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大正三四年戦役俘虜写真帖

大正三四年戦役俘虜写真帖』俘虜情報局編 (俘虜情報局, 1918)という資料が全文公開されている。第一次世界大戦で捕虜になったドイツ軍兵士の捕虜収容所における写真集である。書名および各ページの写真タイトルにすべてフランス語が併記されていることからわかるように、日本が国際法を遵守し、捕虜を人道的に扱ったことを国際的にアピールするために刊行された写真集である。そのため、写真には捕虜の日常生活が多い。「人道的扱い」を強調するためか、食事、医療衛生、娯楽、郵便などが撮影されている。

サッカーの写真は3件ある。

Nagoya_foot

名古屋俘虜収容所

Aonohara_foot

青野原(現・兵庫県加西市)俘虜収容所

Tokushima_foot

徳島俘虜収容所

日独サッカー交流は広島県の似島俘虜収容所が有名だが、「蹴球」と題する写真が本書に3件あり、他の収容所でもサッカーが行われていたこと、第一次世界大戦の時点でサッカーがドイツ国民に広く普及していたことがわかる。

Ninoshima

似島俘虜収容所の「運動」。器械体操してる写真の背後はサッカーしてるようにも見える。

Ninoshima2

似島俘虜収容所の全員集合写真。グラウンドにゴールポストらしきものが見える。

第一次世界大戦時のドイツ軍捕虜が日本に与えた影響としては、サッカーよりも音楽や演劇の方が著名であろう。それらの写真もある。

Matsuyama_music

松山俘虜収容所

Nagoya_music

名古屋俘虜収容所

Kurume_music

久留米俘虜収容所

Tokushima_theater

徳島俘虜収容所の演劇。女優がいないので、「おやま」が活躍。

Bando_meal

坂東俘虜収容所の炊事場、パン焼き、菓子製造、ソーセージ製造。パン、ソーセージやハム、ドイツ菓子の製法もドイツ人捕虜から伝わったことが知られている。

ジャン・ルノワール監督『大いなる幻影』は、第一次世界大戦時のドイツ軍捕虜収容所におけるフランス人捕虜の物語だが、監視するドイツ兵士よりもフランス捕虜の方がいい生活をしていたシーンがあったと記憶している。

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