« September 2016 | Main | November 2016 »

『ボールを蹴って100年』を閲覧してきました

神戸高校サッカー部OB会編『ボールを蹴って100年  神戸一中・神戸高校サッカー部100年誌』(神戸高校サッカー部OB会 2015) 407p ; 27cm

【内容】

あいさつ
神戸一中・神戸高校サッカー部OB会会長・谷村和宏 前兵庫県立兵庫高等学校長・溝口繁美 実行委員長・細谷一郎 兵庫県知事・井戸敏三 日本サッカー協会長・大仁邦弥 兵庫県サッカー協会会長・稲垣嗣夫 一中43回・賀川浩

先輩の足跡
アーガル先生 範多龍平(一中19回) 白洲次郎(一中22回) 若林竹雄(一中26回) 右近徳太郎(一中32回) 河本春男先生(東京高等師範学校卒) 二宮洋一(一中38回) 大谷四郎(一中37回) 賀川太郎(一中41回) 賀川浩(一中43回) 岩谷俊夫(一中44回) 鴇田正憲(一中45回) 高山忠雄先生(一中23回) 加藤正信(一中31回) 大仁邦弥(神高15回) 岡本純(神高27回) 参考文献 座談会(14回生~16回生)

新たに刻んだ50年(年度別記録)
昭和39年度~平成27年、各年度の主要試合記録と回想、座談会からなる。

随想(ボールにかけた想い)
神戸一中・神戸高校サッカー部創部100周年記念式典・祝賀会に関して(谷村和宏) 弱くても、各自がベストを尽くしているのならそれで良い(山本卓美) 戦火に倒れた一中のサッカー人(賀川浩) 神戸一中のサッカーについて(岡田吉夫) 神戸一中のビフテキ(山路修) 神戸一中サッカー雑感(宮崎鉄弥) OB会への一言(柴北勝利さんへの手紙)(八木宜之) 神戸高校サッカー部を顧みて(松村正義) 中村寿男とライオン(阿南良彦) 昭和29年第9回北海道国体に参加して(近藤晴彦) 礎「一中精神」(神田道) 我が人生の宝物(柴北勝利) 高山監督と二人三脚で伝統復活にかけた元部長、松村正博氏(山口弘志) 根性の「素人集団」(美馬康幸) 半世紀前のインドネシア親善訪問(中川荘平) 高山校長先生の握手(石田武生) 天皇杯の思い出(細谷一郎) 2002年FIFAワールドカップサッカー大会運営の栄誉を担って(榎原徹夫) 私のサッカー人生(田中寿一) 遙かなり、わが“神高サッカー部”(藤島一満) 海外生活とサッカー(種田博) 岸本修君の思い出(村上守) 心臓外科医のサッカー人生(笹子佳門) 地獄坂のおかげです(松元隆平) 「ある過疎」からの雪辱(安富信) 昭和サッカー少年の記録(山元亮) 今、指導者として選手として(伊藤秀彦) 強いチームには強い2軍がいる(唐津昌美) 神高サッカー部での代えがたい経験(板場雅裕) 思い出(石塚哲郎) 頂点に手のかかった2つのチーム(小寺一夫) ドイツ最小の州、ザールランドにて(宇都宮崇弘) 神戸高校サッカー部と父(赤澤脩介)

資料 
一日の練習 アンケート OB会の歴史(山元亮) 神戸一中・神戸高校サッカー部OB会名簿 本校卒業の日本代表選手

年表
世界のサッカー 日本のサッカー 神戸一中・高校サッカー

座談会(編集後記) 編集後記

「あいさつ」、「新たに刻んだ50年(年度別記録)」は他のサッカー部史にもみられる内容だが、各4、5ページからなる列伝「先輩の足跡」 は、サッカー史として貴重な文献で、読みごたえがある。先行文献の『神戸一中蹴球史』、『ボールを蹴って50年』はもちろん、その他のサッカー史文献、伝記資料などが豊富に参照されている。こうした「列伝」に重きを置いたサッカー史は、単純に「読み物」としても面白いので、これから編纂されるサッカー部史の参考になるのではなかろうか。もちろん、こうした編纂法が可能だったのは、神戸一中・神戸高校サッカー部が日本サッカー史に足跡を残した多士済々の人材を輩出してきた特別な学校だったからであり、単純には真似できないかもしれないが。

