「蹴球」という用語の初出については、『東京教育大学サッカー部史』(恒文社,1974)p.22に「明治31年1月15日発行の『教育』によれば、蹴球部長坪井玄道教授の記事がある。」とあります。すなわち、明治31(1898)年が「蹴球」の初出ということになります。ところが、雑誌『教育』の書誌データをNACSIS-Webcatで確認すると、
教育<キョウイク>. -- (AN00318153)
1號 (明33.3.3)-94號 (明40.12.15) ; 299號 (明41.1.1)-831 (1959.7). --
東京 : 茗溪會事務所, 1900-1959
注記: 95号を299号と改称 ; 出版者変更: 茗溪會事務所 (-72號 (明39.2.15
))→茗溪會塲 (73號 (明39.3.15))→茗溪會場 (74號 (明39.4.15)-94號 (明
40.12.15))→茗溪會 (299號 (明41.1.1)-)
継続前誌: 東京茗渓會雜誌 / 東京茗渓會
継続後誌: 茗渓
著者標目: 茗渓会<メイケイカイ> ; 茗溪會事務所<メイケイカイ ジムショ>
; 茗溪會塲<メイケイ カイジョウ> ; 茗溪會場<メイケイ カイジョウ>
になっていて、創刊は明治33(1900)年になっており、明治31年は前誌名の『東京茗渓會雜誌』のはずです。
同誌の明治31年1月号の現物を確認しましたが、1月“20日”発行で「蹴球部長坪井玄道教授の記事」は見当たりませんでした。『教育』の方の現物も確認したいのですが、初期の『教育』の現物を揃って持っているのは筑波大学図書館(筑大 1-81,83-94;299-368,370-550,552-606,828-831<1900-1907;1908-1959>)のみです。
私見ですが、明治“31”年1月15日発行は明治“37”(1904)年の誤りではないでしょうか。事実、東京高等師範学校のフットボール部は1904年に蹴球部に改称しています。
だとすると、1903年に体育会蹴球部を名乗った慶應義塾のラグビーの方が、先に“フットボール”を“蹴球”と訳した可能性が高くなります。
なお、「蹴鞠」なら明治18(1885)年まで遡ることができます。
↓
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40075865&VOL_NUM=00000&KOMA=17&ITYPE=0
コピペして「ファイル」→「開く」からお願いします。
ちなみに、ベースボールを野球と訳した典拠文献はコチラ
↓
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40076077&VOL_NUM=00000&KOMA=11&ITYPE=0
“庭球ニ対シテ野球ト命名”とあり、野球という用語に先行して庭球があったことがわかります。