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道後・広島・別府紀行 ⑤ 白峯神宮と京都の桜

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大阪南港ATCの最寄駅、トレードセンター前からニュートラムに乗車。

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コスモスクエアで地下鉄中央線に乗り換え。

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弁天町で下車。JR弁天町駅で東京までの乗車券を購入。客船時代の関西汽船の大阪発着は弁天町駅徒歩至近の弁天埠頭だった。「船旅の原点」は弁天埠頭か神戸港中突堤という関西人も多かろう。フェリーさんふらわあがATC発着になるのは先祖回帰になるのかな。

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環状線でJR大阪駅へ。京都線に乗り換え。

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京都駅で地下鉄に乗り。

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今出川駅で下車。

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今出川通りの北側をを西に向かって歩いて、白峯神宮へ。

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公家、飛鳥井家邸跡の神社。

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飛鳥井家は蹴鞠の家元、ゆえに「まりの神さま」。祭神は讃岐に島流しになった崇徳院と淡路に島流しになった淳仁天皇。HPには「上昇気運の神」とあるが、蹴鞠好きで知られる歴史上の有名人、後鳥羽上皇、今川氏真も「下降」の人生・・・

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神門から拝殿を。

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「必勝」。

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「蹴鞠の碑」。渡辺融「スポーツとして見た蹴鞠」『中京大学体育学論叢』 38(2), 143-160, 1997 によれば、江戸時代に「家元」飛鳥井家は家伝の蹴鞠の大衆化を阻み、17世紀にはアクロバティックな蹴鞠技で人気を博した外郎右近という人物を、幕府に訴えて伊豆大島に遠島に処したとのこと(p.151)。というわけで、飛鳥井家はむしろ「日本におけるフットボール普及の敵」だったような・・・

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境内の地主神社に献納されたサッカーボール。

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日本サッカー協会殿から献納されたワールドカップ使用球。

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サッカーだけでなく、ラグビーや野球のボールも。

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フェンロ―時代の本田圭佑も。

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本田ほどには御利益がなかった人たち・・・

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世界のサッカーに最も影響力のあった日本人はこの人かも。

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本殿。

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この四角の中で蹴鞠が行われる。

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ヴィッセル神戸の上は祇園のお茶屋。

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場所柄、茶道関係も。

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京都サンガもありました。

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京都市バス上京区総合庁舎前から昔なつかし201系統に乗車。

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今出川通りを西へ、鴨川を渡り。

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右折して東大路を南下、祇園で下車。

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円山公園の桜はぼつぼつ。

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一番有名な枝垂桜はこんなん。

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全然不発ということはなかった。

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和服のカップルはたいてい中国人。

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円山公園から高台寺に続く「ねねの道」。

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竹内栖鳳ってごっついとこに住んでたんやね。

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八坂の塔のそばに。

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文の助茶屋。2代目桂文之助が1910(明治43)年頃開店。3代目文之助は2013年に桂枝雀の弟子、雀松が襲名。ここで、以前上方落語に出てくる京都の故地を探訪したとき(当時は3代目襲名前)、西利でカメラを壊して清水寺を前に中絶したのを思い出した。

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湯豆腐の奥丹。湯豆腐は大好物だが、奥丹をはじめとする高級湯豆腐屋には入ったことがない。以前、意を決して南禅寺の本店に行ったら、修学旅行の中学生が行列してて、アタマにきて帰った。湯豆腐に3千円、4千円出す中学生・・・日本の将来はw 

湯豆腐、ゆで卵、棒鱈・・・、京料理の原価率ってなんぼやねんと思う。ビジネス・スクールの事例教材にいかが。

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料亭の狭い庭のこの樹が最もきれいに咲いていた。

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七味屋で七味を購入。京都では丼物にデフォルトで山椒がかかっているほど、京都人は山椒好きなので、京七味は山椒が利いてる。

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上方落語「景清」、「滑稽清水」、「はてなの茶碗」に出てくる清水寺。平家の侍、悪七兵衛景清は源頼朝打倒を祈願するため両眼をくりぬき清水観音に奉納したことにより、清水観音は眼病に霊験があることになっている。「景清」、「滑稽清水」は盲人の噺なので、放送が難しい。