新たに書かれた「随想」にも興味深いものがあり、練習法の変遷を収載した「資料」もユニーク。

奥付情報は、

2015年12月1日発行
編集・発行 神戸港王サッカー部OB会
〒657-6804 神戸市灘区城の下通1-5-1
兵庫県立神戸高等学校内

でした。

Cimg0367

Cimg0368

本日のランチは赤坂東急プラザの「陳麻婆豆腐」で麻婆豆腐定食(1,100円)。


| | Comments (1)

JFA機関誌『サッカー』総目次の欠号を埋めました

秩父宮記念スポーツ図書館欠号のため、「日本蹴球協会機関誌『サッカー』総目次(no.1-40 1959.1-1964.7)」と「日本蹴球協会機関誌『サッカー』総目次(no.41-80 1964-1968.4)」に8号分の欠号がありましたが、この度、サッカーミュージアムの御厚意により、欠号分の目次を入手できましたので、欠号分を埋め、総目次を完全化できました。

当サイトでは「総目次」として通覧(ブラウジング)に適しています。日本サッカーミュージアムの「資料検索システム」では、記事のキーワード・アクセスが可能です。双方の特徴に応じて、ご利用ください。

目次しか入手できていないので、本文は未見です。欠号分にあった、個人的に興味深い記事としては、武井群嗣「協会創立のころ」(no.5 1960.3 p.77)があります。武井は東京高師学生時代の1917年極東選手権日本代表、すなわち最初の日本代表の1人で、その後京大法学部から内務省に入省、最後は(東条内閣時代の4年間)厚生事務次官になった、ユニークな経歴の持ち主。1921年創立のJFA初代理事7人のうちの1人でもあり、当時は内務省に在籍してました。

no.59 1966.6はワールドカップ特集号。日本から観戦ツアーが行った最初のワールドカップです。

| | Comments (0)

『ボールを蹴って100年』が刊行されてました

昨日サッカーミュージアムのレファレンスルームを利用した折、

神戸高校サッカー部OB会編『ボールを蹴って100年  神戸一中・神戸高校サッカー部100年誌』(神戸高校サッカー部OB会 2015) 407p ; 27cm

があった。

国会図書館書誌データ
CiNii書誌データ
毎日新聞2016年2月24日

約半世紀前に刊行された『ボールを蹴って50年』は、日本に数あるサッカー部史の中でも最高峰の出来栄えであったが、今回もかなり充実しているように見受けられた。

先日、神戸のハンター坂、旧ハンター住宅を見学したときに範多龍平氏に言及したが、これまでほとんど紹介されてこなかった範多龍平氏のプロフィールと事績についても、かなり詳しく紹介されていた。

ミュージアム以外に、国会図書館(東京、関西とも)、兵庫県立図書館、神戸市立中央図書館が所蔵しており、閲覧予約制のミュージアム以外でも閲覧可能なので、機会を改めてじっくり読んでみたい。

| | Comments (3)

『The history of the Football Association』を閲覧

『The history of the Football Association』(Naldrett Press 1953)を閲覧を閲覧しに、日本サッカーミュージアムのレファレンスルームに行ってきました。目的は、FAがいつ、どこの国(協会)にカップ、トロフィーの類を寄贈しているか、ということです。

成果はあって、

1919年 日本(silver cup)
1925年 オーストラリア、ニュージーランド、カナダ(silver trophy)
1928年 英領ギアナ(silver trophy)

に銀盃・トロフィーを贈ったという記述が見つかりました。詳細は後日に。

また、秩父宮記念図書館では欠号だったJFA機関誌『サッカー』の以下の目次コピーを入手しました。

[no.1] 1959.1
秩父宮記念スポーツ図書館になし。田辺文庫にあり。
(主な内容:世界選手権を見て(市田左右一) 普及のための六人制サッカー(緒方健司) お国自慢北海道の巻)

no.5 1960
秩父宮記念スポーツ図書館になし。
(主な内容:特集、日韓戦をかえりみる(竹腰重丸、高橋英辰) 南米ペルー来日 座談会「審判よもやま話」(上)

