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松阪リベンジ紀行

前回の四国旅行は名古屋から松阪経由で大阪から東予に渡る予定だったが、発熱のため松阪経由を省略した。休暇を取らずに1泊2日で松阪へ行ってきた。

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品川から「のぞみ」で出発。

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名古屋から快速「みえ」。

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指定席の車内。

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新幹線から最も近い在来線13番ホーム。新幹線と近鉄名古屋駅はかなり離れているので、乗り換えが便利で、乗車券も通しで買える「みえ」は、かなり混雑していた。

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松阪駅着。

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ホテルに荷物を預けるために踏み切り待ちしていたら、「しまかぜ」が通過した。

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正月でもないのに、軒先にしめ飾りが。このあたりの民俗らしい。

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松阪牛の「和田金」ビル。以前ここで「網焼き」を食べた。

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松阪商人を代表する豪商、長谷川家。

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本居宣長住居跡。住居「鈴屋」は松阪城跡に移築。

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「和田金」と並ぶ松阪牛の老舗料亭「牛銀」。両店とも肉屋兼営だが、コロッケは売ってないw

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「丸中」という肉屋でコロッケを買って立ち食いする予定だったが、日曜閉店だった。昼飯は味噌ラーメン、600円。

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松阪城の石垣に沿って。

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御城番屋敷。ここが松阪訪問のメイン。

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というのは、中村豊秀著『幕末武士の失業と再就職 : 紀州藩田辺詰与力騒動一件』(中央公論社 1993)を読んだから。紀州藩家老田辺城主の安藤家に「与力」として付けられて、230年以上続いた紀州徳川家「直参」の36家を、石高はそのままに安藤家の家臣すなわち「陪臣」に格下げが命令された。

今でいえば、本社に籍を置いたまま、子会社に出向した社員を、給料はそのままで、子会社に転籍せよ、ということだが、当時は身分(家格)が最優先の封建時代。家格格下げされるくらいなら、浪人するまでと、1856年に紀州家を辞して田辺を退出、浪人した。その後、紀州藩内さらには幕閣にまで運動して、1863年に紀州家直参として復帰した。ただし、石高は元の200石から40石へ「減俸」、紀州田辺から紀州藩の城代がいた伊勢松阪城の御城番に「転勤」となった。

直参として復帰はできたが、士分としては最低格の復帰であったので、独立した武家屋敷ではなく、1863年復帰とともに新築した長屋に集住することになった。復帰はしたものの、数年で明治維新、版籍奉還となったが、元・田辺与力たちの結束は固く、明治後も「苗秀社」という互助組織を作り、現在まで続いているそうだ。

時は幕末。開国・攘夷か、佐幕・勤王かなどのイデオロギーとはまったくかかわりなく、ひたすら「家格」にのみこだわって、脱藩・浪人・復帰したところがすごいw 龍馬、西郷ら勤王の志士、佐幕の会津藩や新撰組が躍動する司馬遼太郎作品とはまったくの別世界。イデオロギー過剰で大量の犠牲者を出した同じ御三家の水戸藩に比べれば、紀州藩は平和でよかったのでは・・・

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1軒を無料公開していた。

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内部。武家屋敷では厠は屋外にあることが多いが、長屋なので屋内にある。

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重要文化財の武家屋敷だが、現在も住人が普通に生活している。1863年から住み続けている御城番の子孫の家も5軒残っているそうだ。

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整然とした家並み。長屋ではあるが、生垣で区切られて、狭いながらも庭もある。

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ここにもしめ飾りが。

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松阪城跡からみた御城番屋敷。

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松阪城は会津若松城と同じく蒲生氏郷が築城。会津若松城は戊辰戦争、加藤清正築城の熊本城は西南戦争という「近代戦」で通用した。大砲の射角を限定する、絶壁のような高くて堅牢な石垣と深くて広い堀は、豊富な実戦経験の賜物。実戦経験のない西洋流軍学者が築城した五稜郭は、函館戦争でまったく無力だった。

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松阪城内の本居宣長記念館へ。

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本居宣長の手稿が展示されていた。重文。

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国学者ではあるが、世界地図も所蔵していた。

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宣長は鈴のコレクターだった。

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松阪市のマンホールの蓋も「鈴」。

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本居宣長旧居「鈴屋」。

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城跡からみた松阪市内。

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天守閣跡。蒲生氏郷は12万3千石で入国したが、紀州藩松阪領時代は18万石。姫路城主姫路藩酒井家が15万石、松山城主伊予松山藩久松松平家も15万石だった。紀州藩飛び地とはいえ、有力譜代、親藩大名をしのぐ石高で、城の規模もそれなりに大きかった。

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松阪市立歴史民俗資料館。旧・郡図書館の建物とか。

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松阪城のパノラマ。

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松阪木綿に関する展示が主体。泉州もそうだが、綿作地帯では2次産業として綿業、染色業、さらに3次産業として木綿問屋のような流通業も発展して、繁華な土地となった。江戸時代に原材料の供給地としてだけでなく、手工業、商業も成熟していたことが、明治後の近代化の原動力となった。

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松阪もめん手織りセンター。

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松阪はまた、参宮街道の宿場町でもあった。京大坂方面、江戸、名古屋からも、伊勢参宮する人は皆松阪を通過したので、宿場町としても繁栄した。

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元は松阪商人であった三井家発祥の地。

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というわけで、三越のライオンがここにも。

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松阪商人の館。松阪を代表する豪商、旧小津清左衛門邸。映画監督小津安二郎も松阪が本籍のはずだが、血縁ではないとのこと。

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内部。

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台所。

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いかにも堅牢な蔵。

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家業は紙問屋。

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表座敷と内庭。

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豪邸だが、風呂はやっと1人入れるくらい。

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万両箱!

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参宮街道筋。

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「コンセプト」がわからんw

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本日宿泊のルートインへ。肉のミヤコにふさわしく、駅の裏側は焼肉屋多し。

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ホテルの窓から。

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「一升びん」は回転焼肉屋。

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遠くまで出かけるのは面倒くさく、ホテルのそばのラーメン屋で昼に続いてラーメンの連食。野菜ラーメン980円。

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ホテルの朝食バイキング。

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帰りは、特急「南紀」。

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ハイデッカー車両。

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名古屋から「のぞみ」で品川へ。

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