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「滑稽清水」の筋は、女房の間男を疑念する盲人が清水観音に開眼を願掛けする。間男と女房は盲人の願掛けが成就しないように、これまた清水に願掛けに日参する。ようやく、願かなって眼が開いた盲人、目の前で2人仲良く願掛けしている間男と女房を見て、「よその夫婦は仲がええなあ」。

間男を疑念する盲人の心理描写など、高度な芸が必要なわりに、笑いが少ないし、「サゲ」の後味もよくないので、滅多なことでは聴けない噺。先斗町のお茶屋の生まれという先代森乃福郎師のを聴いたが、エゲツナイ筋の噺を、優男の福郎師が柔らかい京都弁で語ると、京都人の「いけず」さがより際立つ感じだった。

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音羽の滝。

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清水の舞台と京都市街を撮れるようになってる。写真のポイントを配慮した構図が内外の観光客に大受け。

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「はてなの茶碗」(東京では「茶金」)の噺のとおり、音羽の滝のそばに茶屋がある。すっかり様変わりした大阪の高津社や阿弥陀池なんかと違って、古典落語のたたずまいがそのまま残っているところが京都のすごさ。

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屋号は「滝の家」。

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「はてな・・・?」。清水焼だと客が持ち帰って古道具屋に持ち込むのか、茶碗はプラスチック製だったw

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さきほど七味屋で買ったのと同じ七味が置いてあった。

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きつねうどん(700円)。観光地のうどんの味がした。

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院政期の「蹴聖」藤原成通は、清水の舞台の欄干の上を、鞠をリフティングしながら一往復したそうな。

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帰路は混雑する産寧坂を避けて茶わん坂を。

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レンタル着物屋は大賑わい。

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京都駅から「のぞみ」で帰宅。

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道後・広島・別府紀行 ④ フェリーさんふらわあ「さんふらわあこばると」乗船記

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カメラが戻って、「さんふらわあこばると」を撮影。同船には関西汽船時代に乗船したことがある。昔、船賃が半額になる関西汽船の株主優待券がチケット屋に大量に出回っていて、東京でも1枚千円で入手できた。上等級になるほど割引額がお得なので、主としてフェリーは2等寝台しか利用しなかった若い頃から、関西汽船だけは特等を使っていた.。

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旧・関西汽船時代のターミナルには温泉大浴場があって、一度だけ利用した記憶がある。

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関西汽船時代の模型、写真、ポスターが展示してあるさんふらわあ歴史館があった。客船時代の阪神・別府航路が国内航路の華であった時代を知っている世代にはなつかしいであろう。

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現在は横浜でレストランシップになっているフラッグシップ「くれない丸」。

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「さんふらわあこばると」の船名の由来となった「こばると丸」。

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「さんふらわああいぼり」に船名が引き継がれている「あいぼり丸」。客船時代の別府航路の船名は「色」シリーズだった。別府航路は高松航路なんかよりも高級で、「観光船料金」というのを別途取られた。私の大学生時分で1500円だったと記憶している。なので、別府航路の観光船には乗船したことがないw

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1928(昭和3)年ころのポスター。寄港が多く、船足も遅いので、上下昼便でも夜便でも瀬戸内海の景色を堪能できた。船旅ファンとしては、今でもこのダイヤで運行してもらいたいくらいだ。

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使用する予定だったコインロッカーがあった。

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春休みの金曜夜というこで、大盛況。バス付き個室を確保しておいてよかった。

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乗船。混雑しているインフォメーション。

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左側がアウトサイドでシングル・デラックス。

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シングル・デラックス(Web割で17,000円)室内。関西汽船時代の株主優待ほどではないが、Web割引率は相当のもの。昨日泊まったビジホよりこころもち広めな感じw

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オレンジフェリーと違って、冷蔵庫あり。

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バスルーム。

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シャワートイレです。

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お茶と湯沸しポット。

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サービスのミネラルウォーター。

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階段。

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プロムナード。

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キッズコーナー。

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ビジネス席。

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売店。

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レストラン。すぐに満員になったとの放送があった。

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大浴場。入らなかったが、きっと大混雑だったに違いない。

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キャビンの風呂に入っているうちに出港。別府の夜景をキャビンの窓から。

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船内売店で購入したビールとミネラルウォーター。

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観光センターで買った由布院のチーズ。

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乗船前にとり天を食べていたので、レストランのバイキングはパス。観光港近くのマックスバリュで購入した明太子とコロッケ。