no.41 1964
秩父宮記念スポーツ図書館になし。

no.42 1964
秩父宮記念スポーツ図書館になし。

no.49 1965
秩父宮記念スポーツ図書館になし。

no.51 1965
秩父宮記念スポーツ図書館になし。
 
no.52 1965
秩父宮記念スポーツ図書館になし。

no.59 1966.6
秩父宮記念スポーツ図書館に所蔵なし。

当サイトの「日本蹴球協会機関誌『サッカー』総目次(no.1-40 1959.1-1964.7)」および「日本蹴球協会機関誌『サッカー』総目次(no.41-80 1964-1968.4)」も追加・改訂し、「欠」をなくします。

Cimg0364

ランチは神保町の「ランチョン」で。

Cimg0362

帰途、明治大学で。

Cimg0361

トイレをお借りしました。

Cimg0360

故・北島忠治先生の教えがこんなところに。


| | Comments (0)

壱岐・関門紀行 ⑤ ハンター坂と旧・ハンター邸

Cimg0298

タクシーによる無料送迎はアイランド北口駅まで。

Cimg0299

六甲ライナーで阪神魚崎駅に移動。短距離なのに250円のボッタクリ。うっかり六甲アイランドなんかに住むと、通勤手当の出る現役時代はいいとしても、老後は不便で金もかかりそう。

Cimg0300

阪神魚崎駅で乗車したのは近鉄車両。

Cimg0301

三宮で下車。

Cimg0302

徒歩でハンター坂へ。

Cimg0303

坂のとば口ににしむら珈琲本店がある。並びに老舗パン屋のフロインドリーブがあったはずだが、移転したようだ。

Cimg0304

京都のイノダ同様、新聞をもってきてくれるサービスあり。

Cimg0305

店内。

Cimg0306

サラダセット(800円)。パンはいまでもフロインドリーブなのかな。

Cimg0307

再び三宮へ。今度は阪急で。

Cimg0309

王子公園で下車。

Cimg0344

王子動物園は小学校の遠足以来。半世紀ぶりw

Cimg0314

その一画にハンター坂のてっぺんにあったハンター邸が移築されている。

Cimg0315

Cimg0317

国指定重要文化財。神戸異人館中最大規模の建築。

Cimg0316

説明文。

Cimg0318

Cimg0330

エドワード・ハズレット・ハンター氏はアイルランド生まれの英国人。来日して神戸小野浜のキルビー氏経営の造船所(神戸鉄工所)で造船業を修行。独立して、大阪に日本3大造船所といわれた大阪鉄工所(現・日立造船 跡地は現・USJ)を創業。『現代兵庫県人物史』(県友社 1911)によれば、現・山手通開通のため私有地を無償で寄付し、条約改正に際して横浜居留地の英国人が反対したのに対し、神戸居留地を条約改正賛成でまとめ、日本人にも一目置かれた人物だった。官需が大きい造船業経営のため、子息を日本に帰化させ、範多姓を名乗らせた。長男、範多竜太郎氏は『全国五十万円以上資産家表』(時事新報社 1916)では、住友、藤田、久原、鴻池などの「財閥」に続いて、大阪府第6位の資産家となっている。

Cimg0324

今は移築された建物しか残ってないが、ハンター邸の門や塀はかなり離れたところにあって、広大な敷地の大邸宅だったようだ。中央の緑色がハンター坂。その東西に広大な土地を所有していた。

Cimg0319

Cimg0320

Cimg0325

Cimg0327

Cimg0329

10月は内部公開されている。

ハンター坂、ハンター邸にこだわったのは、範多家からサッカー史に関連する人物がいるからだった。その人は範多龍平。範多竜太郎氏の長男で、ハンター氏の孫にあたる。

Cimg0354

神戸一中蹴球部大正6(1917)年度主将。3年後輩の主将に、吉田茂の側近として著名な白洲次郎がいる。『神戸一中蹴球史』より。

Cimg0353

同中を1918年卒業、慶應義塾入学。大正10(1921)年創立の大日本蹴球協会が同年開催した日本最初のサッカー公式戦第1回全日本選手権(現・天皇杯)東部予選会に慶應義塾アッソシエーションフットボール倶楽部主将として参加。『大日本蹴球協会会報大正十年度』より。この時代は体育会ソッカー部となる前なので、大学グラウンドが使えず、芝公園で練習してたとか。いわば、慶應サッカーの祖といえる人物。

