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資料紹介  渡辺融「日本人はなぜ野球を選んだか」『UP』15(12) 1986.12 pp.22-26

明治時代の日本において、世界的に普及したサッカーよりも野球が普及したのかを論考した文献。スポーツ史の渡辺融東大名誉教授が東大出版会の広報誌『UP』に30年前に掲載されたもの。学術出版社の広報誌に載ったもので、普通のサッカーファンはなじみがないと思われるので、紹介したい。

理由は2点。

第一は、指導者の多さ。第一番中学のウイルソン、開拓使仮学校のベーツ、明治学院のマクネア、青山学院のブラックレッジ、慶應義塾のストーマーのようなアメリカ人教師たち。それに加えて、アメリカ留学して明治7年に帰国した木戸孝正、牧野伸顕、大山助市、得能通要らの日本人。とりわけ、明治4年~9年にアメリカ留学し、帰国して鉄道車両製造会社を創業した平岡凞(野球殿堂入り)は自前のグラウンドまでを持つ新橋アスレチッククラブを作り、日本球界の中心となった。

それに対してイギリス人教師がクリケットやフットボールを教えた例はあるものの、定着はしなかった。また、日本人のイギリス留学生が帰国してサッカーを伝授した例もない。

第二は、ボールの入手。野球ボールは糸まきボールなので、素人でも簡単に作成できた。

一方、フットボールのような丈夫な空気入りボールは国産化が困難だった。ダンロップがゴムチューブのタイヤを発明したのは1888年(明治21年)。国産のゴムチューブ式のフットボールができるのは明治30年代後半まで待たねばならなかった。

ここから先は本文献に記載されていないが、輸入品のフットボールは、国産の野球用具よりずっと高価だったことを示す文献がある。第2回内国勧業博覧会に文部省が出品した目録である『文部省教育品陳列場出品目録』(1881)のp.14に「ベースボール球四個球棒二本一組(価壱円四拾銭)神田美土代町一丁目森田金兵衛製 蹴鞠護謨製(価八円)米国製」とある。野球ボール4個とバット2本で1円40銭に対して、ゴム製のフットボールは1個で8円もした。普及して需要があったから国産化したのか、国産化できたから普及したのか、鶏が先か卵が先かわからないが、野球用具の国産化はサッカーよりずっと早かった。

明治前期の日本人はサッカーか野球かを2択できたのではなく、野球の1択しかなかったのではなかろうか。

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