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1969年ラウスFIFA会長の女子サッカーへの言及 読売クラブのグラウンド開きと少年サッカー・スクール発足式に関する『報知新聞』『読売新聞』記事 

『ベレーザの35年 日本女子サッカーの歩みとともに』(ベレーザ創部35周年記念誌発行委員会 2016)中の牛木素吉郎「読売クラブの女子チーム」(p.106-108)に、読売クラブ創設当時のFIFA会長スタンレー・ラウスが、すでに女子サッカーの発展に言及していたことが紹介されている。

“1969年10月12日に行われた「グラウンド開き」にラウス会長が出席して祝辞を述べた。ラウスは、日本で開かれた第1回FIFAアジア地区コーチングスクール開会式のために、たまたま来日中だった。

 彼は、祝辞の中で次のように述べた。

 「このグラウンドから、女性のサッカープレーヤーも育つよう期待しています」

 今にして思えば、このFIFA会長の発言は「ベレーザ」のルーツである。なぜなら、この読売サッカー場を根拠に「読売サッカークラブ」が設立され、その女子チームとしてのちにベレーザが生まれたからである。

 このFIFA会長の発言は、ほとんど知られていなかった。今回、ベレーザの記念誌を編集するに当たって、編集委員として記録の収集を担当した中村年秀が、10月13日付けのグラウンド開きを報じた短い報知新聞の記事の中に、ラウス発言が掲載されているのを発見した。”(p.106)

2016年7月25日のサッカー史研究会で、中村年秀氏から直接この記事発見について拝聴することができたが、記事そのものは紹介されなかった。そこで、この件に関する『報知新聞』記事、ついでに『読売新聞』記事を閲覧してきたので、紹介したい。電子版ヨミダス歴史館に収録されている『読売新聞』記事はともかく、マイクロ(ロール)フィルムの『報知新聞』記事へのアクセスは、日付がわかっていても七面倒。よほど根気と集中力がなければ、こんな小さな記事を見つけられまい。

『報知新聞』1969年10月13日付 第9面

5段の囲み記事。上2段は「完成したばかりのサッカー・グラウンドで無心にボールをける少年」の写真。記事本文は3段

女性も参加しよう

  <よみうり少年サッカー・スクール発足>

 よみうり少年サッカー・スクール発足式とグラウンド開きが十二日午後一時から川崎市多摩丘陵のよみうりランド内に完成したサッカー場で行なわれた。

 会場にはスタンレー・ラウス国際サッカー連盟(FIFA)会長はじめ野津日本協会長、サッカー・スクールの少年や父兄約五百人が集まり盛大に前途を祝った。

 野津日本協会長が「少年たちの体力づくりは学校体育だけでは不十分だ。この意味で少年たちが楽しくスポーツに親しめるように施設ができた意義は大きい」とあいさつ。ついでFIFAのアジア地区コーチング・スクール開会式に出席のため来日しているラウス会長が「サッカーをやればしあわせがおとずれる。ルールを守り、女性もやってほしい」と呼びかけた。

 サッカー場はことし四月に施工。総工費一億二千万円をかけて四面が作られた。前面芝生でおおわれ、周囲は高い金網でかこまれている。二面には夜間照明設備があり、ナイター試合も可能だ。

 同ランドでは、土、日曜は会員が使用、そのほかは一般に有料で公開される予定。いまのところ少年の部に約百七十人、一般、青年の部に五十人の会員がいるが、将来は少年会員を中心に六百人ぐらいまでふやしたいという。

 なお月額は少年(小学三年―中学三年)は入会金千五百円、毎月会費千二百円。コーチには日本協会の技術指導委員が随時当たることになっている。”

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『読売新聞』1969年10月13日付 第11面

3段の記事。写真なし。

少年サッカー・スクール開校

 日本最初の本格的スポーツ・クラブ『読売サッカー・クラブ」のグラウンド開きと、同クラブの少年サッカー・スクールの開校式が、十二日午後一時から東京・多摩丘陵のよみうりランドで行なわれた。

 同クラブは、サッカーの正しい育成と普及のために読売新聞、報知新聞、日本テレビ、よみうりランドの四社が協力して設立したもので、工費一億二千万円。さる四月から建設中だった前面芝生のグラウンド四面(うち二面はナイター設備完備)も完成した。

 この日、会場には橋本道淳読売新聞社事業本部長、日本サッカー協会野津謙会長、また来日中のスタンレー・ラウス国際サッカー連盟会長など来賓約百人のほか、少年サッカー・スクールの生徒百五十人が出席。橋本事業本部長の設立趣旨説明に続いて野津会長が「読売サッカー・クラブの発足は、日本サッカー界にとって大きなプラスだ。ぜひ世界一のクラブに育ててほしい」とあいさつ、さらにラウス会長「よいメンバーになるように心がけてください。きっとサッカーがみなさんにしあわせをもたらすでしょう」―と少年サッカー・スクールの生徒たちに呼びかけた。

 このあと、在日フランス少年チームとのエキシビション・ゲーム、日本サッカー協会技術指導員らの指導でさっそく少年サッカー・スクールがスタートした。”

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『報知新聞』の見出しが「女性も参加しよう」、ラウス会長の発言は「サッカーをやればしあわせがおとずれる。ルールを守り、女性もやってほしい」なのに対し、『読売新聞』の方は「よいメンバーになるように心がけてください。きっとサッカーがみなさんにしあわせをもたらすでしょう」で、女子サッカーには言及されていない。

参加者数は、『報知新聞』が「スタンレー・ラウス国際サッカー連盟(FIFA)会長はじめ野津日本協会長、サッカー・スクールの少年や父兄約五百人」なのに対し、『読売新聞』は「橋本道淳読売新聞社事業本部長、日本サッカー協会野津謙会長、また来日中のスタンレー・ラウス国際サッカー連盟会長など来賓約百人のほか、少年サッカー・スクールの生徒百五十人」。報知の約500人が正しければ、約250人は生徒の父兄や家族ということになる。その中に生徒の姉妹が混じっていたのかもしれない。ラウス会長は、会場に意外に少女がたくさんいたので、リップ・サービスしたのだろうか。

なお、読売クラブ創立のキー・パーソン牛木氏は、1969年10月12日当日はワールドカップ・メキシコ大会アジア・オセアニア予選の日韓戦がソウルであったため、ソウル滞在中だったとのこと。報知など他紙の第一線サッカー記者も、当然そちらに動員されていたはずである。

ラウス会長の来日の目的は、日本における組織的コーチ養成の始まりとなったFIFAコーチング・スクール開会式出席だった。同時に、日本で最初に底辺からトップ(チームのJSL優勝、日本代表クラス)まで同一クラブで育成に成功した読売クラブの開始式典に参加したことは、単なる偶然とはいえないだろう。ラウス会長は、日本サッカーが「育成」に舵を切る転換点に立ち会ったといえるのではないだろうか。

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