また、ハンター氏の次男、龍平の叔父にあたる範多範三郎は、日本におけるフライ・フィッシングの創始者で、中禅寺湖にあったトーマス・グラバーの別荘を買収、東京アングリング・エンド・カンツリー倶楽部を創設。倶楽部のメンバーは加藤高明首相が会長、副会長鍋島直映、岩崎小弥太、理事長が彼自身、会員は華族や在日外交官など。範三郎夫人は犬養内閣書記官長(官房長官)森恪の姉妹で、趣味や閨閥によって、日本の上流社会と結ばれていた。ハンター(範多)一族は経済的に日本に同化しただけでなく、フットボールやフライ・フィッシングのようなイギリス文化の紹介者でもあった。

Cimg0313

せっかく動物園に来たので、動物も見てきました。

Cimg0331

ハンター邸の横はカバ舎。見てると癒されるが、ペットにするのは無理。

Cimg0312

カバ舎にあった。範多機械は動物サポーター。

Cimg0332

昔、栗林公園のショボイ動物園に「日本唯一」と銘打ったナマケモノがいた。それ以来。

Cimg0337

目玉のパンダ。名は「タンタン」。四川の産とはいえ・・・ 花椒でも食って、目を覚ませ!

Cimg0340

Cimg0341

歩いてるコアラがいた。

Cimg0346

灘駅からJRで新大阪へ。

Cimg0347

尼崎市内のJR線路沿いに、日本サッカーリーグ時代のヤンマー練習場が今も残ってる。釜本や吉村はここで練習してた。カルロスという同リーグ初の黒人選手がヤンマーにいて、電車からでも目立ってた。

Cimg0348

新大阪駅「ピッコロ」でビーフカレー(680円)

Cimg0349

ぷらっとこだまで帰京。


| | Comments (0)

壱岐・関門紀行 ④ 阪九フェリー「やまと」乗船記

Cimg0240

17:20小倉駅新幹線口発の阪九フェリー連絡バスまで約5時間。小倉駅から黒崎駅に移動。

Cimg0242

北は札幌から南は鹿児島まで、全国のトラムはすべて乗車したと思ってたが、筑豊電鉄は未乗車。「トラム」の定義は別として、「疑わしきは乗っとく」ことにする。

Cimg0243

その昔は西鉄で、直方・黒崎間は専用軌道、黒崎からの市内線は路面だったそうだが、市内線が廃止されて、専用軌道の部分が残った。玉電だった東急世田谷線と似たような経緯のようだ。