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芋焼酎3兄弟w

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することないので、プロ野球開幕戦でも。

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翌朝、目覚めたら既に明石海峡大橋を通過後。

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左舷のキャビンだったので、六甲を見ながら。

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昨日買っておいたパン、大分産不知火と持参のモンカフェで朝食。

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大阪港到着。

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南港フェリーターミナルではなく、ATC。

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20分早着して下船。「おれんじ7」から「さんふらわあこばると」まで、船齢の古いクタビレ気味の船ばかりだったが、一番クタビレてるのは乗客本人だったりして・・・w


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道後・広島・別府紀行 ③ 大分交通「別府ゆけむり号」乗車記・周防灘フェリー「ニューくにさき」乗船記

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広電で駅前から紙屋町へ。専用軌道の世田谷線(東急車両製)より文字通り路面電車の広電車両(ジーメンス製)の方がスピードが出てる感じ。デザインもこちらが上。

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広島バスセンターのうどん屋で天ぷらうどんの朝食(520円)。

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大分交通「別府ゆけむり号」に乗車。徳山・竹田津間はバスごとフェリーに乗るユニークな高速バス路線。

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広島バスセンターを出発したバスは新交通システムアストムライン沿いに北上、中国道へ。エディオン・スタジアムがちらっと見えた。サッカー場ってどこもかしこも交通不便なところにありますなあ。中国道は高所を通るので、宮島の景色が良く見えます。

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徳山港到着。

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船内に売店がないので、買い物はここで済ましておくよう、運転手から案内あり。

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バスごと乗船。フェリーにはさんざん乗ってきたが、すべて徒歩乗船で、車で乗船するのは初体験。

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危険物も一緒にw

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こういう感じだったのか!

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船内。椅子席。

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桟敷席。

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テーブル付き椅子席。

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船内図。

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広島バスセンターで買っておいたあなご巻の昼食。

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徳山港出港。

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徳山港外の島を過ぎると周防灘。

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それほど多くの船とは出会いませんでした。

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ユニークな形状の姫島は、ジオパークのある地質の島。

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険しい山のある国東半島。

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竹田津が見えてきた。

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車で下船も初めてなので、写真をたくさんw

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国東半島を海岸沿いに宇佐方面へ。大きな干潟があり、潮干狩りが見られました。

この後、別府観光港に近い別府交通センターで下車。フェリーさんふらわあターミナルのコインロッカーを使用するため、ターミナルに行こうとしたら、デジカメをバスに忘れたのに気づいた。別府交通センターの案内所に相談したところ、バス便と座席まで特定できたので、大分交通に連絡してくれた。カメラは無事見つかり、回送ついでに別府交通センターに寄ってくれたので、大分市まで取りに行く必要もなく、戻ってきた。親切な別府交通センター案内所職員と大分交通運転手氏に感謝感激の次第。

別府到着から出港まで4時間ほどあったので、その間に温泉入浴の予定であったが、上記の理由でずっと交通センター周辺に張り付いていたので、温泉入浴はできなかった。待ってる間することがなかったので、交通センターのレストランでとり天単品でビールを飲み、同売店と近所のスーパーで夕食と明日の朝食を購入した。


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道後・広島・別府紀行 ② 石崎汽船「翔洋丸」・似島汽船「第十こふじ」乗船記

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松山観光港到着。小倉行きの「フェリーくるしま」。

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呉経由広島行きの「翔洋丸」に乗船。

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椅子席。

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桟敷席。

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1F上に靴を脱いで上がるサロン風席。ブリッジの真下。

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松山観光港の売店で買った鯛めし、宇和島野中かまぼこのちくわとビールで昼食。

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タグボート。

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漁船。

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高速船。

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僚船「四万十」との反航。

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本航路のハイライト、音戸瀬戸が見えてきた。

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音戸瀬戸へ。

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音戸渡船。

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ミシュランに掲載された戸田本店。

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音戸大橋を通過。

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造船の町には製鉄所も。日新製鋼。

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護衛艦。

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甲板上で儀式?

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ヘリ空母?

