昨日記したように、大正時代に競技人口が急激に増加するのですが、この時期高等教育に普及したことにより、競技レベルも急激にアップします。従来はロングキックによるキック・アンド・ラッシュかドリブルで抜いていくという攻撃法しかなかったのが、ショート・パス戦術が導入され、1927年極東大会(国際戦)初勝利、1930年極東大会優勝、1936年ベルリン五輪でスウェーデンを破ってのベスト8と国際舞台でも大躍進します。
この面で大貢献したのがビルマ人留学生チョー・ディンで、彼の指導を受けた竹腰重丸はその著書『サッカー』(旺文社,1956)で以下のように述べています。
“大正十二年(一九二三年)一月に開始された第一回全国高校(旧制)大会に早稲田高等学院が優勝したが、同校の優勝によって、そのチームをコーチしたビルマの留学生チョー=ディン(Kyaw Din)氏の名が全国に伝わり、多数の者がその指導を受けた。いわゆるショート・パス戦法は、同氏の指導を受けた人たちによって普及され、拡充されたものであって、同氏がわが国サッカーの近代化に貢献したところは多大であった。
同氏の教えたショート・パス理論は「むりにドリブルで抜かなくても、二人でパスを用いて一人の敵をたたけば、けっきょくゴール前で一人をあましてフリー・シュートできる」ということに要約されるもので、戦術理論としてはすこぶる単純なものであった。
しかし、同氏にキックやヘッディング、ドリブリング、タックリングなどの正確な方法と、その理論を教示された結果、基礎技術が急激に進展したことは大きな収穫で、キック・アンド・ラッシュ式のやり方から、従来よりもはるかに確実にボールを保持して侵入する攻撃方法の技術的な裏づけができたわけである。
大正十一年(一九二二年)の秋、山口高等学校で筆者もはじめて同氏の指導を受けたが、ペナルティー・エリア線付近からのキックで、十回中に六、七回ぐらいは確実にバーにあてる美技や、ヘッディングの正確さには目を見はったものであるが、それにもまして大きな収穫であったのは、キックやヘッディングのフォームやタイミングについて、簡単な物理を適用して考えることを教えられ、「サッカーは考えることができるスポーツである」ことを知ったことであった。”
原文では「」はなく、「」内は太字です。それまで戦術と呼ぶべきレベルにないサッカーが、トライアングルを形成しながらパシングし、ボール・ポゼションを重視する「戦術的」レベルに発展するのです。キック・アンド・ラッシュとドリブルだけの児戯に等しいサッカーなら、大学生から見向きもされないし、国際戦での好成績もありえなかったでしょう。
ラグビーも同様で、従来のFW周辺でオシアイへシアイするレベルから、香山蕃によってエイトシステムで展開を重視する、「戦術的」レベルに発展します。