Cimg0244

車内。切符を買って乗ったが、PASMOも使える。

Cimg0245

トラムといっても高架があったり・・・

Cimg0246

田園地帯を走ったり・・・

Cimg0247

遠賀川の鉄橋があったりします。

Cimg0248

終点の筑豊直方も・・・

Cimg0249

高架駅でした。

Cimg0250

さびれた直方市内を歩いて、JR直方駅へ。

Cimg0251

駅前の魁皇像。そういえば、来月は九州場所。

Cimg0252

直方から筑豊線を折尾まで。

Cimg0254

折尾からさらに筑豊線を終点若松まで進み、若戸渡船で戸畑に戻る予定だったが、台風でスタートが遅れたので、省略。鹿児島本線で小倉に戻ります。

Cimg0255

Cimg0256

小倉駅で下車。旦過市場へ行って、「百年床」宇佐美商店で鰯と鯖のぬかみそ炊きを1個ずつ購入(450円)。

Cimg0257

井筒屋百貨店1Fのティールームでアフタヌーン・ティー(720円)。

Cimg0258

小倉駅前から無料送迎バスで。

Cimg0259

新門司港阪九フェリー神戸航路ターミナルへ。

Cimg0260

3日続きで海がみえる部屋。1等ツインの1人利用(9,880円)。阪九フェリーでアウトサイドは初めて。

Cimg0261

Cimg0262

スリッパ、タオル、歯ブラシ、かみそりなどが、スタンドに突っ込んでありました。

Cimg0263

大浴場もあるが、キャビンのすぐそばにシャワー・ルームがあったので、浴衣に着かえて、即利用。

Cimg0268

Cimg0269

まだ出航前ですが、デッキに出てみます。

Cimg0270

阪九泉大津便と名門大洋は出航後。オーシャン東九の「フェリーしまんと」のみがいました。

Cimg0276

レストランが空いてたので、1次飲み。

Cimg0278

瓶ビール、おでん(スジ、厚揚げ、大根)と冷奴(1,080円)。チャンポンが美味いらしいですが、かなり満腹してたので自重。

Cimg0277

キッコーマンとは別に「九州醤油」が置いてある九州航路。

Cimg0275


売店に阪九名物パイシューがありましたが、甘いものは苦手で。

Cimg0282

翌朝ステイの手続きをして。

Cimg0283

1人2次会はキャビンで。ぬかみそ炊きは、リーズナブルなお値段で、酒のアテにもご飯の友にもなる逸品でした。オススメ。ただし、臭うので、プロムナードでは止めた方がいいかも。

Cimg0286

翌朝、目覚めたらすでに明石海峡大橋を通過してました。

Cimg0289

Cimg0290

船内ステイなので、六甲アイランド港到着後に大浴場を独占使用。

Cimg0291

入浴後、デッキに出てみると。

Cimg0292

Cimg0293

隣にフェリーさんふらわあ「さんふらわあごーるど」が。

Cimg0297

徒歩のステイ客は私1人だけだったらしく、タクシーで重役出勤となりましたw


| | Comments (4)

壱岐・関門紀行 ③ 関門汽船「しいがる」乗船記

Cimg0202

本日午前3時に下関あたりにいるはずだった台風18号は、午前9時現在済州島方面に。

Cimg0203

強風と大雨で、「無用な外出は避けてください」とのこと。

Cimg0205

Cimg0206

通勤通学時間帯には関門汽船は動いてました。しかし、濃霧で対岸の門司が見えません。

Cimg0208

瀬戸内海方面に向かう船はいますが、さすがに逆方向はいません。

Cimg0209

1時間半後、強風圏内に。

Cimg0210

玄界灘の波高は7m! しかし、瀬戸内海は3m。これくらいなら、今晩乗船予定の阪九フェリーは動きそう。なにしろ、「荒波上等」で渡世を張ってる新日本海フェリーの兄貴分なのだ。

Cimg0213

本日乗船予定だった若戸渡船は運休。

Cimg0211

瀬戸内から外洋へ、潮の流れは急流だが、波はない。

Cimg0216

幸い、12時チェックアウトのホテルだったので、11時ころまで部屋で待機してたら、雨も止んで、関門汽船も運行再開した。航跡が関門海峡の急流を示しています。

Cimg0217

Cimg0218

11時にチェックアウト。関門汽船で門司に渡ります。

Cimg0220

関門汽船「しいがる」。

Cimg0221

船内。

Cimg0222

デッキもあります。たった5分間なので、デッキにいました。

Cimg0223_2

「しいがる」の先にシーガル。

Cimg0224

Cimg0227

Cimg0228

Cimg0229

5分間の船旅ですが、景色は絶景です。

Cimg0230

門司側で、台風の実況(だと思う)を撮影してました。

Cimg0231

国指定重要文化財の門司港駅舎は工事中。

Cimg0232

荷物があるので、いったん阪九フェリー連絡バスが出る小倉駅まで行って、身軽になります。

Cimg0233

門司港始発の普通に乗車。

Cimg0235

民度が問われます。

Cimg0236

連絡バスのバス停に近い小倉駅新幹線口のコインロッカーに荷物を預け。

Cimg0238

再び小倉駅に入場。昔ながらの駅ホームにある立ち食いうどん屋で。

Cimg0237

かしわうどん390円。毎度毎度、博多ではごぼ天うどん、小倉ではかしわうどんを食ってるような・・・

| | Comments (0)