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戦艦大和を作った旧・呉海軍工廠、現・ジャパン・マリン・ユナイテッド。

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海自基地の前を通過。

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呉港の前には。

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大和ミュージアムと。

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鉄のくじら館が並んでます。

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軍港「呉」と兵学校の島「江田島」を結ぶフェリーの船名は・・・

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旧・帝国海軍の名巡洋艦の船名と同じ。

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『仁義なき戦い』で菅原文太が演じた人物のモデルが経営していたホテル。

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サンダーバードの基地?みたいな島。

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江田島を過ぎて、似島が見えて来たら。

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終点の広島宇品港は近い。

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宇品港での乗り換え時間が10分しかなく、大急ぎで似島行き「第十こふじ」へ。船内で船賃440円を払う。「第十こふじ」船内。約20分の短距離航路。

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船内図。

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牡蠣とサッカーが似島のシンボル。牡蠣養殖は今でも盛んだが、「サッカーの島」だったのは昔の話。サッカーとの因縁は、1) 第一次世界大戦のドイツ人捕虜収容所が似島にあり、捕虜にサッカーを教わった広島高師の生徒が広島や神戸にドイツ流サッカーを広めた。 2) 似島中学校教師だった渡部英麿氏が同中を日本有数のサッカー強豪中学に育てた。 3) 似島にあった原爆孤児収容施設、似島学園長森芳磨氏の子息に森健兒(Jリーグ総務主事、Jリーグ創設の立役者の一人)・森孝慈(メキシコオリンピック銅メダリスト、日本代表監督、日本サッカー殿堂入り)兄弟がいた。

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ドイツ人捕虜にカール・ユーハイム氏がおり、似島は日本におけるバウム・クーヘン発祥の地でもあった。

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船名の「こふじ」は似島の最高峰「小富士」に因む。松山観光港の前にある興居島の最高峰も「小富士」。

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似島港が近づく。島らしく、建て込んでいる。

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似島に上陸1分。再び乗船。

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復路は似島学園経由で宇品港へ。

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牡蠣養殖筏の間をかき分けるように進む。

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似島学園。現在は精神障害児福祉施設。サッカー史研究会で森健兒氏のお話を拝聴したことがあるが、森家は浄土真宗の高僧を出している安芸門徒の家系で、そのことが原爆孤児救済活動につながっているとのこと。

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似島学園桟橋。

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「本土」から似島小学校にフェリー通学しているらしい小学生がワラワラと乗船してきた。

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教育委員会が過疎の島に小学生を「誘致」しているもよう。大きくなったら、船好きに?

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TV放映してた選抜野球に私の地元、長田高校が21世紀枠で出てた。守備がお粗末で、投手の自責点0で敗戦。旧制神戸三中でOBが多く、「被災地」の学校ということで選ばれたんだろうが、一定以上の実力がないと他の出場校に失礼では。

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宇品港で下船後に撮影した「第十こふじ」の全景。

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広島港駅にいた旧・京都市電車両。

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広電に乗車。

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翌日に乗車する紙屋町の広島バスセンターの位置を確認、バス乗車券を入手。

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再び紙屋町電停から広電に乗車。

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広島駅前へ。

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本日は代表のアフガニスタン戦があるので、チェックイン前にまず駅ビル2Fの居酒屋で。

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生ビールと小いわし刺し。

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めばる煮付でまずは一献。

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続いて、同じ階のお好み焼き屋で。

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イカ天そば入りの夕食。

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駅前のビジホにチェックインして。

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代表のアフガニスタン戦をTV観戦して就寝。

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道後・広島・別府紀行 ① 四国開発フェリー「おれんじ7」乗船記・道後で朝湯

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昼に黒澤で職場の歓送会に出席した後、東京駅から「のぞみ」で新大阪へ。

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在来線、四つ橋線、ニュートラムを乗り継ぎ、大阪南港フェリー・ターミナルへ。

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「おれんじ7」の特等シングル。

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夕食は済ましていたので、ハムサラダ、じゃこ天にビールで軽く。こんな日に限って、ビーフシチューがメニューにあった。

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部屋の窓から明石海峡大橋を。

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船内で朝食、和食セット670円。

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松山行き連絡バスに乗車。

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バスに愛媛新聞とデイリースポーツが置いてあった。

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松山道から松山市内へ。

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松山連絡バスは2台あったが、道後経由でない方に乗車してしまい、大街道で下車、伊予電市内線で道後へ。

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8時前に道後温泉本館に到着。

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霊の湯三階個室。朝食タイムだったおかげで、霊の湯は誰もおらず、独占使用できた。

