で1-0で勝ったところから、これらの非難がやや色あせたものになっている。

 だが1勝1敗の結果、二試合の得点合計1-2で、ローマへの出場権を失ったことは冷たい事実だ。日本サッカーへの批判は真剣に検討されなければならない。まず第一戦のあとに現われた非難の主なものをとりあげてみよう。

選手起用の誤りだという説】日本のコーチ陣、とくに戦後ずっと指導し続けている竹腰監督が選手のえりごのみをする、そのために選手が大きく伸びないというのである。しかし、いまのオリンピック選手のほかに、どんな人材が埋もれているというのか。問題は川渕(早大)八重樫(古河電工)が負傷すると、もう代わるものがいないという選手層の薄さにある。

中盤作戦を誤ったという説】やはり結果論であろう。ボール扱いは韓国の方が断然うまいのだから、日本は速攻をきめ手とするほかはなかった。第一戦はFW不調で中盤がひどすぎたが、根本はボール扱いの基礎技術をたたきこむこと。そのためには中学、高校のチームや地方チームの下の方からサッカー界の体質改善を図らなければならない。

コンディション調整を誤ったという説】十二月一日からの最後の合宿で、高橋コーチの鍛え方がきつ過ぎて、疲れが残った―といわれた。しかし飛行機で着いた翌日から一時間半みっちり練習した韓国にくらべ、日本の練習量は決して多過ぎなかった。ただ、韓国選手はほとんど軍人でふだんからセミ・プロのような練習をしている。日本は実業団のサラリーマン選手で、コーチでさえ会社をさぼって合宿へ来なけれなならない。そういう社会環境の違いは大きい。

 こうしてみると技術面、作戦面のことは枝葉末節であって、再建策は、日本サッカー界全体の体質改善、つまり行政的な面に頼らなければならない点が多い。

今後の再建策

 ではどうすればいいか。日本蹴球協会は二十日、さっそく理事会を開いて対策を協議した。目標は五年先の東京オリンピック、それまでにぜひアジアのNO1の地位を確保したい。ヨーロッパからプロ・コーチを招くこと、高校生のころから国際試合の経験をつませ、国際試合に通用する技術を体得させること、などが話題になった。

 高校生以下を対象とした強化策は、すでに今年のはじめから実行されはじめて、目に見える成果をあげている。高校選抜チームのアジア青少年大会派遣と、その選手を選ぶための高校地域選抜大会の開催である。地域選抜大会は、高校選手のかくれた素材をこまかい網の目ですくうように拾い上げようというもの。中学校での正課体育への採用と、この海外遠征のための選抜大会が刺激となって、地方の高校のサッカー熱はこの一年に急上昇しつつある。

 協会では、他の競技団体にさきがけて全国指導者講習会を開いているし、ことしから将来学校の指導者となる人たちのための全国教育系大学大会もはじめられた。遅ればせながらではあるが、この方向はサッカー界の体質改善のために、どんどん推進されるべきだ。

 もう一つ、高校生を対象にするあまり日本代表の若返りをあせってはならない。オリンピックに勝つためには、やはり代表選手の年齢は二十五歳前後、技術も体力も円熟したころが最適であろう。従って社会人のチームを育成し、学校で鍛えられた選手が実業団で安心してプレーできるような社会環境を作る必要がある。

 これまでの協会は、大学リーグ中心の色彩が強く、サロン的な空気で仕事のやりいい面もあったが、組織や人間を動かす力は乏しかった。「グラウンドの確保」「年間スケジュールの再検討」などこまかいことで手をつけるべき問題も多い。

 外国ではサッカーの国際試合が興行としてなりたつので、海外武者修行の機会は多い。それだけに国内の対策が軌道にのれば、長い目で見た見通しはむしろ明るいとさえいえよう。 (牛木)”

・【岩谷俊夫氏】

岩谷氏は、さらに具体的で、「日本のコーチは理論的にはすぐれているが、みっちりコーチできる環境の人は一人もいない。そこでようやく協会もプロ・コーチの招請に真剣になりだした。二十日の理事会ではインドネシアをA級に仕上げたユーゴのコーチをこのさい呼んでみては、というところまで話が出た。もう一つ芝生のグラウンドがないからボールを意識しないボール・コントロールがうまくならないという理由もある。一度に手をつけるわけにもゆくまいが、このさいまず思い切ってプロ・コーチを雇ってみてはどうだろうか。」とまで記している。