壱岐・関門紀行 ② 行程を変更して下関へ

Cimg0106

翌朝、朝風呂を浴び。

Cimg0107

浴場の横は屋上になっていて、体を冷ませます。

Cimg0108

朝、港を散歩する黒猫。

Cimg0109

部屋に戻ってベランダに出て、港を見ていると、漁師さんが作業中。

Cimg0110

出漁の準備かと思ってたら・・・

Cimg0112

まだ沖縄あたりにいるはずの台風に備えて、港中にロープを張り巡らせてました。これは大変! 荒海で鳴る玄界灘。バスで芦辺に行って、午後に芦辺から博多に向かうフェリーに乗船する予定でしたが、海が荒れる前に、印通寺8:20発の唐津行きで、午前中に唐津までUターンすることに決定。

Cimg0113

Cimg0114

朝食を食べて、すぐに出発。

Cimg0115

フェリー・ターミナルに行くと、壱岐牛を積んだトラックが5台ほど乗船準備中。

Cimg0116

ジョーン・バエズのソプラノが響いてきます。

Cimg0117

往路と同じ船になりました。

Cimg0119

牛も乗船。

Cimg0120

出航。

Cimg0121

多分、台風に備えて、養殖場でも忙しそうに作業してます。

Cimg0124

博多・郷ノ浦間のジェット・フォイル便。翌日、壱岐便はフェリー、ジェットフォイルとも全便欠航。

Cimg0125

午前中の壱岐水道はそれほど荒れておらず、揺れは感じませんでした。ただし、昨日たくさん見られた漁船は皆無。

Cimg0127

唐津に戻れて、やれやれ。この後本日は、陸路で下関へ行くのみ。

Cimg0128

なぜか指が写ってますがw、昨日と同じ筑肥線、福岡地下鉄で天神までバック。

Cimg0130

天神バスセンターから下関唐戸バス停まで高速バスが直通してるのを別の方のフェリー旅行記で知りました。バスセンターのカウンタで切符の買い方を尋ねたら、カウンタから出てきて、自販機で切符が出てくるまで、丁寧にきびきびと案内してくれて、好感がもてました。天神バスセンターは、バスタ新宿と違って、バスが発着する同じフロアにコンビニやスタバがあって、大変便利です。

Cimg0131

唐戸まで1,540円。新幹線で新下関経由より、半額以下で済みました。

Cimg0135

関門海峡を橋で渡り。

Cimg0137

唐戸バス停で下車。道路の向こう側が本日宿泊予定の下関グランドホテル。

Cimg0141

Cimg0142

Cimg0145

15時前なので、荷物を預けようとしたら、チェックイン可とのこと。7F海側のシングル。素泊まりで7,500円。唐戸には何度も来てるはずですが、リーズナブルに泊まれるこのホテルがあることも、他の方の旅行記で初めて知りました。

Cimg0144

2日続きで海が目の前のベランダ付き。真下が関門汽船乗り場。正面は関門海峡、対岸は門司港レトロ。チェックアウトは12時。海峡の景色をたっぷり楽しめて、ビジホ値段。これは安い!

Cimg0146

キーホルダーはフグ。

Cimg0147

散歩に出かけます。すぐ横に唐戸市場。平日の午後なので、閑散としてました。

Cimg0149

生簀があって、鯛がいました。

Cimg0150

ホテルと関門汽船桟橋。

Cimg0151

付近の地図。

Cimg0155

下関市のマンホールもフグ。

Cimg0152

ホテルの陸側。道路を隔てて、ドームのある妙な建築。

Cimg0153

こちらは旧・英国領事館。

Cimg0154

金子みすずは唐戸に住んでたことがあったそう。

Cimg0156

高級フグ料亭、春帆楼。近年、旧職場の近くに東京支店ができた。職場で、主賓でも幹事でもないのに、春帆楼で一度食事したいと言ったら、歓送迎会に使ってくれた。というわけで、「春帆楼でフグ食ったことがある」と言えるようになりましたw

Cimg0157

ここで、日清戦争の講和条約、下関条約が交渉された。

Cimg0160

Cimg0159

その記念館。そのひそみに倣ってか、今年の暮れに安部・プーチン会談が春帆楼であるとか・・・ うまくいったとしても、台湾と歯舞・色丹ではエライ違いと思うが。しかし、プーチンも李鴻章に模されては大迷惑。そもそも、プーチンはフグ食うのか?