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湯上りにお茶と坊ちゃん団子が供されます。

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私が使用した部屋の真ん前が「漱石の間」でした。

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道後駅前の坊ちゃん列車。

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道後温泉から松山観光港までリムジンバスがあるのだが、あいにくこの時間にはなかったので、道後駅から。

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伊予電市内線で松山市駅へ。

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マドンナのパフォーマンスではなく、卒業式で袴姿の女性がたくさんいた。

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松山市駅から伊予鉄高浜線で高浜駅へ。

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高浜駅から連絡バスで松山観光港へ。

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『全国五十万円以上資産家表』(時事新報社 1916)

大正5年の長者番付『全国五十万円以上資産家表』(時事新報社 1916)。

全国一は東京府の「2億円以上」岩崎、三井両家。岩崎久弥の住所は「本郷区湯島切通坂町」となっているが、これは三菱財閥の本邸だった現在の旧岩崎邸庭園

大阪府のトップは住友吉左衛門で7千万円。3大財閥といわれているが、三井、三菱とはかなりの差が。

同じく大阪府の6番目は範多竜太郎の1千3百万円。範多竜太郎は神戸一中蹴球部主将で、慶應に進学し、アソシエーションフットボールクラブを創設(後に体育会ソッカー部)した範多竜平の父。その父、E.H.ハンターは現在の日立造船の創業者で、その居宅神戸北野地区を代表する西洋館、旧ハンター住宅は国指定重要文化財。

同じく大阪府の380万円に位置する杉村正太郎は、1927年極東選手権日本代表の杉村(野村)正二郎、杉村正三郎兄弟(共に早大)の父で杉村倉庫創業者。江戸時代船場で錫屋という両替商を営んでいた杉村家を、明治大阪財界の指導者五代友厚のアドバイスにより、新田開発で得た海岸近くの土地を生かして倉庫業を創業した。その左横の350万円野村徳七は野村証券創業者。

同じく大阪府の120万円に位置する田辺五兵衛は日本サッカー殿堂掲額者14代田辺五兵衛(治太郎)の父。江戸時代から続く道修町の薬種商だった田辺家を近代的製薬会社に脱皮させた人物。

兵庫県の80万円に右近和作、右近福次郎の両氏がいるが、ベルリン・オリンピック日本代表右近徳太郎(神戸一中→慶應)の血縁だろうか。

エリートのスポーツとして普及した戦前の日本サッカー関係者には、大金持ちの家に生まれた人が多くいたことは間違いない。

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松阪リベンジ紀行

前回の四国旅行は名古屋から松阪経由で大阪から東予に渡る予定だったが、発熱のため松阪経由を省略した。休暇を取らずに1泊2日で松阪へ行ってきた。

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品川から「のぞみ」で出発。

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名古屋から快速「みえ」。

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指定席の車内。

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新幹線から最も近い在来線13番ホーム。新幹線と近鉄名古屋駅はかなり離れているので、乗り換えが便利で、乗車券も通しで買える「みえ」は、かなり混雑していた。

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松阪駅着。

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ホテルに荷物を預けるために踏み切り待ちしていたら、「しまかぜ」が通過した。

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正月でもないのに、軒先にしめ飾りが。このあたりの民俗らしい。

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松阪牛の「和田金」ビル。以前ここで「網焼き」を食べた。

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松阪商人を代表する豪商、長谷川家。

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本居宣長住居跡。住居「鈴屋」は松阪城跡に移築。

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「和田金」と並ぶ松阪牛の老舗料亭「牛銀」。両店とも肉屋兼営だが、コロッケは売ってないw

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「丸中」という肉屋でコロッケを買って立ち食いする予定だったが、日曜閉店だった。昼飯は味噌ラーメン、600円。

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松阪城の石垣に沿って。

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御城番屋敷。ここが松阪訪問のメイン。

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というのは、中村豊秀著『幕末武士の失業と再就職 : 紀州藩田辺詰与力騒動一件』(中央公論社 1993)を読んだから。紀州藩家老田辺城主の安藤家に「与力」として付けられて、230年以上続いた紀州徳川家「直参」の36家を、石高はそのままに安藤家の家臣すなわち「陪臣」に格下げが命令された。

