阪神ドラフトのトラウマ
五郎丸といえば源五郎丸洋を連想し、
小豆島高校といえば石床幹雄がよみがえる。
あ~、しんどかった。仕事では凝らんw肩が凝りました。
明日、じゃなくて本日年休取ってますんで、これから二日酔いモードです。
手倉森氏に「将格」を感じました。2006年岡田ジャパンのようなリアリズム・サッカーが復活してよかったです。フル代表も、わざわざ外国人呼ばなくても、リアリズム・サッカーできる日本人監督でやってもらいたいです。
暮れから正月にかけて食っちゃ寝、食っちゃ寝してたので、家の近所でやってる高校選手権を観にいくことにした。
うまいぐあいに、兵庫県代表の試合が駒沢であり、しかも天気は春のように暖かい。家の近くの駒沢公園通りをまっすぐ南下するとR246との交差点。
さらに南下すると駒沢公園正門に。
1964年東京オリンピックのサッカー試合会場だった駒沢陸上競技場。サッカー史研究会のT氏とS氏がいらしたので、一緒に観戦。
第1試合は地元の駒大高と松山工。前半はラインが揃ってるところへ放り込みあいで、パスを繋ごうとせず、すぐにタッチに逃げる安全運転の退屈試合。
セット・プレーから1点ずつ取った後、駒沢が怒涛の選手交代でフレッシュな選手を入れ、連戦の疲れで脚の止まった松山に走り勝ち。
第2試合は神戸弘陵対これも東京代表の国学院久我山。第1試合とは打って変わって、パス・サッカー・チーム同士の対戦で見応えがあった。ポゼッションでは久我山が優位で、ワントップの#10、MFの#7、#8、#14テクニックもスピードもあって、息のあったパス交換をしていた。特に#10の渋谷はマンCのダビド・シルバを思わせる小柄でテクニックのある選手。攻撃だけでなく守備も献身的で、将来が楽しみ。進路はどうなっているのか、帰宅してから調べたら、まだ2年生だった。
その渋谷が決勝ゴールを決めて、久我山が2-1で勝利。兵庫県代表が負けて、ベスト8から関西勢がいなくなったが、久我山の実力が一枚上で、詮方なしという感じ。