Cimg0161

Cimg0162

交渉当時の調度品があって、再現されてます。

Cimg0163

左李鴻章、右伊藤博文の書が並べて陳列されてました。

Cimg0165

Cimg0164

「李鴻章道」というのがありました。何を意味するのか、説明表示は見当たりませんでした。

Cimg0166

春帆楼と記念館の間に伊藤博文・陸奥宗光像。

Cimg0158

その反対側にはフグの碑。左右対称になってますw

Cimg0167

Cimg0168

安徳天皇陵。

Cimg0180

Cimg0171

壇ノ浦の海底に沈んだ幼帝、安徳天皇を祭神とする赤間神宮の建物は、竜宮を模している。

Cimg0172

耳なし芳一堂。

Cimg0173

Cimg0174

平家一門の墓。平知盛など7人の「盛」の墓なので、別名七盛塚。

Cimg0175

虚子の句碑。

Cimg0176

「見るべき程の事をば見つ」と言い残して、碇と共に沈んだ平家の勇将、平知盛の墓。『義経千本桜』や『舟弁慶』に登場します。この時代の海戦では、漕ぎ手を攻撃するのはタブーだったが、「ルール無用の悪党」源義経はそれを無視して、フェアプレーヤーの平家を滅ぼした。『勧進帳』では白面の貴公子になってる義経だが、実像はかなり異なるらしい。

Cimg0184

神社の前の浜の常夜灯。

Cimg0185

対岸、門司の和布刈神社。深夜に行われる神事で有名。松本清張『時間の習俗』で、犯人の写真がアリバイのトリックに使用された。

Cimg0186

関門海峡大橋。

Cimg0188

夕食はさびれた唐戸商店街のお好み焼き屋で。

Cimg0189

Cimg0190

生ビール、ソーセージ、お好み焼きのセット、1,400円。

Cimg0191

Cimg0193

Cimg0194

Cimg0195

部屋から見えた夜景。

Cimg0199

多分、小倉・松山航路のフェリー。

Cimg0200

夜景を眺めながら飲む酒が旨い。


| | Comments (0)

壱岐・関門紀行 ① 九州郵船「エメラルドからつ」乗船記

台風が来るなか、九州に行ってきた。

Cimg0016

インテル対ローマ戦生中継をハーフタイムまで観て。

Cimg0017

世田谷線を5:00発の始発で出発。

Cimg0018

三軒茶屋、渋谷を経由して品川から京急で羽田まで。6:30前に到着。

Cimg0019

7:30発ANA福岡行き。28日前割引で13,970円。「のぞみ」で新大阪に行くより安い。

Cimg0024

バイクのツーリング・レポによく出てくる山口県の橋が見えた。

Cimg0027

海の中道。

Cimg0029

「飛鳥Ⅱ」が停泊中。

Cimg0030

地下鉄姪浜行きに乗車。

Cimg0031

姪浜で西唐津行きまで30分ほど時間があったので、ごぼ天うどん450円の朝食。

Cimg0035

姪浜からは筑肥線のJR九州車両。

Cimg0033

筑肥線は景色が良い。虹の松原。

Cimg0034

唐津城。

Cimg0036

午前中に西唐津駅到着。

Cimg0039

徒歩20分ほどで唐津東港フェリー・ターミナルへ。唐津は30℃を越える暑さで参った。

Cimg0040

唐津湾の対岸に唐津城。

Cimg0047_2

乗船券。唐津・印通寺、博多・芦辺の運賃はほぼ同額なので、博多からは海路のほうがお得です。

Cimg0043

「エメラルドからつ」。

Cimg0046

ファンネル・マークが微妙に「郵船」してます。

Cimg0048

Cimg0049

3Fに椅子席と桟敷席。

Cimg0050

2Fにも椅子席がありますが、桟敷席が好まれてるようです。

Cimg0051

Cimg0052_2

デッキ。

Cimg0057

船内図。

Cimg0056

航路図。壱岐は2度目。前回は呼子から郷ノ浦に行ったと記憶してます。湯ノ本温泉の平山旅館に宿泊、翌日対馬の厳原へ渡ってもう1泊し、博多に戻るルートでした。羽生善治永世名人が売り出し中のころで、羽生に負けたある棋士が、ハブ毒に効能のある温泉が壱岐にあるので湯治してきたとエッセイに書いたのを読んで、壱岐に温泉があることを知り、行ってみました。

