武田神社紀行
バスタ新宿から甲府駅行きの高速バスに乗車。
甲府駅前から武田神社行きのバスは30分間隔。
待ち時間に駅前に移築された明治時代の小学校建築を見学。
バスが来た。
武田神社は1919年創建の新しい神社。
武田神社は武田氏の躑躅ケ崎館跡。
神社本殿。
神社の裏側は土塁や堀があって、中世の館らしいたたずまいが残ってます。
館の裏山が要害山城という山城で、非常時にはこちらに避難しました。
大手門のところに石垣がありましたが、これは武田氏滅亡後に作られたものとの説明がありました。信玄公時代には土塁のみで石垣はなかったそうです。「人は石垣」でなく、「人は土塁」だったんですな。
石垣のない深い掘割。
宝物殿。中は撮影禁止。「風林火山」の旗や「武田二十四将」の絵がありました。
武田神社から甲府駅北口までは一本道の「武田通り」。扇状地の緩い坂道のどんづまりに館がありました。
通りの周辺に武田氏重臣の屋敷があったとのこと。
山梨大学キャンパスは秋山信友屋敷跡。
甲府駅南側の繁華街に出て、やまなしプラザ1Fのカフェで。
パスタのランチ。
駅前のホテルにチェックインしたら、甲府城の眺めが素晴らしい部屋でした。江戸時代は不良旗本を甲府勤番に左遷させてました。題名は忘れましたが、松本清張にそれをテーマにした小説があったはず。甲府城が歴史の舞台となったのは幕末で、近藤勇ら新撰組が甲府城奪取を目的として甲州街道を進軍しましたが、故郷の日野宿で歓待されてる間に、板垣退助率いる新政府の東山道軍が甲府城を占領。新撰組は勝沼で一戦したが大敗しました。板垣は乾という姓だったのですが、武田の名将、板垣信方にあやかって、板垣姓に改姓。幕末でも甲州では武田人気が続いていたことがわかります。
うっすらとですが、富士山も見えました。
17時からU20ワールドカップがあったので、飲みには出ず。最初どうなることかと思いましたが、南アフリカも「それだけかい!」という単調さで、なんとか逆転。
夕食は甲府駅ビルで買った牛めし弁当。
朝食を食って、再び高速バスで新宿から帰宅。