また、「韓国の“サッカーの神様”金容植コーチは「我々はこの五ヵ年地をはうような短いパスをやり続けてきた。第二戦で日本のすばらしい出足と雨の中のキック力には参った。しかし習慣として韓国は雨に有効な弧を描くようなキックがもうできなくなっていますよ」と語った。

昭和二十九年、雪中の世界選手権極東予選で日本をキック・アンド・ラッシュ攻めで破った韓国にしてこの表現である。」とも述べていて、かつて日本のお家芸だったショート・パスは韓国のスタイルになり、日本がかつての韓国のようなキック・アンド・ラッシュになって、テクニカル面で日韓が逆転したとの記述も興味深い。

『毎日新聞』1959年12月22日付

日韓サッカー戦の教えるもの
    第二戦の勇気と闘志で

日本対韓国のローマ・オリンピック・サッカー予選は1勝1敗、得点合計で韓国の勝となったが、試合ぶりからみて第一戦が韓国の完勝、第二戦が日本の完勝と両極端をゆく結果に終った。「やりさえすれば勝てるじゃないか」が第二戦の興奮に接した人々の印象だったようだ。たしかにアジアで一位か二位の韓国を優勢のうちに破ったのは画期的なことだ。しかしこの試合をめぐって残された問題は多い―。

【第二戦に日本はなぜ勝ったか】二十日夜の日韓お別れパーティーで、韓国の“サッカーの神様”金容植コーチは「我々はこの五ヵ年地をはうような短いパスをやり続けてきた。第二戦で日本のすばらしい出足と雨の中のキック力には参った。しかし習慣として韓国は雨に有効な弧を描くようなキックがもうできなくなっていますよ」と語った。

昭和二十九年、雪中の世界選手権極東予選で日本をキック・アンド・ラッシュ攻めで破った韓国にしてこの表現である。

「キック・アンド・ラッシュもいいけれど、問題はボール・コントロールなんですよ」ともいった。聞きなれたお説教だが“神様”が、その後輩である筆者(金コーチは早大出、ベルリン日本代表)にさとすようにいうだけにそのひびきが違う。日本の選手を一人一人とってみた場合、浮き球の処理力、速いシュート、すべてみた目ではどこへ出してもヒケをとらぬ。しかし、そのボール・コントロール力が「対敵動作」でかけひきまでいかぬところにまだ重大なものが欠けている。

この不足分を第二戦に「根性」と「覇気」で補ったわけで、そこに「やればできる」という結果が出たのだ。

【プロ・コーチか芝生か】日本のコーチは理論的にはすぐれているが、みっちりコーチできる環境の人は一人もいない。そこでようやく協会もプロ・コーチの招請に真剣になりだした。二十日の理事会ではインドネシアをA級に仕上げたユーゴのコーチをこのさい呼んでみては、というところまで話が出た。もう一つ芝生のグラウンドがないからボールを意識しないボール・コントロールがうまくならないという理由もある。一度に手をつけるわけにもゆくまいが、このさいまず思い切ってプロ・コーチを雇ってみてはどうだろうか。

ボール・コントロールのうまいチームが一つでもできそのチームに勝つためにはボール・コントロール以外にないことが、他のチームに及べば成功だ。ただし、この決断は日本が国内だけのものに甘んじないで、国際入りしようとしているのかどうかの政治力にかかっている。いまはその瀬戸際といってよい。

【キック・アンド・ラッシュが先きではない】日本の活動力、勇気、勝魂すべては第二戦のキック・アンド・ラッシュで証明された。これだけの出足のきく民族であることが再認識されたわけだ。しかしそれはキック・アンド・ラッシュがよかったのではなく、ある程度国際級に近づいた「足技」があのせっぱつまった瞬間にものをいったまでだ。今後は平静なおりでも相手あってのサッカーという「対敵ボール・コントロール」へ引上げることが肝心なのである。

勇気が証明された以上、日本のフットボーラ―たちはまたはじめから「球扱い」をやり直してもらいた。それ以外国際サッカーに通ずる近道はない。「やればできる」では現状から一歩も出ない。
   
                                 (岩谷)”

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