Cimg0054

唐津を出航。

Cimg0058

島の多い航路です。

Cimg0061

僚船「あずさ」との反航。

Cimg0062

漁船もたくさんいました。

Cimg0064

印通寺港到着。

Cimg0066

手前にフェリー・ターミナル、その後ろに漁協。

Cimg0068

本日宿泊の網元旅館は目の前。

Cimg0072

漁船が出漁していきます。

Cimg0074

下船。

Cimg0075

迷いようがありませんw

Cimg0076

チェックイン。3Fベランダ付きの和室。

Cimg0077

冷蔵庫。

Cimg0078

トイレ。

Cimg0079

洗面所。

Cimg0080

ベランダから。フェリー・ターミナル、漁協は目の前。

Cimg0081

ベランダの真下は道路を隔てて漁港。

Cimg0083

神社が見える。

Cimg0088

印通寺の町を散歩に。フェリー・ターミナルを対岸から。

Cimg0089

「唐人神」という表示があったので、寄ってみた。鳥居があるので、神社かと思えば・・・

Cimg0091

Cimg0092

民俗信仰のようなものだった。

Cimg0093

夕食。刺身盛り合わせ。以前泊まった平山旅館では、以下1匹、オコゼ1匹が活き造りで出てきて、強烈な印象が残っていたので、活き造りを期待してたのだが・・・

Cimg0094

先付。

Cimg0095

茶碗蒸し。

Cimg0096

グラタン。

Cimg0097

Cimg0098

サワラの包み焼。

Cimg0099

見事な霜降りの壱岐牛。陶板焼きでいただきました。

Cimg0100

天ぷら。

Cimg0101

アラの入った味噌汁。甘くなかった。

Cimg0102

デザート。

Cimg0103

Cimg0104

部屋からの夜景。


| | Comments (2)

加納孝氏は山田午郎の教え子?

昨日のサッカー史研究会のゲストは、日本最初の女子クラブチーム、FCジンナンのメンバーだった岡島喜久子氏。興味深いお話をうかがえた。

FCジンナンの監督は、早稲田大学ア式蹴球部OBで、戦前戦後にわたって日本代表歴もある加納孝。加納氏に白羽の矢が立ったのには、3つほど理由があって、大変面白かったのだが、残念ながら、それはブログなどに書いてはいけない決まりになっている。

多分、協会機関誌だろうと思うが、加納孝は日本サッカー殿堂に掲額されている山田午郎の小学校教員時代の教え子だという文献を読んだ記憶がある。山田午郎は、日本最初のクラブチームといわれる東京蹴球団の団員。同団は1921年大日本蹴球協会が創立された直後に開催された第1回全日本選手権(現・天皇杯)で優勝。主将だった山田は、協会創立のきっかけとなった英国FAから寄贈されたシルバー・カップを、当時の英国駐日大使エリオットから受け取った。

Cimg9667

エリオット駐日英国大使からシルバー・カップを受け取る山田東京蹴球団主将。当時すでに背番号があったこともわかる。『東京朝日新聞』1921年11月28日付

山田については、本ブログ「日本最初のサッカー・ジャーナリスト、山田午郎」も参照されたい。「山田午郎氏年譜・略歴」『東蹴六十年史草稿』(東京蹴球団,1977)p.167-168によれば、

“大正十五年大森町入新井第二小学校訓導を辞し、東京朝日新聞社運動部員となる。”

すなわち、1926年に小学校教員から朝日新聞社に転職したことになっている。

加納は1920年生、東京府立八中(現・都立小山台高校)OBなので、現・大田区の小学校に通学していた可能性は高いが、仮に入新井第二小学校だとしても、入学時には山田はすでに転職して、いなかったはずである。

山田は日本サッカー史では、古事記や日本書紀のような「古代」に属する人物なので、その教え子が日本最初の女子クラブで、かつ女子国際大会に初の日本代表として出場したチームの監督であれば、「古代」と「現代」がつながるのだが。

| | Comments (0)

« September 2016 | Main | November 2016 »