今でいえば、本社に籍を置いたまま、子会社に出向した社員を、給料はそのままで、子会社に転籍せよ、ということだが、当時は身分(家格)が最優先の封建時代。家格格下げされるくらいなら、浪人するまでと、1856年に紀州家を辞して田辺を退出、浪人した。その後、紀州藩内さらには幕閣にまで運動して、1863年に紀州家直参として復帰した。ただし、石高は元の200石から40石へ「減俸」、紀州田辺から紀州藩の城代がいた伊勢松阪城の御城番に「転勤」となった。

直参として復帰はできたが、士分としては最低格の復帰であったので、独立した武家屋敷ではなく、1863年復帰とともに新築した長屋に集住することになった。復帰はしたものの、数年で明治維新、版籍奉還となったが、元・田辺与力たちの結束は固く、明治後も「苗秀社」という互助組織を作り、現在まで続いているそうだ。

時は幕末。開国・攘夷か、佐幕・勤王かなどのイデオロギーとはまったくかかわりなく、ひたすら「家格」にのみこだわって、脱藩・浪人・復帰したところがすごいw 龍馬、西郷ら勤王の志士、佐幕の会津藩や新撰組が躍動する司馬遼太郎作品とはまったくの別世界。イデオロギー過剰で大量の犠牲者を出した同じ御三家の水戸藩に比べれば、紀州藩は平和でよかったのでは・・・

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1軒を無料公開していた。

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内部。武家屋敷では厠は屋外にあることが多いが、長屋なので屋内にある。

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重要文化財の武家屋敷だが、現在も住人が普通に生活している。1863年から住み続けている御城番の子孫の家も5軒残っているそうだ。

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整然とした家並み。長屋ではあるが、生垣で区切られて、狭いながらも庭もある。

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ここにもしめ飾りが。

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松阪城跡からみた御城番屋敷。

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松阪城は会津若松城と同じく蒲生氏郷が築城。会津若松城は戊辰戦争、加藤清正築城の熊本城は西南戦争という「近代戦」で通用した。大砲の射角を限定する、絶壁のような高くて堅牢な石垣と深くて広い堀は、豊富な実戦経験の賜物。実戦経験のない西洋流軍学者が築城した五稜郭は、函館戦争でまったく無力だった。

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松阪城内の本居宣長記念館へ。

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本居宣長の手稿が展示されていた。重文。

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国学者ではあるが、世界地図も所蔵していた。

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宣長は鈴のコレクターだった。

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松阪市のマンホールの蓋も「鈴」。

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本居宣長旧居「鈴屋」。

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城跡からみた松阪市内。

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天守閣跡。蒲生氏郷は12万3千石で入国したが、紀州藩松阪領時代は18万石。姫路城主姫路藩酒井家が15万石、松山城主伊予松山藩久松松平家も15万石だった。紀州藩飛び地とはいえ、有力譜代、親藩大名をしのぐ石高で、城の規模もそれなりに大きかった。

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松阪市立歴史民俗資料館。旧・郡図書館の建物とか。

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松阪城のパノラマ。

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松阪木綿に関する展示が主体。泉州もそうだが、綿作地帯では2次産業として綿業、染色業、さらに3次産業として木綿問屋のような流通業も発展して、繁華な土地となった。江戸時代に原材料の供給地としてだけでなく、手工業、商業も成熟していたことが、明治後の近代化の原動力となった。

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松阪もめん手織りセンター。

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松阪はまた、参宮街道の宿場町でもあった。京大坂方面、江戸、名古屋からも、伊勢参宮する人は皆松阪を通過したので、宿場町としても繁栄した。

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元は松阪商人であった三井家発祥の地。

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というわけで、三越のライオンがここにも。

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松阪商人の館。松阪を代表する豪商、旧小津清左衛門邸。映画監督小津安二郎も松阪が本籍のはずだが、血縁ではないとのこと。

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内部。

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台所。

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いかにも堅牢な蔵。

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家業は紙問屋。

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表座敷と内庭。

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豪邸だが、風呂はやっと1人入れるくらい。

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万両箱!

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参宮街道筋。

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「コンセプト」がわからんw

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本日宿泊のルートインへ。肉のミヤコにふさわしく、駅の裏側は焼肉屋多し。

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ホテルの窓から。

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「一升びん」は回転焼肉屋。

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遠くまで出かけるのは面倒くさく、ホテルのそばのラーメン屋で昼に続いてラーメンの連食。野菜ラーメン980円。

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ホテルの朝食バイキング。

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帰りは、特急「南紀」。

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ハイデッカー車両。

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名古屋から「のぞみ」で品川へ。

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