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加納孝氏は山田午郎の教え子?

昨日のサッカー史研究会のゲストは、日本最初の女子クラブチーム、FCジンナンのメンバーだった岡島喜久子氏。興味深いお話をうかがえた。

FCジンナンの監督は、早稲田大学ア式蹴球部OBで、戦前戦後にわたって日本代表歴もある加納孝。加納氏に白羽の矢が立ったのには、3つほど理由があって、大変面白かったのだが、残念ながら、それはブログなどに書いてはいけない決まりになっている。

多分、協会機関誌だろうと思うが、加納孝は日本サッカー殿堂に掲額されている山田午郎の小学校教員時代の教え子だという文献を読んだ記憶がある。山田午郎は、日本最初のクラブチームといわれる東京蹴球団の団員。同団は1921年大日本蹴球協会が創立された直後に開催された第1回全日本選手権(現・天皇杯)で優勝。主将だった山田は、協会創立のきっかけとなった英国FAから寄贈されたシルバー・カップを、当時の英国駐日大使エリオットから受け取った。

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エリオット駐日英国大使からシルバー・カップを受け取る山田東京蹴球団主将。当時すでに背番号があったこともわかる。『東京朝日新聞』1921年11月28日付

山田については、本ブログ「日本最初のサッカー・ジャーナリスト、山田午郎」も参照されたい。「山田午郎氏年譜・略歴」『東蹴六十年史草稿』(東京蹴球団,1977)p.167-168によれば、

“大正十五年大森町入新井第二小学校訓導を辞し、東京朝日新聞社運動部員となる。”

すなわち、1926年に小学校教員から朝日新聞社に転職したことになっている。

加納は1920年生、東京府立八中(現・都立小山台高校)OBなので、現・大田区の小学校に通学していた可能性は高いが、仮に入新井第二小学校だとしても、入学時には山田はすでに転職して、いなかったはずである。

山田は日本サッカー史では、古事記や日本書紀のような「古代」に属する人物なので、その教え子が日本最初の女子クラブで、かつ女子国際大会に初の日本代表として出場したチームの監督であれば、「古代」と「現代」がつながるのだが。

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